第4話 二人の部屋

仮谷さんと別れてから数分の後、私は学園から寮へと続く道を歩いていた。

放課後デート(自称)での出来事や彼女との会話を一言一言思い起こしながらの帰り道なので、歩みが自然と遅くなってしまうのは難点である。

しかしこの行為には、それだけの時間を割く価値が大いにあるのだ。


それは、今日という日の素敵な輝かしい思い出を、丁寧に整理して厳重に記憶しなければならないからである。


この日の長い帰り道は、日が暮れ影が消えてしまう頃まで続いた。


◆◆◆


ようやく寮に帰りついた。寮長への挨拶もそこそこに部屋へ戻り、勢いよくベッドへ飛び込む。ここは先輩の領地だが、どうやらまだ部活から帰っていないらしく不在だったので間借りさせていただく。


さて、道中で今日の思い出を振り返っていたわけだが、その途中で私は衝撃の事実に気が付いた。


なんと、今日の私はまるで別人のようだったのだ!


彼女が転校してきたのは今日の朝のこと。彼女の顔を見るその瞬間以前の私はいつもと変わりなく


「おはよう。」


と学園の頂点に相応しい柔らかな笑顔で、朝から級友たちの心を癒していたのだ。

しかし彼女と出会ってからの私の行いはというと、


・彼女の笑顔を見て欲情する。

・彼女の笑顔を国宝に指定しようとする。

・むせる。

・ボッチ飯に寂しさを覚える。


午前中だけでこれだ。


嘘でしょ!?私こんなにアホの子と化していたの!?

一応これでも学園一の秀才で通っているのにこれじゃただの寂しいド変態じゃない!!

私の優等生設定どこへ行ったの!?

2話にしてキャラ崩壊って早すぎでしょ!!

崩壊するようなキャラもまだ定まってないのにどういうことなの!?


というツッコミはさておき、


先ほど挙げたものは午前中のエピソードだ。つまり、爆弾はまだ無数に埋まっている。

このまま放置するわけにはいかないので、爆弾処理、もとい一つずつ爆発させる作業を続けよう。


午後の行いを振り返ると、


・デート(自称)に感情が高ぶり、思わず口から出る。

・それを一笑に付されて拗ねる。

・無意識にキスをしそうになる。

・胸を凝視し、謎の質問をする。

・美しい朧雲に八つ当たりをする。

・お触り。

・強引に唇を奪う計画を立てる。


「......。」


言葉も出なかった。

しかもこれ、午後の1時間ほどで積み上げられた黒歴史の数々なのだ。


「恋って、怖いわ...。」


......


「いやこれ単に恋で片づけたらいけないレベルじゃない!?」


また独り言を言ってしまった。何度でも言うけど、私本来はこんな人間じゃないから!


脳内で自分に言い訳しながら枕に顔を埋め、本日二度目の声にならない声はしばらくの間部屋を彷徨っていた。


◆◆◆


落ち着いたので改めて考えることにする。

仮谷さんと出会ってたった一日で私という人間が変わりつつある。

優等生、学園のマドンナ、全生徒の憧れである私にとって、この変貌を認めることはできない。

しかしながら、彼女といる時に内から駆けあがってくる感情を抑えることもまた不可能であることは、私自身が最も理解している。


果たしてこの気持ちを隠し通すことは出来るのだろうか。


「自信を持て黒崎蕾!私を誰だと思ってるんだ!」


「出来るのだろうかじゃない!しなければならないんだ!」


「私は学園の頂点において全生徒の希望!出来ないことなんて一つとしてこの世に存在しない!!!」


自ら頬を叩くのは初体験だったが、意外にも小気味良い音がすることを知った。これから気合いを入れなければならない時にはこうすることにしよう。


落ち込んでいた心も少し回復したので、日課である鏡との対面を始める。

愛用の手鏡に映るのは、尊い仮谷さんのお顔...。


「ダーメーだー...。鏡の中に仮谷さんがいるようにしか見えなくなっちゃった...。」


かつてそこにいた私は今はなく、そこに映る私の顔を通して彼女を浮かべるようになってしまったようだ。頭で状況を整理している間に私の唇は鏡へ近づいてゆき、そこへ触れた冷たさに驚き、現実へ戻ってくることができた。


このままでは、決意に意味があったのかを延々と自問自答してしまうので、もうすぐ帰ってくるであろう先輩へのストレス発散法について真面目に考え、彼女を待つとしよう。


◆◆◆


「今は小物入れを作ってるの~。」


身振り手振りを交えて自分の部活動について楽しそうに語っているのは、私と同室の先輩で手芸部員の市川麻希乃だ。私と同じ編入組だが、どこか抜けていてマイペースな人である。そのためよく先輩ということを失念してしまい、ついつい対等に接してしまう。

