鏡像のあなた
咲楽
第1話 ウルトラナルシストの初恋
「私がっ!」
ピシリと伸びた手は、天にも届く勢いだった。誰もが驚いたことだろう。だってあの私がこんなことをするなんて。
呆けた顔をしているあなたたちより、よほど私が驚いている。
でなければ、私の顔がこんなに上気するはずはない。
でも、顔の熱さとは反対に、私の頭は冴えていた。
例えば、隣の席の二つ結びの子は、普段とは違う間抜けな顔で私を見つめていることが分かっていた。例えば、二つ前の席のいつも早弁している子は、居眠りをしていたのか目を擦りつつ私を見つめていることに気が付いていた。このように、私に向かう視線の発信源を特定出来るくらいには。
というかクラスメイトの視線はほぼ全て私に向けられていた。
つまり、教室中の視線はめでたく私だけの物となったわけだ。念願叶ったり。
冴えているからこそ、この叫びたくなるような現実がスラスラと理解できてしまう。優等生の辛いところだ。
「ぁ...」
私の体は、あまりの熱さに体中のたんぱく質が硬直してしまったのではないかと思ったが、声は出たので違うらしい。声が出るならばこっちのものだ。さっさと言ってしまおう。言ってこの地獄の最下層から抜け出してしまおう。ほら早く!
「...」
思った以上に私の声帯は出来が悪かった。仕方ないのでクールダウン。何か他のことを考えて一旦落ち着こう。そうだ、今朝の私は何かを間違ったんだ。だから災難に襲われてしまった。そうだ、それしかない!よし、今朝からの出来事を振り返ってみよう。原因究明だ。
大丈夫。優等生たるもの回想も短く済むから。
こらそこ、現実逃避とか言わない。
◆◆◆
ピピピッ
目覚ましは、ほんの少し音を鳴らしただけで一日の役目を終える。次になるのは翌日の朝。消化不良かも知れないが、私の目は覚めてしまうため我慢して欲しい。申し訳ない。
時計の針は6時半、よろしい。いつも通りの時間だ。
二段ベッドの下で眠る先輩を起こさないように注意して梯子を降りる。ソロソロと降りながら先輩を見ると、半目でこちらを睨んでいた。
「うわっ!?」
違った、これ目を開けて寝てるだけだ。別に驚いたわけじゃない。驚いたわけじゃないが腹いせに枕は頭の下から抜いて、足の下に入れておこう。存在するはずもない妖怪枕返しの影に一生怯えるがいい。私を脅かした罰だ。
準備が終わったので、鞄を持って洗面所へ向かう。本当は化粧でもしたいところだが、生憎うちの学校は禁止なのでそれはできない。その代わりに、入念に鏡で自分の顔をチェックする。
ジーっと見つめると、もう一人の私が同じように見つめ返す。
「うん、今日も美しい。完璧。」
私がそう言ってくれるならきっと正しいんだろう。日課終わり。
「おはよう、蕾ちゃん」
食堂へ向かうと、そこにいたのは寮長さんただ一人だった。これもいつも通り。学園から近い寮に住んでいて、この早い時間にここを利用する人は私くらいだ。もちろん理由はある。
寮長さんとはいえ視線を独り占めするのは気分がいいからだ。
ほんの少しの幸福に浸りつつ、私の頭は完全に目覚める。
黒崎蕾の一日が本当に始まるのはここからと言ってもいい。
「おはようございます。」
顔は見えないが、きっと完璧な笑顔をしていることだろう。
「蕾ちゃんはいつも早いわね~、若いのに偉いわ~。」
あなただって私とそう変わらないだろうという言葉はあえて言わない。人の思い通りになるつもりはないからだ。それに...。
「私、寮長さんと二人だけで食べる朝食が大好きですから。」
「も~嬉しいこと言ってくれるわね」
別ベクトルから褒めてもこのご飯の量だ。さっきの言葉を言っていたらどうなっていたことか。
早食いなんて乙女には相応しくない。ので、ゆっくりとよく噛んで朝食を取るようにしている。
今日の献立は白米に焼き魚、それにお味噌汁。朝食には十分すぎるくらいだ。
もちろん白米の量はやや多めだが、このくらいなら特に問題はない。それに、人からの好意は素直に受け取るべきだ。
朝食を食べ終わったので、一息つきながら時計を見る。7時過ぎ、やはりいつも通り。
テーブルに置かれていたお茶を眺める。薄い緑色に染まったその水面に、私の顔がうつる。いい顔だ。これが見られなくなるのは残念だが、喉の渇きをいやすためには仕方がないので渋々湯呑みを手に取る。
お茶を飲みながら、先ほどから続いていた寮長との会話を締めにかかる。
