第9話
ゴトゴトと、整地されていない道を、馬車を揺らさないように御者が乗り上げる場所を選びながら馬を走らせているのが、車内に居ながらよく分かった。
とても腕が良い御者なのだろうが、さすがに道が悪すぎて腕でカバーできる領域を越えていた。
これが普通の乗合馬車や普通の馬車であるなら、村を出て一時間も進まない内に尻が痛くなり、次の村か町へ早く着かないものか、と待ちわびて過ごしているところだろう。
しかし、シートのクッションに綿がたくさん詰められたものが使われているので、尻への衝撃がかなり少なくなっている。
ヨウリは、馬車を使った遠出は今回が初めてなので、乗った馬車がディスハイン家の馬車で良かったと思う。おかけで、ヨウリは長時間、馬車に揺られているというのに疲れた様子も見せずに流れる景色を静かに見ていた。
「そういえば、ユウトの友達ってどんな人なの?」
ヨウリからフリオがどのような人物か聞かれるが、あいつはなかなか答えに窮する人物なので、どう答えていいものか迷う。
「フリオなぁ……。よく分からん奴だったな……」
良く言えば、飄々として掴みどころがないが、戦闘ともなれば頭が切れて常に前線で魔物と戦う頼もしい男だった。悪く言えば、精神に不調を抱えているような不安定さがあり、身を挺し仲間を守る男ではあるが、逆を言えば向こう見ずの気が強いと言えた。
どちらともとれる人間だったが、それでも良い仲間だった。
「そっか。早く会いたいね」
「あぁ」
フリオについて包み隠すことなくヨウリに説明した。人物像が人物像なだけに引かれると思っていたが、ヨウリはさして気にした様子もなく普通にしていた。
まぁ、たぶん言われたところでどんな状態の人間なのか理解していないんだろう。
俺と顔を見合したアリル王子は肩をすくませると、馬車の背もたれに体を預けて目を閉じた。
ジェニシギス伯領の町までまだまだかかる。急ぐことも大切だが、体を休めるのも大切な戦いだ。
★
ジェニシギス伯領の町まではあれから三日かかった。
三日という日程を聞くとそれほど遠く離れていないような気がするが、これはディスハイン家がアリル王子に大変協力的だったからだ。
フリオの捜索は、アインの父でありディスハイン家の当主も知っているので、フリオが見つかり次第、アリル王子に伝令を出すと共にジェニシギス伯領までの道のりの要所要所に替え馬を用意してくれていたのだ。
なので、馬を潰すことなく、乗っている人間さえ問題なければかなり無理をした行軍をすることができる。その結果が、この三日という日数だ。
ディスハイン家の騎馬兵たちは、フリオが居るジェニシギス伯領の町へ着くころにはがに股でしか歩けなくなっている状態で、馬車に乗る俺たちもシートが柔らかいにも関わらず、尻の痛みで上手く歩けないくらいになっていた。
「アインは大丈夫か?」
この町を管理している市長に会うためには、色々と手続きがある。王族のアリル王子であればその辺りをすっ飛ばして面会することが出来るが、色々と印象が悪くなってしまう。
なので、一度アインを遣いとして市長にお伺いをたてて、約束を取り付けた後に改めてアリル王子が訪問する流れとなっている。
だが、先も言った通り無理な行軍のせいでアインを含むディスハイン家の騎馬兵士は皆、股間に不調を抱えてしまっている。なんとも情けない格好だ。
「大丈夫です。問題ありません。王子はこちらでお待ちください。話は通っていると思うので、すぐにでも面会できるように手配してきます」
「頼んだ」
さすがディスハイン家の跡継ぎというべきか、他の騎馬兵とは違い何とか体裁を保っているアインは背筋を正して、同じく何とかなっている部下二人を連れて市長宅へと向かった。
「今日はこの町で休めるんだろ?」
移動中の天幕での寝泊まりは何とかなるが、こういった町での滞在費はアリル王子持ちとなる。俺とヨウリは田舎の村の出で、いちおう両親からお金を貰ったけど宿に泊まってしまったら一瞬で蒸発してしまうほど儚い金額だ。
「そうだ。さすがに全員に無理をさせ過ぎたからな。今日はここで宿を探して泊まろうと思う」
アリル王子の言葉に、警護――という名目で動けなくなっているディスハイン家の騎馬兵は安堵の息を吐いた。
「アインが戻り次第、俺たちは市長の家まで行くつもりだ。ヨウリは、先に宿で休んでおくか?」
「うっ、うん……。そうしたい……」
ヨウリは、上目遣いで非常に申し訳なさそうに小さく呟くように言った。
「ヨウリ、そんなに気にすることは無い。
負担をかけているのは十分理解していた。しかし、フリオの状況が分からないので、あまり休憩していられなかった。
だから、安心させてあげられるように、ヨウリの頭を撫でた。
「それより、辛いにも関わらずここまでよく我慢してくれた。それに、自分の体の調子を理解して、休みたいと申告してくれたのは、本当にありがたい」
