第8話 危機は序盤に訪れる

昨晩セットした目覚ましが鳴りだす前に止めておく。翌日に備えて睡眠を取るつもりはなかったが、一応セットだけしておいた。備えあれば患いなし、鳴らさなくて済んだならそれでよし。


土曜日、授業がないのでいつもなら目覚ましはかけず、思うままに惰眠を貪るが、今日に限っては例外である。なぜなら、


「デーーーーーーーーーーートだからっ!!!」


「デート...、私も行くぅ...。」


おっと、先輩を起こしてしまうところだった。デートに自分も着いていくんだと幼子のように駄々をこね、シュークリームが犠牲になってしまったことは記憶に新しい。

あの時は一応納得してくれたように見えたが、あの様子では今遭遇すると何をしでかすかわからない。

無駄なリスクを負わないためにも、軽率な行動は避けなければ。


現在時刻は朝の5時、平日の起床よりさらに早い。いや、今日の場合起床というのは語弊があるだろう。


昨夜は学校から帰ってすぐにデート計画の最終確認を始めた。計画といっても相手はフリーダムを体現したような女の子。いつ如何なる時に如何なる行動を取られようとも、対応が可能なはずだ。

そのためにわざわざ徹夜までして確認をしたのだ。


頭ではそう考えつつも、不安は拭えない。彼女はフリーダムの一言では片づけられない人間だ。いくら備えても油断すべきではない。


とりあえず最後の予行演習に、鏡と見つめ合うことにしよう。

そのままの状態で鏡を見ても十分彼女と似ているが、より実物に近づけるために帽子をかぶってその中に私の長髪を無理やり押し込む。これで即席仮谷さんの完成だ。


早速、鏡に映った自分、ではなく仮谷さんを見つめる。うーん美しい。以前から自分の顔を見ることは趣味だったが、彼女と出会ってからその意味合いは変わってしまった。決してそれが悪いこととは思っていないし、むしろこれでよかったとさえ思っている。自分に恋し、自分を愛することは幸せだったが、同時に虚しさも感じていたからだ。やっていることは同じでも、私自身の気持ちは180度変わっている。


気が付いたら鏡と熱い口づけを交わしていたのでこのあたりで切り上げる。これでデート中に彼女から誘われても問題なしだ。もっともそんなことはありえないだろうが、備えあれば患いなしだ。大事なことだから二度目の登場。


服にはあまりこだわっていないが、今日ばかりは自分の持っている中から精一杯洒落たものを選んだつもりだ。そんな私が選んだ服では心配だったため、先輩にも意見を聞いている。デートで訪れる店を聞いただけでなく、当日の服装まで見繕ってもらってしまった。シュークリームは奪われたが、それ以外にも何かお礼をしなければならない。


そういえば私を着せ替え人形扱いしている先輩は、いつにもましてはしゃいでいたようだった。

今日の服装だってところどころ先輩の私物が混ざっている。なおトップス全般はとある部分のサイズが足りずに借りることができなかった。仮谷さんにしても先輩にしても大きすぎるのが悪い。私は平均より少し小ぶり程度、一切否はない。むしろこの奥ゆかしさは大和撫子の模範だ。彼女たちが私を見習うべきである。


そんなこんなで約束の時間の2時間前に家を出る。本当はさらに早く出たかったが、早く行ったても彼女がいるとは思えないので妥協してしまった。好きな人を信用していないなんて私はいけない子だ。


◆◆◆


電車に揺られて数十分、トラブルに巻き込まれることもなく待ち合わせ場所に到着した。

これでもまだ1時間以上早い。今までの行動を見ていると、彼女が早めに来る可能性は低いのでリラックスして待とう。どうせあと1時間は来ないのだから気を張るだけ無駄だ。


ここへ来てから、緊張によるものだろうか十分おきにトイレへ駆けこんでいる。自分の心がここまで弱いとは知らなかった。新たな一面を教えてくれた彼女に感謝だ。

何度目か見たかわからない個室のドアを開け手を洗っていると、先ほどまで私の立っていた場所に仮谷さんが来ていた。

しまった...。せっかく早めに来たのにこれでは私の方が遅かったように思われてしまう。

しかしトイレに行っていたと言い訳するのも恥ずかしい。仕方がないので私の1時間は水に流そう。


「も~、遅いじゃん蕾ちゃん!」


口で怒りを表しながらも、美しい顔は正直だ。どうやら私とのデート(彼女にとってはお出かけ)を楽しみにしてくれていたらしい。はっきりと喜んでいる姿を見せられると私まで嬉しくなってしまう。


