第11話

 フリオは気絶するように眠りについたあと、早朝に俺たちが起こすまで目を覚まさなかった。

 体調を考慮すると事前に説明をしておきたかったが、起こすこともできなかったので寝起きにすぐ出発という形となってしまった。

 俺も、アリル王子も。もちろんフリオも怪我や病気など体調が思わしくない状態での行軍は慣れているので、文句ひとつ垂れることなくアリル王子の馬車に乗り込んだ。

 「まるで夜逃げみたいだな」と自嘲気味にフリオは笑った。

 それに合わせるわけではないが、なぜ早朝に出ていくのか、というのもフリオにしっかりと説明した。その内容としては、報復のために商会を含めたボルスの身内がフリオを探しており、見つかっては何かと面倒になるから、ということになっている。


 首都メイヴェンからこのジェニシギス伯領の町は近いため、行こうと思えばフリオの姉であるコランに会いに行くことができる。それを防ぐために、期間を置いてコランはフリオの犯した罪を嘆き修道院へ入った、という形で話すことにした。

 カウセス王国には修道院がいくつもあり、様々な理由で修道院へ来る者も多い。探し出すのは、まず無理だと思うだろう。それに、フリオの性格を考えれば探すようなこともしないはずだ。

 男三人が詰まった馬車で申し訳ないな、とヨウリに謝りながら進むこと二日で首都メイヴェンに着いた。

 外では問題なかったが、町中で王族であるアリル王子と平民の俺たちが一緒の馬車に乗っていると色々と問題があるので、メイヴェンに入る前に下車してからはディスハイン家の兵士が駆る馬に乗せてもらいディスハイン公爵家を目指した。

 俺とヨウリとフリオがこれからお世話になるのはディスハイン公爵家。アリル王子とは当分の間、お別れとなる。



 自分とヨウリの分の荷物を背負い、迎えが来るまで待つように、と言われた前庭でジッとしている。

「疲れたか?」

「ううん、全然。でも、すごく大きなお家だね」

 これから世話になるディスハインの屋敷を見ていたヨウリが言った。

「カウセス王国でも指折りの貴族だ。文官寄りの家だが、アインを見て分かる通り武芸にも秀でている」

 生真面目というほどではないが、貴族の中でも真面目な性格の者が多いディスハイン家は気苦労が絶えない一族だ、という噂を聞いていた。それは、良い意味でも悪い意味でもある。

 王様からの信頼が厚く、助け合える仲間が多い代わりに敵も多いというなかなか難儀な立場だった。

「ってか、ディスハイン公爵家ってこんなに大きかったんだな」

 親指と小指を伸ばした状態で腕を突き出し屋敷の大きさを測りながら、フリオは感嘆を上げていた。

「俺は、前庭がこんなに綺麗だったことに驚いたよ」

「確かに」

 俺たちが待つ前庭は、客人を迎えるに相応しく手入れがなされている。

 なぜこんなことを思うのかというと、俺たちが知っているディスハイン公爵の屋敷は魔王軍のせいで屋敷の大きさが半分以下になっており、前庭も潰して畑になっていたからだ。

「皆様が、アリル王子様の客人でしょうか?」

 初めて見る綺麗な風景に心を奪われすぎ、周囲への警戒が疎かになっていたため、背後に近づいていた執事に気付くことができず驚いてしまった。

「あっ、す、すみません」

 突然話しかけられ、三人の中で一番緊張していたヨウリが反射的に謝った。

 俺も続いて謝ろうと振り返ると、そこには柔和な笑みを浮かべる初めて見る顔の執事が居た。

「いえいえ、お気になさらず。お客様に『綺麗だ』と言っていただけて、庭師も木花も喜んでおられますよ」

 俺たちの格好は、どれほど言葉を取り繕うとも平民と浮浪児でしかない。そんな俺たちに対しても執事は笑顔を絶やすことなく、また値踏みし責めるような言い方をしなかった。

 プロだからか、それとも心の底からそう思ってくれているのか分からない。

「あの、俺たち――いえ、私たちはアリル王子の知り合いですが、客などという大層なものではありません」

 俺とフリオは兵士になる基礎訓練をするためにディスハイン家に来た。ヨウリは俺に付いてくる代わりに、ディスハイン家でメイドとして働くことになっている。

「なるほど、そうですか。なかなかしっかりとした動きをしていたので、その姿は変装の類だと思っていましたよ」

「ありがとうございます」

 事実、中身は二十そこそこの兵士なので、この執事が言っていることも間違いではない。

 全く訓練していない体だが、精神に肉体が引っ張られて変化が起きているのかもしれない。

「では、まずお部屋へ案内しましょう」

「よろしくお願いします」

 手ぶらのフリオは物怖じすることなく、執事の後をついて行く。俺は、大きな貴族の屋敷に怖がっているフリオの手をつないで引いて行こうとした――のだが。

「エルケンス! お兄ちゃんが返って来たのか!?」

 ガッポガッポと凄まじい馬蹄の音を響かせてやってきては、俺たちの眼の前で馬を屈倒させて急停止する騎馬兵。

 乱れることのない馬蹄は馬が走りやすいように操作している現れだし、馬を屈倒させても体が傾かないのは鍛えている証拠だ。だが、そんなことを知らないヨウリは驚いて俺にしがみつき震えている。

「お嬢様。お客様の前ですよ」

 エルケンスと呼ばれた執事は、荒れない程度に声を低くしてお嬢様と呼ぶ騎馬兵を責めた。

「えっ? お客さん? この子たちが!?」

 「うそうそ、見えない!」と一人で大騒ぎしているのは、アインの妹のティーダだ。

 女性ということもありアインよりは弱いが、それでも戦いには天賦の才がある、と言わしめた人だ。未来むかしの二つ名は、『暴れん坊』か『猛牛』。どちらも気に入っては居ないようだったが、俺としては暴れん坊を推したい。