訓練していない人間が無理をしても、その結果は見えている。空元気で無理をしてもらうより、無理だと申告してもらったほうが周りへの説明がつくぶん、指示する側としてもありがたい。
自分からついてきた手前、弱音を吐かないように頑張っていたのか、俺から褒められたヨウリの目尻には少しだけ涙がついていた。
「王子、ヨウリを先に休ませたい。宿はどれを使えばいいんだ?」
アリル王子に今夜の宿泊所について聞くが、アインから聞いていなかったようで肩をすくめるだけだった。その代わり、部隊の副隊長が一歩前へ出た。
「私が案内します」
泊まる宿が元から決まっていたのか、滞りなくヨウリを休ませる宿が確保できて安心する。
「一人で大丈夫か?」
「うん。ごめんね」
「謝るな。これは、仕方がないことだ」
アリル王子の客人として扱われているヨウリは、案内役の副隊長と共に騎馬兵二人を引き連れて宿に向かった。宿に着いてからは、一人を警備に置いてくる手はずになっている。
村では半魔獣化したクマが発生していたので警備に兵士一人とは何とも心許ないが、町中であれば異変にも早く気付けるだろうし、この町は市長が管理する領主の兵士も居る。
何か問題が起きたとしても、村とは違い時間稼ぎくらいはできるだろう。
★
アインが市長との面会の約束を取り付けて帰ってくると、そのままの足で市庁舎へと向かった。
この町は首都メイヴェンと近いこともあり商人の往来が盛んで税収も良いと聞く。そのせいか町全体に活気があり華やかだ。
市庁舎も古くに建てられたと思われる建築様式となっているが、外装は改築されているようで現代の流行を汲んだ物となっている。
金があるというのは凄いことだな。俺が知っている
「ようこそいらっしゃいました」
市長は、アリル王子だけではなくそれほど良い恰好をしていない俺にも握手をして、わざわざ挨拶までしてくれた。
俺が居た村は地方領主が管理しており、そこから来る徴税をする徴税管は非常に感じが悪い奴らだった。もちろん、領主だって良い人間ではなかった。
王族が相手ということもあるのかもしれないが、市長の性格が予想と全く違っていたので戸惑ってしまった。
「早速で申し訳ないが、こちらで捕らえられている人間を引き渡していただきたいのだが」
「それは構いませんが、その理由をお聞かせ願えますか?」
滅茶苦茶になってしまった魔王軍侵攻後の国では、王族というのは一種の勝利へのシンボルだった。アリル王子の家族は文武両道か武闘派の人間が多く、常に前線に立ち
だから、俺が知るアリル王子が一声かければ、多少の道理は曲げることが出来た。だから、こんな町の市長がアリル王子に意見することが信じられなかった。
「彼は重要参考人となっています。全ての処理はこちらで行いますので、ご了承ください」
アリル王子に補足するように、隣に立つアインが言葉をつなげた。
「重要参考人……ですか。それは、懲罰部隊に送るための方便ではないのですか?」
「貴方は、今誰を前にしてその言葉を吐いているのか理解していますか? その言葉は侮辱以外の何物でもなく、貴方は今この国の王族に唾を吐いたも同然なんですよ?」
市長の失礼な物言いに、アインは静かに怒気を含んだ声で言った。アリル王子の元へ来てから日が浅いというのに、その動きはもはや俺の記憶にあるアインと同じだった。
アインの怒気を含んだ言葉を受けても、市長は若草のようにそれを受け流している。まったく気にしていない、とまではいかないだろうが、調子を崩すといったところまで相手の気持ちはゆすぶられていない様子だった。
二人の睨み合いにも似た牽制に対し、アリル王子はアインを下がらせることで止めた。
「確かに、重犯罪者は懲罰部隊へ入れ、死ぬまで終わらない危険な任務に従事させることがある。しかし、今回は罪状を鑑みてもせいぜい強制労働所止まりだ。懲罰部隊へ入れられるはずもない。私は、今捕まっている者が重要参考人なので引き取りに来ただけだ」
静かな空気が流れる。熱を含まない会話というのは、いつ聞いても寒々しく、重要だと思う前に面倒くさくなってしまう。
「――それとも、何か渡せない理由でもあるのか?」
問い詰める様ではない、自然に、天気でも聞くような態度で放たれた言葉。問われた相手はただ普通に答えればよい問いだったにも関わらず、市長の眉が動き、一瞬顔が強張った。
一瞬、本当の一瞬だったが、俺も――たぶん、アリル王子も見逃さなかった。
「あれは犯罪者ではあるが、町の一部の人間から嘆願が届いている。それに、王子様がおっしゃられていたように、罪を償うのは懲罰部隊ではなく強制労働所です」
「そこは問題ない。嘆願が来ていることも理解しているが、それ以前に懲罰部隊には送らない。あくまでも重要参考人として連れ出すのであって、それ以上は何もない。それとも――」
言葉を区切った次の瞬間、アリル王子は今までとは全く違う、凄みのある眼で市長を射抜いた。
「――そいつが遊び道具にされて、すでに死んでいるわけではないだろうな?」
