第2話 彼女、仮谷優理花という人は

教室中から熱い視線を注がれた私は、消え入りそうな声で


「...私が案内します」


そう言うのがやっとだった。なんて情けないんだろう。

そもそも自分から行動を起こすことなんて久々だった。私のような頂点に君臨する存在には、ふさわしい仕事が向こうからやってくるからだ。不慣れなことはするものじゃない。反省反省。


地獄から抜け出したついでに、前に立つ彼女、仮谷さんの顔を見る。


私が手を挙げたことがよほどうれしかったのだろうか、彼女は何度も、そして大きくうなずいていた。

この子、分かってる。私に手を差し伸べてもらえることがどれだけ幸運なことなのか。


先生もそんな彼女を見て、


「仮谷さん、寝ちゃ駄目ですよ!」


「むにゃ。」


ん?


「ん...む...。」


「仮谷さん!」


なるほどなるほど。

彼女が大きく首を縦に振っていたのは、立ったまま居眠りをしていたからなのか。

さすが私に興味を持たせただけはある。


「なわけあるかっ」


思わずつぶやいてしまった。前の席の人、驚かせてごめんなさい。


◆◆◆


おかしい、どうしてこうなった。ドアを開けてから名前を名乗るまでの間の彼女と、今じゃまるで別人だ。

私とよく似たパーフェクトな顔立ち、透き通るような声、凛とした顔、毅然とした態度、どこを取っても一流だったのに...。


先生に指示されて私の隣に来た彼女の顔を再度確認する。

よし、元に戻ってる。そうこの顔!私が幼いころから待ち望んできた顔だ。

今までは鏡の中でしか会えなかったけど、今日からはちゃんと存在しているんだ。虚像への恋はもう...。


ゴンッ


長年の願いが叶った喜びを噛みしめていたところ、この学園ではまず聞くことのなかった鈍い打撃音で現実に引き戻される。


目を横にやると、机に突っ伏した仮谷さんの姿が目に入る。

優等生の私による推理はこうだ。先ほどと同じく彼女は、盛大に船をこいでいたのだろう。そのヘドバンは徐々に振れ幅が大きくなっていき、机にぶつかることでようやく止まったのではないだろうか。


「むにゃ」


いや起きなさいよ!

いや私も冷静に推理してる場合じゃなかった。早く起こさなきゃ。


「仮谷さん、起きて。まだ授業中よ。」


彼女を揺さぶる手が、わずかにその短い後ろ髪に触れる。ツヤツヤ。サラサラ。なんでこんなに短くしてるのかしらもったいない。美しい顔なんだから伸ばせばいいのに。


「ん...、あと170秒...。」


意外と図々しい子だ。


「もうすぐ1限が始まるのよ?」


「ふわぁ~~~~~~~い」


お願いだからその顔で大あくびなんてしないで下さい、なんだか私まで恥ずかしいから。


「っとよだれが」


間抜けな顔してよだれまで垂らさないでよまったく...。

しかし可愛らしいピンク色の布でよだれを拭く姿が可愛らしいので許す。


「あれ?これリボンついてる?」


「言い忘れたけどそれパンツよ。」


「そうだったんだぁ~。」


そう言っていそいそと、それを取りだしたポケットにしまう。もう完全にハンカチ扱い。


「今日はこれでいっか。」


転校してきて十数分しか経ってないけどそれでいいんだろうか。華の女子高生の肩書きが泣いている。


「教えてくれてありがとう!」


私に初めて向けられたその笑顔は、一人では受け止めきれないくらい魅力的だった。私の顔で純粋な笑顔をするとそんなに可愛らしくなるのか。とても真似できそうにないので瞼の裏に焼き付けておくことを決め、少しの間ガッチリと閉じておく。


「どういたしまして!」


焼き付け終わったので彼女に答えを言ったときには、通算4度目の夢の世界へダイブしていたので私の言葉は宙へ放り出されてしまった。言霊に謝れ仮谷さん。


でもパンツであることを指摘しただけでこんなに感謝されると、私としても悪い気はしないので不問にしておく。


ただパンツにはもう触れないでおこう。この時私は、彼女にこの学園の常識は通用しないであろうことに薄々気づいていた。もちろんそれは大正解であり、この後待ち受ける放課後に嫌というほど実感させられる羽目になるのだが、当時の私がそれを知っているはずもなかった。


私は早くも起こす行為を諦め、彼女の寝顔を思う存分楽しむための策を練っていたのだった。


◆◆◆


「それでは今日はここまでにします。休んでください。」


昼休みを告げる鐘の音が響く。それと同時に生徒たちが一斉に口を開く。授業から一時的とはいえ解放された彼女たちの口の動きは、目で追うことが困難な速さで言葉を発していく。

