第10話

 あえて、アインやディスハイン家の兵士の肩を借りることなく、今夜の宿までは俺とアリル王子がフリオを担いでいった。

 途中で何度も「一人で歩ける」と言い一人で歩き出そうとしたのだが、その足取りは心許なく今にも転んでしまいそうだったので、三回目に挑戦しようとしたところで止めさせた。

 身なりの良いアリル王子と田舎臭い平民に担がれた、ボロボロのスラムから来たと一目で分かるフリオ。さらに俺たちの後ろから護衛のアインたちが付いてきているので、町の人々にはさぞ奇異に映っただろう。

 やっとのことで宿までたどり着くと、上階から俺たちが戻ってくるのを見ていたのだろう、ヨウリが一階の居酒屋までわざわざ降りてきてくれていた。

「あっ、おっ、おかえり……」

 胸元でぎゅっ、と手を握りながら、ヨウリは俺たちが帰って来たことを労ってくれた。

「あーっと、誰だっけ……? ミーティア?」

「ミーティアは山の民だ。まだ会っていない。あの子は、ユウトの身内だ」

「そうか……」

 ミーティアとは、俺たちと共に魔王討伐軍に参加した、山の民と呼ばれる山岳民族出身の戦士だ。

 髪色は似ているが、容姿は全く違う。ミーティアは、戦士というだけあって眼光が人のそれではなかった。ヨウリとは似ても似つかない存在だ。

 ヨウリがミーティアではないと知ると興味が無くなったのか、フリオは酒場の奥にあるテーブルの椅子に腰かけた。その様子を店主は視線だけで確認すると、すぐに目をそらし再び作業に戻った。

 店員も同じく注文を取りに行こうか迷うそぶりを見せたが、それもほんの一瞬のことで、今はテーブルの跡片付けをしている。どちらも店を運営している人間としては良くない対応だが、そうせざるを得ないくらい俺たちは異質に映っているのだ。

「ヨウリ」

「なに?」

フリオこいつの治療をしてから上に行くから、もう少しだけ部屋で待っていてくれないか?」

「――うん、分かった」

 これから話す内容は、子供のヨウリにはあまり聞かせたくない内容になるはずだ。ヨウリもそれを察してか、さしてわがままも言うことなく護衛の兵士を引き連れて部屋へ戻っていった。

 ヨウリが部屋に戻るため、奥に続く通路へ入ってから少し間を置き、フリオへ顔を向けた。

「フリオ、何で牢屋なんかに入っていたのか理由を教えてくれるな?」

 フリオの報を持って来たディスハイン家の兵士が言うには、フリオは因縁の無い男性を殺したことにより投獄されていた。それの意味が分からなかった。

「姉さんの彼氏を殺した」

「……その彼氏は――フリオのお姉さんに対して酷いことをしていたのか?」

 フリオに姉が居ることは、本人の口から聞いて知っている。血はつながっておらず、スラムで生きてくためのコミュニティ上の姉ということだったはずだ。

「今は……な。でも、4年後に胸糞悪いくらいめちゃくちゃにして殺すんだ。しかも、殺した後に『こんなことになるとは思わなかった』ってさ。で、ここに戻って来てからその彼氏――あぁ、ボルスっていうんだけど、そいつの顔を見たら一気に頭に血が上って……」

 話の途中から、当時の様子を思い出してしまったのかフリオは殺気立っていた。しかし、言い終わる頃にはボルスを殺してしまったことに対して後悔の念が強いのか、言葉尻が震えていた。

「フリオ――」

 静かに話を聞いていたアリル王子が、うなだれているフリオの前に立った。声と共に自分にできた影を――アリル王子を見上げた瞬間、その顔面に拳が飛んだ。

「バカがッッ!!」

「ガハッ!?」

 ゴッ、という鈍い音と共に、フリオが勢いよく飛んで行った。横一回転して後頭部から壁に突っ込んだが、あれは下手したら首の骨が折れている可能性もある。

「あっ……がぃ……ぎ……」

 焦点が定まらないのと、顔面の痛みに意識がハッキリとしないのか、フリオは頭をガクガクと小刻みに震わしながらアリル王子の方を見ようとしていた。

 たぶん、追撃に対応しようと体を動かそうとしているのだろうが、脳震盪を起こしていて上手く動けないようだ。そんな状態のフリオにアリル王子は手を貸す――わけもなく、そのまま胸座を掴むと無理矢理引き起こした。