アインに凄まれた時は平然としていた市長だったが、アリル王子に睨まれた瞬間、市長の額には玉の様な汗が吹き出し、目は小さく揺れ焦点が定まらなくなっていた。
伊達に死線をくぐっていない。目の前で仲間が肉片となり、死体を踏み潰し、自らの肉体も魂もすり減らしながら戦い続けた人間だ。
戦を知らないただの人間には、この視線はキツいはずだ。
「そっ、そんなことは……」
「なら、この話はここで終わりだ。今すぐ、牢屋まで案内しろ」
有無を言わせず話を終わらせた。
市長はそれ以上何も言うことなく、かといって素直に案内をする気はなかったのか、部下を呼び俺たちを牢屋まで案内するように言いつけると、どこか別の部屋へ行ってしまった。
余りにも酷い王族に対しての対応ではなかったことに憤慨する俺に、アリル王子は市長が王族の末の末の末席に位置していることを教えてくれた。
別にこれといって力を持っている訳ではなかったが、親族付き合いということもあるそうで、初めから強い態度で出るつもりではなかったそうだ。王族も貴族もなんとも面倒くさい生き物だと思った。
★
市長の部下に連れられて来た地下牢は、よく見る薄暗く不衛生な物だった。ろくに掃除もされてないようで、溜まった人臭や食べ物が腐った酸えた臭いが漂っていた。
入り口からみて奥の方。さらに空気が澱んだところにある牢屋まで案内された。どうやら、そこが、フリオが捕らえられている牢屋らしい。
「フリオ、生きているか?」
牢屋の前に立ち、中に居るはずのフリオに声をかけるアリル王子。
その言葉に返事するように、奥に転がっていたボロ布の塊が、のっそりと動いた。
「あはは、遅かったじゃん。死ぬかと思ったよ」
ヨタヨタと覚束ない足取りで近づいてきたのは、殴られたのか顔を大きく腫らしたフリオだった。声色や話し方から間違いはなかった。
因縁の無い人間を殺した、と聞いた時は、魔王に
「手ひどくやられたな」
まぶたが腫れているせいで目が見えていないか、声をかけることでやっと俺の存在に気付いたのか、いつもどおりしまりがない、ニヘラとした笑いをした。
「人間にやられただけだから、化けもんにやられた時に比べたら全然」
「確かに」
フリオが半分笑いながらいうと、つられて俺も笑ってしまった。確かに、今まで戦ってきた魔獣といった存在に比べたら、人間にやられるくらいどうってことは無かった。
「よし、フリオが見つかった。ここから出してやってくれ」
「あぁ、ちょっと待ってよ……。あれっ、あれはやらないの?」
すぐに治療を始めたいアリル王子は、市長の部下に言って牢屋を開けてもらおうとしたが、なぜかフリオはその前に何かをやろうとし始めた。
それについて、俺は思いつかなかったが、アリル王子はすぐにピンと来たのか、咳払いをすると周りの陰鬱とした雰囲気を吹き飛ばすような声で言った。
「太陽は我々を照らし」
「魔を滅す」
アリル王子の言葉に、フリオも合わせ言葉で返す。それを聞き、俺も気付いた。確かに、これは相手が本物かどうか確かめるための符合であると同時に、一種の声の掛け合いでもあった。
「月光は我々を照らし」
「魔を滅す」
次にフリオの言葉に対し、俺が返す。
「我らが行く先に仇なすものは何もなく」
「我らの後にも何もない」
再びアリル王子の言葉に続き、フリオが答える。
「「「我らが作る道こそが、我らの絶対の証である」」」
最後は三人で言葉を紡ぎ、締めくくった。
しかし、衰弱が進んでいるのか、言い終わるとフリオは牢屋の鉄格子にもたれかかり、ゴホゴホと辛そうな咳をした。
それでも、辛そうな咳とは裏腹に顔は満足そうに微笑んでいた。
「早く開けてやれ」
「はっ、はい」
アリル王子に半分怒鳴るように命令された市長の部下は牢屋の鍵を開けると、鉄格子にもたれかかるフリオに扉が当たらないように注意しながら開いた。
ただの子供の人殺しだと思っていた罪人が、第四王子とはいえ王族と普通に言葉を交わしているのだから、何か重要な人物だと思ったのだろう。
「おら、大丈夫か?」
「無理に動こうとするな。体重を俺たちに預けろ」
アリル王子と俺に担がれながら、フリオは牢屋から出ることが出来た。
「やっぱり、ユウトの方が先に会えたんだね」
「当たり前だ。お前は自分のことを全く話さなかったから、どこにいるか探したんだぞ」
「ごめん、ごめん」
だが、本当に運が良かったとしか言いようがない。見つけることができずあのままだったら、遠からず衰弱死していただろう。
「フリオ、後でちゃんと理由を説明しろよ」
俺たちの目的は決まっていたハズだ。それなのに、戻って来てそうそう因縁の無い相手を殺すという無駄の極みともいえる行動の説明をしてもらわなければいけなかった。
俺からの言葉に、フリオは少しだけ迷った様子を見せた後、すぐに頷き、気絶するように眠った。会えたことがよほど嬉しかったのか、その顔には涙の跡があった。
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