 ちなみに、俺に戦い方を教えてくれた先生でもある。俺が死ぬ二年前には、ゴーモエル砦での攻防戦で戦死してしまったが。

「あっ、ユウト……」

 と、突然、ヨウリが袖で俺の顔を拭ってきた。

「えっ? どうした?」

「ユウト泣いてたよ?」

「マジか……。ありがとう」

 懐かしすぎて、自然と涙が溢れてしまったようだ。確かに、暴れん坊だの猛牛だの滅茶苦茶な二つ名が付くような人だが、彼女のお陰で俺はあの日まで生き残ることができた。

「お嬢様、彼を見てもそのような態度が取れますか?」

「うっ……」

 俺が涙を流したのを、突っ込んできた馬にビビったからだ、と勘違いした執事がティーダを叱りつけるように言った。

 初めこそテンション高く俺たち三人を珍しそうに見ていたが、さすがに子供を泣かせることには抵抗があったのか、少しだけたじろいだ。暴れん坊とは思えない反応だ。

「いやー、申しわけない。お客さんは珍しくないけど、君らみたいな人がお客さんとして来ることは無いからさー」

 わはははは、と女性にあるまじき豪快な笑い声を上げた。

 淑やかな女性に成れないティーダはエルケンスにとっても悩みの種なのか、顔を暗くし溜息を吐いた。

「それで、お客さんはいいんだけど、誰のお客さん?」

 俺から直接聞こうとしているのか、代わりに答えようとしたエルケンスを、ティーダは手で制した。苦言を呈することが出来る立場にあっても、こうして拒否されては何も言うことが出来ない。

「貴方の言葉で言ってみて」

「はい。私は、アリル王子にメイヴェンへ連れてきてもらい、ここへは兵士になるための訓練をしてもらうために来ました」

 俺の口から『兵士』という言葉が出たことで合点がいったのか、ティーダはニカッ、と清々しい笑顔になった。

「ほら、やっぱりお客さんじゃないじゃない」

 自分の意見が正しかったからか、エルケンスに大騒ぎしながら報告している。エルケンスの気苦労も多そうだ。

「なら、他の二人も同じ?」

 ティーダは俺の横に居るヨウリと、後ろ――エルケンスの近くに居るフリオを見た。

「僕も、ユウトと同じです」

 一歩引いたような声色でフリオが言った。フリオはティーダが苦手だと常々言っていたので、ここでもあまり関わり合いたくない、と思っているようだ。

 フリオの思いを察知した訳ではないだろうが、それほどやる気が見られないためかティーダの興味はヨウリへと移っていた。

「君は?」

「わっ、私は――」

 ズイズイと来るティーダの気迫に押し負けるように、ヨウリの声は少しずつ小さくなった。そんな彼女の手を強めに握り、代わりに俺が声を上げる。

「彼女は、俺の婚約者です! 離れたくなかったので、連れてきました! これからはメイドとしてディスハイン公爵家にお世話になりますので、よろしくお願いします!」

 言うと、一瞬でヨウリの手が真っ赤になり一気に熱くなった。視線だけでチラリ、とヨウリの顔を見ると、今まで見たことが無いくらい真っ赤に染まっていた。

 そちらに気を取られていると、ティーダが膝から崩れ落ちた。

「兵士になってお金を稼げるようになってから、田舎の彼女を連れてくるのは聞いたことがあるけど、まさか最初から連れてくるのは予想外だったわ……。いっ、田舎の子はそういったのが早いって聞くけど、本当なのね……」

 自分ティーダより年下の子供が、自分よりも進んだ恋愛をしているをしていることに驚いたのか、ティーダは暗い声で呟くように言った。

 しかし、すぐに気を取り直すと俺をキッ、とした強い視線で睨みつけてきた。

「女連れで、兵士になれるとでも思っているの?」

なる・・んですよ! それに、俺は守る人が居たほうが生きることに張り合いが出る、ってことに気付いたんで!」

 今度は、両手で顔を覆い沈み込んだ。沈むティーダに合わせた訳ではないだろうが、ヨウリも顔を伏せて手をプルプルさせている。

「あー、よしよし。君、名前は?」

 覆っていた手を外して立ち上がったティーダは、負けたような、諦めたような変な顔をしながら聞いてきた。

「ユウトです」

「よし、ユウト。兵士になりたいなら、私の下につきなさい。私の下に居れば、立派な兵士――騎士にしてあげるわ」

「お嬢様! またそのような勝手なことを!」

 俺とティーダのやり取りを見ていたエルケンスが、今度こそ声を荒げた。

 ディスハイン家で兵士として取り立ててもらうなら、まずは当主に挨拶をして、その後、長男のアインに相談することで初めて振り分けがされる。

 それに、普通ならどこかの部隊に入りそこから始めるのが普通だ。

 しかし――。

「願ってもいない話です! よろしくお願いします!」

 俺はエルケンスを無視して、ティーダにお願いしをした。やはり、ティーダの方が慣れているし、戦い方としても合っていると思うからだ。

「よし来た。なら、まずは手合わせね。兵士になろうとしているんだから、それなりに自信があるんでしょ?」

「もちろんです。近いうちに、ティーダ様を乗り越えて見せますよ」

 未来むかし、俺が出来なかったことをまずは第一目標にしようと思う。

「面白いわね。なら、その鼻っ面を叩き潰してあげよう」

 それにこういった方がティーダも本気になり、張り合いが出るからだ。

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