第7話 選択と犠牲

部活を終えて自室へ帰ると、同室の生徒である蕾ちゃんは難しい顔をして机に向かっていた。

妨げないよう、声をかけずにゆっくりとドアを閉める。


恵まれた容姿に胡坐をかかず、勉学に関しても一切努力を怠らない彼女をずっと見てきたので、そのような光景は見慣れており特に驚くこともなかった。


邪魔をしてはいけないが、どの科目を勉強しているかが気になってしまった。背中越しに広げられた教科書を覗いてみる。私だって一応先輩なのだから、得意な科目くらいは教えることができるかもしれない。

彼女の心を手に入れたいと思ったこともあるが、凡人の私にとって彼女はあまりにも高すぎる場所にいる。それならば私は、彼女の傍にいられる別の方法を取るだけだ。よき先輩として。

よき先輩が勉強を教えてもおかしくないだろう。一年前の記憶を懸命に掘り出しながら、彼女の背後へ近づく。


まず目に入ったのは、どこかの地図。至る所に目印のようなものが打ってあり、そこから伸びた線の先には、目印の説明等が彼女の手によってびっしりと記されていた。

どうやら彼女は、地図に様々な情報を書き込んでいるようだ。地理の授業でこのような宿題があっただろうか。あまり勉強は得意ではないが、その分提出物の漏れはないはずだ。先生が変わると、授業内容も大幅に変更されるのだろう。彼女の書き込んだと思われる情報量は膨大であり、背中越しでは見えないほど文字が小さい。昨年この宿題が出されなくて助かった、と安堵していたところ、ある疑問が生じる。


そもそも彼女は地理の授業を取っていたのだろうか。社会科目の授業は選択制であり、私の時は日本史B、世界史B、地理Bの三科目から希望する授業を選択する形だった。変更になったという話は聞かないので、おそらく蕾ちゃんも同じように選択したと思われる。

そして、そう広くない寮の一室を二人で使っているため、意識せずともお互いの持ち物は把握してしまう。(私は意識して彼女の細かい部分まで把握している。)それほど興味のない、机に置いてある教科書も毎日目にすると案外覚えてしまうものだ。


しかしいくら記憶を漁っても、彼女の机や鞄の中に地理の教科書やノートがあったようには思えなかった。そうなると彼女が今行っている行為の説明がつかなくなってしまう。

顔を見る限り、普段勉強している時よりよっぽど険しい顔つきで机に向かっている。そしていつも止まることなくスラスラと勉強を進める彼女が、今日は長時間手を動かさずに考え、時折地図に何か書き込んでいる。優秀な彼女があれほど時間をかけている宿題の正体が全くつかめない。いったい何に苦しめられているのだろうか。


いっそ声をかけてしまおうか、そんな気持ちは部屋に入ってすぐ芽生えていたが、真相が見えずだんだんと大きくなっている。


だが再び彼女の顔を見て、私の言葉は喉の奥へと引っ込んでしまった。


帰ってきた時に見えた表情から、私は彼女が苦しんでいると思った。難題に直面し頭を悩ませているように見えたからだ。おそらくそれは正しいのだろう。だがよく見ると、険しい表情、眉間に寄ったしわのひとつひとつが充実感であふれている。決して笑ってはいないが、どこか楽しそうに作業をしているのだ。


今日のところは私の助けなど必要なかったらしい。

頼りになる先輩作戦はまた今度ね、と静かに笑う。


「私、何も出来ないじゃない。」


そんなあなたのことを私は


◆◆◆


いつもより早めに寮へ帰宅したのが午後5時を回ったころだった。そこから地図とにらめっこしながらはや2時間以上が経ってしまった。勉強でここまで苦戦させられることはないが、この分野はあまり縁がなかったため想像以上に時間がかかってしまう。


まだデートでどこへ行くかは決めていないが、仮谷さんの気に入りそうなところを選ぶのが無難だろう。

そこで彼女の好きなものを考えてみるが、ケーキしか浮かんでこなかった。今日のケーキ騒動が強烈すぎたことが原因だろう。ケーキか折り鶴をあげておけば喜びそうな気もするが、後者はデートには不似合いであることくらいは流行に疎い私でもわかる。

よって、服を買う場所のほか、おいしいスイーツをごちそうできるような場所を探さなければならない。

ここまでは順調だったのだが、具体的に目的地を決める段階でかなりの時間を要した。

机に向かっている時間のほとんどはこれによって消費されてしまったと言っていい。


私は、街を歩いて気に入った店に入りそこで服を選ぶ、そんな経験があまりなかった。私の容姿ならば大抵の服が似合ってしまうため、熱心にオシャレを追求する必要がなかったのだ。