ちなみに彼女はなぜか制服だ。昨晩睡眠を取れなかったのは彼女の服装を妄想、ではなく予習していたのも大きなウェイトを占めていた。制服姿しか経験がないため私の妄想はどんどん広がり、古今東西ありとあらゆる服装を着せていたのだが、そのどれにも当てはまらないまさかの結果になってしまった。


「あのー、なんで制服なの?」


喪失感を堪え切れずに聞いてみることにする。


「ちっちっちっ。」


そんなことも知らないの~?という顔をして指を振る。なんだ、突然私を煽ってきたぞ、やんのかコラ。その丸っこい爪のついた可愛らしい指先パックンチョしてやろうか?あん?


「生徒手帳にはこう書いてありま~す!」


「『学区外へ外出する場合は必ず制服着用』と!ダメだよ蕾ちゃぁ~ん?校則は守らなきゃね~?」


「......。」


「おうおう私の圧倒的優等生っぷりに言葉も出ない?」


彼女は転校してまだ日が浅い。この失態は先に言っておかなかった私の責任である。


「言っておくけど、そんな校則守ってるのあなたぐらいだからね。」


「もしかして負け惜しみ?素直に敗北を認め今日は全部奢りますと言いなさい!」


「ほらあれ見て、あそこを歩いてるクラスメイト、私服でしょ?」


自分の犯したミスにようやく気が付いた彼女は、ここまでの言動を振り返り頬を赤らめる。

普段は世間体も人の顔色も気にしないように見えるので、その反応は予想外だった。

人間は予想外の刺激に大変弱く、私もその一人だ。彼女の恥ずかしがる顔はレアだ、不意打ちによる心臓への負荷が大きかった。会って数分でこれだけ心拍数が高まるとなると、一日耐えられるか甚だ疑問だ。

逸る心を抑えつつ、慎重にスマホを取りだし先日の教訓を経てインストールした音の出ないカメラアプリで撮影しておくことは忘れない。毎日彼女を相手にしていれば、いつの間にか緊張との共存方法も学んでしまっている。


彼女は穴があったら入りたいようだが、私は制服でもかまわない。もちろん私服を見られる機会を待ち望んでいたが、制服で街を歩く非日常感を味わうことができるので結果オーライだ。

今後街へ出る機会なんていくらでもあるだろう、その時にたっぷりと楽しめばいい。好物は最後まで取っておくタイプである。


「あるよね?」


「なにが?」


また声に出ていたようだ。


◆◆◆


今回のメインイベントである服選びだ。集合時間は昼前だったため、計画では昼食を取ってからのつもりだったが、彼女がどうしてもし服を着たいと言うので順番を変更した。羞恥に耐え忍ぶ彼女を人の多いところへ連れ回していると謎の性癖に目覚めそうなので、私の精神衛生上よかったのかもしれない。


今向かっているのは先輩に教えてもらった場所だ。そこは、有名ファッションブランドの店舗が多数出店しているビルで、よほどアブノーマルなものでなければ揃うらしい。少々無難な店選びになってしまったが、私も疎いので冒険するのは次回以降に持ち越しだ。


そろそろ到着することを告げようと振り向くと、彼女がいない。


「あれ?」


早い早すぎる、いくら彼女の行動が常識人の私を振り回すといっても、デート開始後数分も持たないとは思わなかった。


「仮谷さーん!!」


「はぁい!」


歩いてきた道を少し戻ったところにある店に彼女はいた。あまり遠くへ行っていなくて助かった。

急いで彼女のもとへ向かうと、ついさっきまでの暗い顔はどこへやら、すっかりいつもの調子を取り戻していた。


「私これにする!」


彼女が広げたそれは、白地の中央に将棋の香車がデンと鎮座しているなんとも個性的なTシャツだった。

それもそのはず、彼女が入った店は外国人観光客向けの土産物屋である。店内にはこれ以外にも、ひらがないや漢字など、日本から連想されるようなものがプリントされた安っぽいTシャツが所せましと並べられている。


「これにするってのはもしかして...。」


「うん、これにしようよ!」


いくら仮谷さんに頼まれても、さすがにこれを着てあと半日歩き回るのは承服しかねる。

私はNoと言うことのできる数少ない日本人だ。好きな人が相手でも意思表示をキッチリしなければ。


「双子コーデ、しよ?」


「はい喜んで!」


香車Tシャツお買い上げ決定!ついでに着用も決定!土産物屋さんありがとう!

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