同室で過ごすうちに私の本心がだんだんと漏れ、色々とバレてしまったが、そのようなことにはあまり興味がないようで、特に気にしている様子はない。

学園で唯一素の私が出せる人ということもあり、彼女のことはとても大切に思っている。


「そういえば今朝起きたらね、枕が足の下にあったの~!見て見て、これ、すごいよね~。」


「先輩、妖怪枕返しって知ってますか?」


そう言って、あらかじめ用意していたおどろおどろしい妖怪の画像を見せてあげるのも、先輩への愛故の行動であり、決して面白がっているわけではないことをここに誓う。


一通り妖怪枕返しについて説明し終えたところ、先輩が謎のステップを踏み始めたので事情を聞いてみることにした。


「どうしたんですか、足元にうどんの生地でもあるんですか?」


「それは手芸部の活動範囲外だよぉ~...。」


「じゃあなんで股間のあたりに手をやって、微妙に頬を赤らめながらモジモジしてるんですか?」


「それもう分かってるよね?蕾ちゃん頭いいからとっくに分かってるよね!?」


「いーえ全く。先輩として不出来な後輩に事の真相をご教授下さいよろしくお願いします。」


「それは...、その......。」


「おしっこ?」


「もぅ...。」


「トイレの場所忘れちゃったんですか?」


「先輩のことなんだと思ってるの!?」


どうやら彼女は、妖怪枕返しの話のせいでトイレに行くのが怖くなってしまったらしかった。

枕返しは寝ている時に枕を動かすだけの妖怪なので、起きている間、しかもトイレに出るはずもないのだが、このまま放置していてはこの狭い部屋が床上浸水してしまいかねない。そもそも私の悪戯から始まったことである。わずかに責任を感じないでもない。


「はい、どうぞ。」


「ありがとう...。」


何気なく出した手を、大切そうに両掌で包み込む彼女の表情は、恥ずかしさと申し訳なさが混在していたが、どことなく安堵しているようにも見えた。


「安心するのはいいですけど、尿道はまだ緩めないでくださいね。」


「私高3なんだけどそれちゃんと分かってるの!?」


「じゃあ一人でトイレくらい行けますよね。」


「蕾ちゃんのいじわるっ!」


口ではそう言いつつも固く握った手は決して離さないようなので、先輩が漏らしてしまわないようにゆっくりと歩いてトイレへと向かった。


◆◆◆


「電気消していいですか?」


「うん。」


了解を得られたので、スイッチを押して部屋の明かりを落とす。

目を瞑って、一日を振り返る。今日は激動の日だったが、総合的に見れば大吉日だったといえる。きっと寝つきもいいだろう。

夢は、脳がその日の出来事を整理しているために起こるらしい。ということは夢の中でも仮谷さんに会えるのだろうか。そんなことを考えていると、ベッドの下が何やら騒がしい。


先輩が漏らしたか?と思い目を開けると、梯子を上って先輩の頭が半分ほど顔を出していた。


「先輩...。お喋りなら明日にしてください...。」


「ごめんね起こしちゃって...。」


「それは別にいいんですけど、なんですか?」


「あのね、私やっぱりお化けが怖くて...。」


この人本当に高校3年生なんだろうか。

妖怪話は、トイレから帰ってきた時にネタバラシ済みのはずだが、どうやら先輩の頭には不気味な妖怪のイラストが残ってしまったようだ。


「このベッド、二人で寝るには狭いんですよ。」


「それ~。」


許可した覚えはないが、器用にベッドと私の隙間に体を入れ込んできた。

しかし、思いのほか先輩の体がフィットして...。極上の...。柔らかクッション...。


「ねえ蕾ちゃん、なんだか今日いつもより機嫌が良かったけど、何かあったの?」


「......。」


「私にも教えてよ~。」


「zzz...。」


「寝てるし...。」


「何があったんだろう、学校じゃほとんど会わないもんね。」


「zzz...。」


「私のいないところで嬉しいことがあったんだ。」


「ちょっとだけ、」


「妬いちゃうかも。」


「zzz...。」


「なーんてね。」


「せっかく隣にいるんだし、今くらいは独り占めしちゃってもいいよね?」


「それっ!ギュー。」


「大好きだよ、蕾ちゃん。」


「ぅぅ...。ぐるし...。」


今日の夢は、ジャングルの奥地で出会ったニシキヘビに、体を締め付けられ悶絶するというものだった。

なぜ仮谷さんではなくニシキヘビなんぞに絞殺されなければならなかったのだろうか。

自分の脳を恨みながらの睡眠となったため、翌朝の寝覚めが最悪だったことは言うまでもない。

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