それに加え、休日は自室にこもって先輩とだべっていたり、机に向かい勉強をしたりすることが多い。

そもそも私は出不精だ。わざわざ神のごとき私を遊びに誘ってくれる友人もいなければ、私が自ら誘いたくなるような人と出会ったこともない。

同級生と街へ出かけること自体ほぼ初体験だ。

オススメのネット通販サイトを紹介することはできても、やれあの店はどんな服を扱っていてオススメだ、なんてことを出来るような知識は持ち合わせていなかった。


これが、エリート故の苦悩というものだろう。


日常的に着る服についてですらこの程度の知識だ。おいしいケーキ屋なんて知っているはずがない。


パソコンで情報を集めながら付近の地図に書きこんでいくが、キリがない。

インターネット上にある情報の信憑性も不明瞭だ。

誰か私の付近に、参考に出来そうな人物はいないだろうか。


行き詰ってしまったので、いったん作業を打ち切って休憩にする。時計を見るとそろそろ夕食の時間である。気分転換にはちょうどいいな、と思いながら席を立つと、いつの間にか先輩の鞄が置いてある。

部活を終えて帰ってきたが、私が集中していたので気を使って席を外してくれたのだろう。あんな扱いをしているのに優しい人だ。丸々残っている弁当を押し付けるのはやめておこう。


先輩はのほほんマイペースさんで友人も多い。休日にはどこかへ遊びに行っていることもしばしばだ。


「ん?」


先輩ってもしかして、私よりよっぽど私の知りたい情報を持っているのでは?


こうしてはいられない、早く食堂へ行って先輩に尋ねてみよう。

そう思って席を立ったはいいが、途端に体中の力が抜けてしまった。不慣れな作業で思った以上の体力を持っていかれ、空腹が限界を超えていたらしい。食堂に急がなければ。


◆◆◆


部屋で過ごすことを諦めて、共用スペースで他の寮生徒話していたら夕食の時間になっていた。

寮長の作る料理には外れがなく、この食事も寮生活では一つの楽しみだ。

それは蕾ちゃんも同様のはずだが、今日はまだ食べに来ていない。まだ頑張っているようだ。あまり根を詰めすぎても心配になってしまうが、しばらく経ったら空腹に耐えかねてやってくるに違いない。


「先輩~!」


出された料理を半分ほど平らげた頃、彼女が遅れてやってきた。私の予想通りだ。伊達にルームメイトを1年以上もやっているわけではない。


「もう宿題はいいの?」


「宿題?なんのことですか?」


「まあまあ、とりあえずご飯食べたら?冷めちゃうよ?」


プライドの高い彼女は、他の人の目がある食堂で自分が懸命に勉強していることを知られたくないようだ。そんな行動の裏側を私だけが知っている。それは誰もが憧れている彼女を独占しているようで、一種の優越感を抱いている。


「せんふぁい、ひょっといいでふか?」


よほど頭を使ったせいか、彼女はかなりお腹を空かせているようだった。普段の優雅な姿とはかけ離れた、口一杯にごはんを詰め込んだ姿で私に話しかける。キャラを維持しなくてもいいのだろうか。


「ごはんを食べるか、喋るかどっちかにした方がいいよ、みんな見てるし。」


こっそり注意してあげると、しまったという表情で口の中のものを胃に流し込む。その後はいつものように落ち着いて食事を取っていたが、食事量は普段の倍はあったように見えた。


しかしそれほどお腹がすいていたのに、私に何を言いかけたのだろうか。

一刻も早く空腹を満たしたいという状況で私を選んでくれたことがなんとなく嬉しかった。

その後あえなくご飯に敗北してしまったが、都合の悪いことは忘れてしまおう。


◆◆◆


食事を終えると、食堂には既に私たち以外誰もいなかった。先輩はずっと早くに食べ終わっていたが、私を待っていてくれた。


「それで?」


先輩が笑顔で、私から言葉を要求する。

ごちそうさまだけではなく、自分にも感謝の言葉をよこせ、ということだろうか?


「あ、待っててくれてありがとうございます。帰りましょうか。」


不思議そうな顔をする先輩、言葉だけではもの足りない、冷蔵庫に入っているお前のシュークリームを渡せ、さすれば命までは取らぬ、ということなのか。


「しょうがないですね~、半分だけですよ、これでも最大限譲歩してるんです!」


「半分?なんのことかわからないけど、私が聞きたいのは蕾ちゃんがさっき言おうとしたことよ?」


寮長お手製のシチューが空っぽの胃に染み渡ったときにそれまで考えていたことを全て吹き飛ばしてしまったようだ。


「あ!忘れてました。すみません...。」


「も~、それでなんだったの?」


「先輩に教えてもらいたいことがあるんです、詳しくは部屋でいいですか。」


そう言うと先輩は目を輝かせ、小走りで部屋へ駆けていった。私の言いかけたことの真相がようやくわかったにしても、いささか喜び過ぎのような...。


部屋に戻ってすべてを説明すると、途端に機嫌が悪くなり、私も行きたいと駄々をこね始めた。先輩がここまで情緒不安定な日も珍しい。

口で言っても聞いてくれそうにないので、泣く泣くシュークリームを与え、渋々ながらも納得してもらった。


先輩の手を借りてデートの計画が完成したのは、既に日付が変わってからだった。


疲れ切った体を乱暴にベッドへ投げ出し、両目を閉じようとしたら下の方から、


「計画は全部覚えたむにゃむにゃ...。」


と不穏な寝言が聞こえてきたような気がしたが気のせいだろう。

気のせいであってほしい。

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