「お前のお姉さんについては、残念だったとしか言いようがない。だがな、今のボルスはお前のお姉さんを殺した男とは別の人間だ。お前は、無関係の人を殺したんだよ!」

 アリル王子は、フリオを睨みつけ怒鳴った。

「んな――グッ……んなこと分ってんだよ。魔獣に殺られたならまだいい。でもな! 姉さんは、信じていた男に殺されたんだ! 姉さんだけじゃなく、俺たち皆が信じていたのに、身勝手な、クソ甘えた理由でな!」

 脳震盪が収まって来たのか次第に語気を荒くし、最後はアリル王子と同じように互いに胸倉を掴み合う形で怒鳴った。

 酒場で喧嘩をすれば店主か、雇っている用心棒がやってくる。遠巻きに見ていたとはいえ、さすがに今の音では飛んでくると思ったのだが、アリル王子とフリオを中心にして半周を囲うようにディスハイン家の兵士が立ち目隠しをしていた。

 その隙間から店側を見ると、迷惑そうな店主とその用心棒たちだろうか、人相の悪い奴らがこちらを見ていた。だが、それ以上は何もしてくることはない。

「姉さんが! 姉さんが殺されたんだ! グチャグチャになって! 綺麗で、優しかった姉さんが!」

「止めろ!」

 怒鳴る勢いのままフリオは拳を握り締め、アリル王子に殴りかかろうとしたところを寸でのところで止めた。

 王族だの国家だの関係なくなっていた未来むかしならいざ知らず、アリル王子は今現在、カウセス王国の王子だ。殴れば、友人であったとしても捕まる。

 今も、もし俺が上手く止めていなければ脇で控えていたアインが、鞘に納めたままの剣で殴っていただろう。殴りかかる拳だけを止めるのではなく、狙いやすい頭を思い切り。

「フリオ、落ち着け。辛い記憶も今はリセットされた、まっさらな状態だ。『許す』なんて傲慢な言葉は今この世界では使うことは許されない。この世界では何も起きていないし、今のお前はただの過ちを犯した――その男と同じだ」

 俺が言うと、フリオは大きく腫れた目を大きく見開いた。すると、今までアリル王子に殴りかかろうとしていた腕に力がなくなり、ダラリとさがった。

「俺たちは、未来を変えるために戻って来た。最悪の未来を変えるために、大なり小なり犠牲は出るし、出すことを厭わない。だが、お前のやったことは、出さなくても――出してはいけない犠牲だ」

 追い詰める気はないんだろうが、アリル王子の言葉は厳しかった。誰かが――俺かアリル王子の二人しかいないのだが、言わなければいけないこととはいえ、どうしてもやるせない感情が溢れ出てくる。

「なら、どうすれば良かったんだよ……」

 フリオは目から大粒の涙を流し、苦しそうに問う。

「未来を変えるために俺たちはここに戻って来た。お前の知る未来を変える力が、俺たちにはあったんだ。だがお前は、それを間違えたことに使ってしまった。お前は、ボルスの家族に謝罪をし、その罪と向き合って生きていかなければならない」

 ボロボロととめどなく涙を流すフリオは、しかし、キッ、と視線を強くしてアリル王子を睨んだ。

「――そして、すまなかった」

 睨みつけ、口を開こうとしたフリオは、アリル王子からの突然の謝罪に面食らったように止まった。

「俺がもっと早くお前を見つけ出し、相談に乗れていれば良かった。俺がもっと効率よく家族を説得し、もっと早く見つけられていれば、もっと別の世界が広がっていたかもしれない」

