第6話 学食デビュー
デートの日にちを決めなかったという事実は、私の心を激しく攻め立てた。
後悔の念は翌日の朝になっても消えず、打ち消すにはやはりあらためて彼女をお誘いするほかないことは明白だった。
しかし、一度誘ったものをもう一度、今度は日付まではっきりと決めて誘う行為はどうにも恥ずかしい。
登校してからも、気の利いた方法はないかと頭を悩ませていた。
大きな鐘の音は、昼休みに入ったことを告げていた。またもや午前の授業を聞きそびれてしまったようだ。
彼女と出会ってからというもの考え事をする時間が増えたため、その分授業へ意識を割り当てる時間が少なくなってしまった。考え事がない時は隣を眺めているスマホを向けているかであるため、結局授業を聞いてはいないのだが。
「蕾ちゃん!」
彼女の声は、容姿と異なり私にはあまり似ていない。私の声は平均よりはやや低く、基本的におとなしい喋り方である。それもあってか、年齢の割に大人びた声だと評されることがほとんどだ。
対して彼女の声は、私よりもかなり高く、ハキハキと勢いよく喋るその姿は、女子高生よりさらに幼く感じてしまう。見た目が瓜二つでも、声が正反対とはなんとも不思議だ。人体の構造の謎は深まるばかりである。
「どうしたの?」
最近は毎日いかなる時も彼女のことを考えているため、不意に声をかけられるとどうしても対応が遅れてしまう。それが想い人ならばなおさらのこと。
表面上は普段と変わらず、冷静を装っていても胸の鼓動を抑えることは不可能だ。
あまりに激しい鼓動は、私の体を揺らし、想いを悟られてしまうのではないだろうか。そんなことを警戒してしまう。
まあ彼女が気付くはずもないので警戒するだけ無駄である可能性が高いが、もしかしたら私の想いを見透かしてくれるかもしれない、無意識下でそう期待しての行動かもしれない。
「学食に行きたい!」
「学食?それなら初日に案内したじゃない。」
初日の学園案内の際に、利用頻度が高いであろう施設はもれなく案内済みだ。ましてや大多数の生徒が利用する学食を案内しなかった覚えはない。彼女に尋ねられ、メニュー表から券売機の使い方まで教えたのだ。この私の記憶に間違いがあるはずもない。
「違うよ~、学食に食べに行こうって言ってるの~。」
学食で食事をしようというお誘いだったようだ。
余談であるが、私は入学して1年以上経った今までほとんど学食を利用したことがない。その理由は、後程判明する。
「でも私、お弁...。」
待てよ...。
この学園の学食はメニューが豊富であり、学生だけが利用するにはもったいないほどの立派な設備となっている。
学食に行くということは即ち、二人で共に食事をするということ。
弁当を共に食べるよりも、外食に近い行為だ。
まさか、これは後日控えているデートの際、二人きりで外食をする時のための予行演習の意味を含んでいるのではないだろうか。
ということはつまり、昨日約束したデートについて、彼女の方から歩み寄ってくれたのではないだろうか。
そういうことなら...。
「私も今日は学食で食べるつもりだったの、ちょうどよかった。」
「そうなんだ!それじゃあレッツゴ~。」
私の鞄の中に入った弁当箱の出番はなくなってしまった。
せっかく寮長が早起きして作ってくれた弁当だ、もったいないので先輩の晩御飯にしよう。
◆◆◆
「うわぁ~、広~いっ!」
広い、確かにうちの学食の広さは折り紙付きだ。
そしてその広い空間が生徒でごった返している。
私はこれが苦手なのだ。
仮谷さんが来る以前、基本的に昼食は一人で食べていたため、友人同士、先輩後輩などが楽しそうに食事を取っているこの空間はアウェーに感じていた。
それでもたまに挑戦しようと試みるが、昼休みはいつでも満席である。慣れていない私はどうしてもスムーズに席を見つけることができないのだ。それに気付いた生徒たちは、自分の席を譲ろうとして立ち上がってしまう。
そこに座ったところで私は面識のない彼女たちの友人と食事をする羽目になってしまうし、断ってしまうのも申し訳ない。
これのもっとも簡潔な解決方法は私が学食に行かないというものだったため、学食を積極的に利用する気が起きなかったのである。
だが今日は、ここで食事を取るには最も大切な『相手』がいる。仮谷さんのおかげで堂々と食事が出来ることに感謝しなければならない。
「じゃあ私、買ってくる。」
「私も~。」
◆◆◆
