第7話

 魔獣化しつつあったクマを屠った場所から数十メートル下った木々が開けたところに、アリル王子がいった罠がある。それは、仕掛けた罠の中では少々特殊な物だ。

 他の罠が一頭一頭丁寧に確実に仕留める罠だったが、この罠は対魔獣用に使うことを前提とした実験的な罠だ。一頭を傷つけ、その声と臭いに釣られたクマを含む他の獣を別の罠にかけるという、酷く残虐的なもの。

 先も言った通り、無闇に痛みを長引かせると肉質が悪くなるし、そもそも食料となってくれる獲物に失礼だ。だから、この罠は俺がすぐに確認できる、この木々が開けた場所に仕掛けた。

 他の理由としては、これだけ大きな仕掛けができるのは、この辺りくらいだったから。

「よし」

 目的地に着いたところで、俺は手に持っていた先ほど狩ったクマの頭を投げ捨てた。

 見失うことは絶対にないと思うが、万が一のことを考えて、俺たちを追いかけてくる魔獣化したクマが追いかけやすくする為にクマの血という足跡を残してきたのだ。

「それで、ここの罠で狩れるのはせいぜい四頭くらいだ。何頭来るか分からんが、全部殺していいんだよな?」

「構わない。どちらにせよ、このまま野放しにしておけば村まで降りてくる可能性がある」

 その理由は、どちらも人間のせいだけどな。酷く傲慢なのは重々理解しているけど、クマなんぞの命より、村の人間の命の方が俺にとってははるかに重く重要だ。

「弓隊が来たな」

 撤退するまでの足止めとして置いてきた、弓隊がやって来た。弓隊とはいっても、部隊の中に五人しか居ない弓装備を持っている兵士なので、隊というには心許ない人数だが。

「弓兵にこれを渡してほしい」

「何だこれは?」

 俺がアリル王子に差し出したのは、果実のタネを二つに割って作った軟膏入れだ。その中には、汚い茶色をした臭みがある強い粘性の液体だ。

「毒だ。かなり強いから、傷口に少しでも付いたら大変なことになる」

 言うと、毒入れに手を伸ばそうとしていたアリル王子の手が一瞬で引っ込んだ。しかし、その判断は正しい。

「王子、お下がりください。オデルラ――」

 アリル王子に毒を触らせようとした――ように見える俺との間にアインが入ってきた。若干睨んでいるように見えるのはなぜか?

 アインに呼ばれた弓兵は俺から毒入れを受け取ると、落ちている枯れ枝を使い毒をひとすくいすると他の弓兵に渡した。

 弓兵は毒が付いた枝を左手の小手に挟み込むと、矢入れから取り出した矢の矢じりに毒を塗り、クマが駆け下りている山肌へ向けた。

「さっきのクマは何だったんだ? やたら皮膚が厚いようにみえたが?」

 迎え撃つだけとなったこの場で待機することとなった槍装備のフィスパーが、先ほどのクマについて聞いてきた。

半魔獣ボーダーは、元の生き物の習性をなぞる。見てくれが多少変わっていようとも、あれは少し生き汚くなった・・・・・・・クマだ」

 俺が答えるより早くアリル王子が答えた。少々口が悪くなっているのは、未来むかし散々苦しめられた存在だからだ。

「それより、ボーダー共が来るぞ。弓隊構え!」

 バキバキバキ、と木々をへし折りながら突進してくるクマの集団。数にして十頭くらいだろうか?

 予想よりだいぶ数が少なく、拍子抜けしてしまう。

 これが魔獣であれば恐怖に足る数だが、半魔獣ボーダー程度なら問題は無い。

「放て!」

 俺たちとクマはだいぶ距離が開いているというのに、アリル王子は早々に矢で射るように命じた。獣に牽制など意味はないが、どうするつもりだろうか?

 などと考える間もなく、斉射された矢は一頭一本――つまり一人ひとり狙ったクマに、正確に当たった。

「おぉ……っ!」

 未来むかしでは、弓兵という兵種はかなり数を減らしている。それは、ほとんどの魔獣や魔族に矢が通じないからだ。通じたとしても、目や傷口、または口腔内といった弱い部分にまぐれで刺さるくらいだ。