 アリル王子は声を深くし、呆気にとられるフリオをしっかりとした視線で見た。

「本当にすまなかった」

 そして、強くフリオを支えるように抱きしめた。

 辛かっただろう、寂しかっただろう、とアリル王子が話しかけるたびに、フリオは再び大粒の涙を流し始め、次第に嗚咽が漏れだした。

 アリル王子の婚約者は、死んだと思われた王子の後を追い死んだ。ヨウリは、結果として死んだことが分かった。だが、フリオは愛する人を死体として見ている。さらに、殺した相手が目の前に居る。

 もちろん、俺だって死体は見慣れるくらい見てきた。どんな状態の物でも。

 だが、フリオは何の免疫もない幼少期に、大切な人で見せられた。心の傷は深かったのだろう。

 それが再び訪れるかもしれない、という状況は凄まじいストレスとしてのしかかっていたのかもしれない。それにこの先、魔王軍が侵攻してきて人類は滅亡するなんて話は誰にも相談できないだろうし、誰も信じないだろう。

 フリオは泣き崩れるように座り込んだ。しかし、先ほどまでのような張り詰めた感は見られず、今は一人の人間として感情が発露しているようだった。

 未来むかしの仲間が見たら驚くだろうな。いつも飄々として、前線で戦いどんな敵にも引くことなく立ち向かっていった、魔王討伐軍最強の騎士フリオがこんな風に泣くとは、誰も考えたことすらなかっただろう。



「様子はどうだった?」

「まだ寝ていたよ。よほど疲れていたんだろう」

 あの後、フリオをベッドまで連れていくと安心したように眠りについた。

 今は消化に良い食事を作ってもらい部屋まで持って行ったのだが、フリオは俺が入って来ても目を覚ますことなく、静かに寝息をたてるだけだった。

「本当なら無理にでも食事をさせて栄養をとった状態で寝かしたいが、今はまぁしょうがないだろう」

 本気とも冗談ともとれる口調で、アリル王子は言った。

「この調子なら、もう2~3日は動けそうにないな」

「日程としては危ういが……。まぁ、無理してもいけないからな」

 アリル王子の旅行日程としても、そろそろ城に戻らなくてはいけないだろう。

 しかし、傷を負い体調を崩しているフリオを引っ張りまわすのも危険なので、それを考えればもう少しこの町に留まり療養したい。

「ただいま戻りました」

 酒場の一角に陣取る俺たちの元に来たのは、町へ――フリオの姉を調べに行かせたディスハイン家の兵士だった。

「どんな状況だった?」

 軽い調子で聞くアリル王子に対し、ディスハイン家の兵士は背筋を伸ばし答える。しかし、声をひそませて。

「彼の姉の名はコランという名前でした。ですが、そのコランと言う方は、すでに亡くなっていました」

「なっ!?」

 息を詰まらせるアリル王子と違い、俺が驚きの声を上げてしまった。

 結果として間違えだったが、フリオは姉を生かすためにボルスを殺した。なのに、なぜだ?

「そっ、それはなぜ?」

 間違えであってくれ、と願うが、情報が錯綜している訳ではないこの場でそれはない。しかし、そう願わずにいられなかった。

「ボルスの身内により、すでに殺されてしまったようです」

「――フリオがボルスを殺したからか? その身内はどうなっている?」

「殺したのが、スラムの人間フリオだったのが祟ったようです。身内ボルスを殺された報復として、彼の姉とその仲間たちが……。役人は抱かれているのか、動いている様子はありませんでした」

 だから、ここの市長はフリオを渡そうとしなかったのか、と合点がいった。

 フリオの姉と仲間には申し訳ないが、こうなったのはフリオのせいだ。しかし、それを彼に伝えられるはずもなく。

 アリル王子の方を見るが、王子も力なく首を振るだけだった。

「出発は、明日の夜明けとする」

「ハッ」

 予定の繰り上げを予想していたのか、ディスハイン家の兵士はアリル王子の言葉に静かに返事をすると、この場を去っていった。

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