「あら、おかわりは?」
好意はさっき受け取ったので、もう結構です。
なんて言うわけにもいかず、やんわり断りながら寮を出る。
寮から学園へ向かう道はそう長くない。測ったことはないが、距離にして大体4,500メートルといったところか。始業までまだ時間があるので、この道を歩く人もあまりいない。もちろん歩いている数人の視線は、私へと向いていることだろう。わざわざ確かめる気にもならないが。
始業式は数日前に終わったが、道端の桜の木はまだ花を咲かせていた。満開とは言い難いが、七分咲きくらいは残っているだろう。
そんな考えをあざ笑うかのように、春の風が吹き抜ける。
桜の花びらが舞う横で、私の見事な黒髪もなびく。桜も敗北感を感じていることだろう。春の主役に対してすまないことをしてしまった。
桜を意気消沈させながら歩いていたら、いつの間にか校舎に着いていた。誰もいない下駄箱で上履きに履き替えようと扉を開けると、パサリと何かが落ちる。やれやれ、ここの生徒はどうなっているんだ。
女学園ではこれが常識なんだろうか。編入組の私にはさすがに理解できない。
まあ仮に共学校に通っていたとしても、同じ対応をするだけだが。
先ほど感じた不満を露骨に顔に出しながら教室へ歩く。廊下には誰もいないので問題はないだろう。
2-3のプレート、ここが私の教室。と言っても、先日進級したばかりなので愛着があるわけではない。
後ろの扉から教室の端まで向かうと私の席だ。同じ理由で愛着はない。
いつものように教科書とノートを取りだし、授業の予習を始める。優等生は努力を怠ってはならないからだ。しばらく机に向かっていたが、集中が切れてきてしまった。こういう時の解消法は簡単だ。横を見ると、可憐な乙女が窓の外にいるではないか。
「よし。」
ね、簡単でしょう。もっともこんなことは私以外の人には不可能だろう。いや、顔のレベルは関係なく、とんでもないナルシストなら可能かもしれない。しかしそれも哀れだ。
私のように完璧な美しさを持つ者でなければこれは成り立たないのだから。
8時前になると、教室は徐々に普段の姿を取り戻していく。
「黒崎さん、おはよう」
「ええ、おはよう」
頬を染めた相手から朝の挨拶を受けることも、1年以上続けていれば自然と慣れてしまう。彼女たちのような一般生徒のことを意に介すこともないが、特に悪い気がするわけでもないのでこちらからも返しておく。やはりいつも通りだ。
これは別に問題はないが、先ほどのように靴箱に手紙ともなると直接的過ぎて困まってしまう。が、表立って拒否するわけにもいかない。私は誰からの愛を受けることもない。この学園全てからの愛を受けなければならないのだから。よって私の放課後は、週に何度か校舎裏にて消費されてしまう。
学園の全てから愛されるためには必要な試練なのだ、これくらいなんてことはない。
授業の予習を一通り終えたところでようやく担任が入ってきた。朝の挨拶と連絡事項を述べるだけだが、私は聞き漏らさぬよう真面目に耳を傾ける。優等生をこなすのもなかなかに面倒なことなのだ。
「それと、今日からこのクラスに加わる転校生を紹介します。」
ほら、たまに重要なことを言う可能性もあるから聞き逃せない。
しかし、2年生に進級して数日という時期とは随分風変りな転校生だ。
「仮谷さん、入って」
引き戸を開けて、一人の女生徒が入ってくる。下を向いているので顔つきはよく分からない。髪型はショートカットだろう。背丈は、私と同じくらいだろうか。体つきはほっそりとしていて、均整が取れている。ただ胸は、私より豊満だ。しかしそこで価値が決まるわけでもないので気にしない。気にしてはいけない。
一通り観察し終え、私の脅威にはなりえないことを確認したので彼女の紹介を聞くことにする。
「仮谷優里花、よろしく。」
顔を上げた彼女は、
「仮谷さんはご両親の都合で転校されてきました。」
あまりにも美しかった。
「2年生からで難しいこともあるかもしれません」
なぜなら、
「ですからみなさん、困っていたら助けてあげてくださいね」
その顔はあまりにも、
「それで、誰か仮谷さんに学校を案内してあげ」
いつも眺めてきた顔に、
「私がっ!」
そっくりだったから。
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