 それに、弓兵は育てるのに時間がかかる。リーチを生かした特性は時として有用だったが、それをするより陣を組んで槍や剣で叩き潰した方が、はるかに効率がいい。

 なので、魔王軍と戦っていた時はまともな弓兵を見たことがなかった俺は、今目の前でクマを射った弓兵の腕前を見て驚き声を上げた。

「毒を塗ったとしても、ボーダー共は死なん! 残りも含めて、一頭三本ずつ刺しておけ」

 駆けているクマの体は大きく揺れているというのに、一本も外すことなく正確にクマに当てるディスハイン家の弓兵。確かに、相手が人間であれば、これは脅威だ。

 距離にして30メートル。かなり距離を離した状態で、全てのクマは動かなくなった。その全てに、きっちりと三本の矢が刺さっている。

「息をしているということは、まだ動くということだ! 油断なく、離れたところからトドメをさせ!」

 毒が体を回り半死状態にあっても、ここから一瞬だけ動く可能性があるというのが獣の恐ろしいところだ。半魔獣ボーダーともなれば、一瞬が数瞬になる。

「ユウト、どう思う?」

「ん……? あぁ、もう後続は居ないようだな」

 言葉が足りないせいで意味を汲みかねたが、アリル王子は山を見ていたので増援の有無を考えているのだろう、と当たりをつけて答えた。

「違う、こんな田舎で魔獣化していることについてだ」

 違ったか。

「あぁ、そっちか。前は・・、こんなことは無かった。正直な話、俺だって驚いている」

「お前が話した村を襲ったクマが、実は魔獣化したクマってことはないか?」

「可能性は有るかもしれないが……。今考えても、あれは普通のクマの強さだったと思う」

 アリル王子の考えていることももっともだが、魔獣や魔族だけではなく魔王とも対峙した経験を持つ今の俺が思いだしても、あの時のクマは魔獣化していなかったと思う。

 もちろん、半魔獣ボーダーだった可能性もあるが。

「それに、魔王軍侵攻が始まってから、各地で魔獣の発生が確認されたが、この村は大丈夫だった」

「だとすると、かなり問題が出てくるな……」

「なにがだ?」

「お前は、半魔獣ボーダーのクマは居なかったと言っている。だが、今こうして居る。つまり、流れが変わった可能性がある」

「まさか、魔王か!?」

 魔王と対峙したとはいえ、その全貌は明らかになっていない。もしかしたら、暴虐の魔女によって過去に戻った俺たちに対して、何らかの攻撃を仕掛けている可能性もある。

「可能性の話だ。ただ――」

「ウワァァァァ!!」

 王子が続きを言いかけた瞬間、兵士の叫び声が聞こえた。

 兵士は、アリル王子を守る部隊とクマにトドメを刺しに行った二部隊しか居ない。叫び声など、考えるまでもなかった。

「どうした――ッ!?」

 声がした方を向くと、死んでもおかしくない傷を負ったクマが、他のクマを食らっているところだった。

「不味い、同化だ!」

 魔獣は、その身の回復と強化のために、他の魔獣を食うことがある。お陰でかなり苦戦を強いられることになったが、やりようによっては魔獣同士を共食いさせて数を減らし、そこを叩くという戦法も使える。

「あっ、おい、ユウト!」

 怒鳴るように俺の名を呼ぶアリル王子を置いてきぼりにし、共食いをするクマに駆けた。

 普段見ることが無い共食いの光景に、先ほどまでしっかりと仕事をこなしていたディスハイン家の兵士たちが呆然と見ているだけになってしまっている。

「手を止めるなッッ!!」

 ガッ! と全力で振り下ろした剣が、クマの頭蓋骨に当たった。クマの頭蓋骨は大変固く、打ち下ろしスパイクの罠に挟まれても砕けないことがあるくらいだ。

「グアァァァァァァァ!!!!」

 吠えているのか、それとも苦しんでいるのか判断しかねる雄叫びをあげるクマ。耳をつんざく咆哮に兵士たちは耳を塞ぐが、俺はそんな隙を見せないッ!

「ハッ!」

 隙をつくように、クマの腹の中から飛び出して来た子グマをなで斬りにし、今度は頭に打ち付けないようにクマの口を狙い、剣を振り落とした。

「オオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 ブチャブチャ、と咆哮と共に切り落とされた口から多量の血を噴出させるクマ。しかし、その程度では戦意消失にならなかったようで、強い――普通の生き物なら物怖じしてしまいそうな瞳で睨みつけてきた。

「撤退だ! 王子の所まで撤退だ!」

 俺を睨みつけるクマは、腹が破れているせいか下半身が機能していないようだった。前足だけで走っているので、人の足でも悠々と逃げることが出来る。

「お前、なんでこっちに来た!」

 アリル王子を守護するアインが、クマを引き連れてきたことについて怒鳴って来た。だが、今はそんなことに構っている暇はない。

「残りは、あの半魔獣ボーダークマだけだ。確実に仕留めたい」

 ディスハイン家の兵士たちほどの技量があれば、あの程度の半魔獣ボーダーだったら問題なく対応できるだろう。

 しかし、半魔獣ボーダーを見たことが無い――魔獣の存在を今まで知らなかった人間にいきなり戦えというほど俺は鬼ではない。

 まずは、これから戦う相手がどんなものか見てもらおうと思う。

「このくらいなか?」

 クマの位置を見極めて、罠の縄を切る。すると、目の前まで迫っていたクマが、一瞬で地面と同化した。

 これは、最初にクマを仕留めた罠と同じだが、位置が調整してある。

 最初のは確実に仕留める――仕留めることができる部位を狙ったが、これは餌につられてやって来たクマの下半身を潰すように設定されている。

 なので、今のようにタイミングを見極めて縄を切ると、ため込まれていた力を一気に解放したスパイクがクマの頭を砕くのだ。

 まぁ、当たらなかったとしても下半身は地面に縫い付けられるので、安全にクマの頭を切り落とすことが出来る。

 その場にいる全員でクマを見ていると、活きが良く跳ねていた臓物に元気がなくなり、次第に色味が悪くなっていった。

 どうやら、確実に死んだようだ。こういったところは分かり易くて助かる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る