相手がいるという余裕からか、とてもスムーズに欲しいもの注文することができた。私が頼んだものは親子丼、初めてここを訪れたときからふわふわの卵で柔らかそうな鶏肉を包んだこれを食べてみたかったのだ。
長い戦いを終えてようやく手に入れた親子丼に目を輝かせながら座席へ戻ると、彼女は既に食べ始めていた。
彼女の前には数枚の皿が並んでいた。そこに乗っていたのは、クリームをスポンジに塗った物体、そう
「ケーキじゃない!」
ショートケーキ、チョコレートケーキ、ミルフィーユ、モンブラン等々、学食に存在する全てのケーキメニューを全て取ってきたのではないだろうか。
それは構わないのだが、彼女は昼食を取りに来たのではなかっただろうか。
「それはデザートなの?」
「ううん、お昼ご飯。たまにケーキだけで済ませたくならない?」
「そんなもの...?」
世間の流行には疎いので良く分からないが、私より詳しそうな彼女がそう言うのならば実は正しいことなのかもしれない。今どきの女子高生は理解しがたい、そう思いながら周りを見渡すと、ケーキだけを目の前に並べ一口ずつ順に口に運ぶその姿を眺める周りの生徒たちの顔は、とんでもない怪現象を目にしてしまった、と告げていた。素直な生徒たちの顔は実に雄弁である。
だが、ケーキを口いっぱいに頬張る無邪気なその姿は、彼女の素直な喜びを余すことなく表しており、周囲の反応などまるで気にならなかった。
終いには彼女の分のケーキがなくなりその顔が見られなくなることが惜しくなってしまい、私が自腹で追加のケーキを買ってきたほどだ。
◆◆◆
「専門店のじゃないのにおいしいね!」
「無駄に凝ってるから、ここ。」
毎日ケーキでいいかも、などと恐ろしいことを呟く彼女の口元には、最後に食べ終えたチョコレートケーキのクリームが可愛らしく鎮座していた。
これは、お約束のアレをしろと神が言っているのだろうか、そうに違いない。
迷いなく、そこへと指を伸ばす。
「付いてたよ。」
「ありがとう。」
そう言って私の指先に、彼女の舌が優しく触れた。
食べ物は粗末にしてはいけない、最後の一口まで食べる私は偉いのだと、自分の行動を誇らしげに語っていたようだが、舌が触れた数秒後に私の脳は処理落ちしていたため、彼女の得意げな顔と言葉は意味をなさなかった。
話を聞けなかった私に非がないわけではないが、あのような刺激的なことを何の気なしに行う彼女にも責任はあるはずだ。手つなぎもハグもすっ飛ばして指先を舐めるなんて...。
これからも事あるごとにケーキをごちそうすると決めた。
彼女の唾液で私の指先の指紋を消すという新たな目標も出来たので、今回の学食デビュー、もといデートの予行演習は大成功をおさめたといえる。
◆◆◆
放課後とは違い騒がしい昼休みの廊下を二人で歩いた。
ケーキをたくさん食べられたことがよほどうれしかったのか、彼女の笑顔は通常時の2割増しで輝いていた。彼女の好物は甘いものなんだろうか。
料理の心得はないが、いずれは私の手作りお菓子をプレゼントするのもいいだろう。
胃袋を掴むのは意中の相手を手に入れるために有効であると古来より伝わっている。
「蕾ちゃん。」
「まだ食べ足りないの?さすがにもうやめといた方がいいんじゃない?」
「違うよ!私のことなんだと思ってるの!?」
神。
「そうじゃなくてね、この前のことなんだけど。」
「この前って?」
「服を一緒に買いに行くって話、いつにする?」
予想だにしない展開に驚いた私は、全力ダッシュでトイレに飛び込んでしまった。
まさかこのタイミングで、しかも仮谷さんから尋ねてくるなんて予想外も予想外だったのだ。
そもそも、指先に微かに残る感覚を記憶しようと、体中の全神経をそこへ集中させている最中のことであり、正直に言うとデートの日にち問題に関しては完全に失念していたのだ。
「お~い蕾ちゃん?どうしたの?」
個室の前から呼びかけられてしまったためそのままこもり続けるわけにもいかずすぐに外へ出る。
「いきなり走りだすからビックリしちゃったよ!」
「ご、ごめんなさい...。」
「そんなことより、いつにするの?」
「私は大丈夫、あなたの空いてる日ならいつでも。」
「今週の土曜日でいい?」
「もちろん。」
湧いてきた活力の源は、昼食だけでないはずである。
この時にはもう、午後の授業中の過ごし方を決めていた。
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