要約すると、かなりうるさい。


そんなことは全く影響がないらしく、私の隣でスウスウと心地よさげに寝息を立てている仮谷さん。

1限目から4限目まで、7割方寝ていた彼女にとっては関係のない話ということだろうか。


「仮谷さん、お昼だよ?」


別に彼女を起こす義理も、お昼であることを教える義理も、出会って間もない私にはないが、隣の席になったのも何かの縁、いや運命だ。運命ならば仕方がない。このままでは見知った顔もおらず心細い昼食になってしまうだろう。学園の頂点である私が彼女を救済しよう。

私利私欲のためではない、断じて。


「仮谷さん!一緒にお昼食べない!」


「私もいいかな!」


「前の学校の話とか聞かせて~?」


...。

食事というのは味わって食べることが何よりも大切なことだ。そうでなければ食材たちに失礼だ。

私はいつもの場所へ向かうとしよう。それがいい。

彼女も心細い昼食にはなることはなさそうだ。隣の席の責務終了!離脱!


◆◆◆


この学園は名門だけあって敷地面積もかなりのものだ。おかげで、膨大な生徒数をもってしても様々な場所が余っている。もったいないので私はそれらの一部を、昼食時に使うことにしている。

せっかくの綺麗な中庭、誰かが使わなければ花が泣いてしまう。


そしていつものように心細い昼食の時間だ。さっきまで他人の心配をしていた私が、彼女より心細い昼食を取ることになるとは。運命とはなんと皮肉なものだろうか。

そうは言っても、この時間にはもう慣れ親しんでいる。

私は頂点にして孤高、故にこのような事態がたびたび発生してしまう。

入学当初は、何度か他の生徒たちと昼食を共にしてみたこともあった。しかし彼女たちは私がいると緊張で食事が喉を通らないらしく、1週間が経った頃一人の生徒が栄養失調で倒れてしまったのだ。


それ以来私は中庭のベンチに座り、木や花を愛でながら、鳥と歌いながら、昼食を取っている。

誰に声をかけようとも、この学園に拒むものはいないだろう。だがそれで誰かを不幸にしてしまっては私の名が廃るというものだ。さっきも言ったが、この方がより食事のありがたみを感じることができるので、決して嫌いではない。


「卵焼きおいしい。」


希望者に持たせてくれる寮長の弁当は、作ってから時間が経っているにもかかわらず、温かみにあふれている。これこそ彼女の母性がなせる技だ。母性なんて言ってしまうと翌日の弁当が悲惨なことになるので口には出さないが。


「あーんっ。」


あぁっ!?私のコロッケ!!


「おぉ~、なかなかいけますな!」


この野郎今すぐぶち殺してやるどこのどいつだ!?


「こんにちは隣の席の方。」


この人懐っこい笑顔は何度見ても素晴らしい!国宝に指定しよう!国は何をしているんだ!


...。


彼女の笑顔一つで、私の中に渦巻いていた怒り憎しみその他諸々ダークな詰め合わせは、先ほどの卵焼きと一緒に胃で消化されてしまった。


「やっと起きたのね。」


「ちょっと寝すぎちゃったくらいだよ。」


ちょっと寝すぎたくらいで、そんなに頬に痕がつくわけはないのだが。


「さっきの子たちとお昼を食べなくていいの?」


「いやー、質問攻めにあっちゃって...。早めに済ませて出てきちゃった!」


せっかくのクラスに溶け込む機会を棒に振って...。転校生だという自覚はあるのだろうか。

頭ではそんなことを考えながらも、自然と表情が緩んでしまう。


「それで、何か用?あなたにあげるお弁当なんてもうないんだけど。」


ここで彼女に本当の気持ちを曝け出すのも悔しいので、あえて真逆の態度を取ってみる。


「まだ、あなたの名前を聞いてなかったと思って、ね?」


どこか困ったような顔、初めてみる表情だ。笑顔と同様私の心は骨抜きにされてしまう。


「黒崎よ。」


「名前は?」


「...蕾。」


「そっか、蕾ちゃん。放課後もよろしくね!」


そう言って彼女はどこかへ歩いていった。寝ていたように見えたが、先ほどのことはしっかりと覚えていたらしい。彼女の期待に応えるためにも、午後の授業中は学園の観光ガイドを作らなければ。そう決意して残り少なくなった弁当を口に運ぶ。


「初めて呼ぶのが名前なんゲホッゲホッ!!!」


嬉しさと気恥ずかしさから、レタスが喉に貼り付き盛大にむせてしまった。誰にも見られていないことを確認してから、急いで平らげる。


膝の上に乗った空の弁当箱を見た時に、


「トマトくらいはあげてもよかったのに。」


なんて独り言を呟いてしまった。


ベンチの隣が空いていることに寂しさを覚えたのは、ここに来るようになってから初めてのことだった。

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