第3話 少女スミカの休日(3)
神様が普遍的に存在しているこの世界において、神様もまた、他の動植物と同じく一つの生命として扱われている。
ただ、どの様な格の神であったとしても、その在り方が、他の生命と大きく異なっている以上は、どう言い訳したところで、他の生命体全てと平等と言うわけにはいかない。それは善神であれ悪神であれ、事情は同じだった。
そこで、新しく生まれた、とある神格は提案した。
問題は山積しているが、他の生命と共存する努力をしてみるのはどうだろうか、と。
すなわち、人型を有する神格は人間の、鳥獣型神格は鳥獣の、と言うように、各々の適した世界に溶け込もうと言う提案だ。
かくして、その試みは移行期間を含めて実行に移され、物質としての擬態を有する霊格の高い神格達は、どうにかこうにか物質世界に溶け込むことに成功したのだった。
その後に、人型の擬態を持つ凡その神格は、善神悪神の別なく、職に就いたり、自ら起業したり、気ままに世界を旅行してみたりと、己が使命と存在意義を忘れない範囲で、物質世界の全てを享受する事となった。
一方で、明確な肉体を持たない神格達は、従来の在り方以上に自然の一部として陰ながら世界を支え、或いは脅かす存在となり、他の生物たちと積極的に交信しつつ、全てとの調和を崩すことなく在ることが出来るようになった。
ヒト等の、言葉を操る程度に発達した知能を持つ存在が、超常の技術である霊気放出を扱えるようになったのも、ちょうどこの、神格と物質との融合が安定し始めた直後の出来事である。
言霊師と言う職業が生まれたのは、そのような神格達の努力の結果、生じてしまった問題を解決するためだった。つまり、霊気放出の獲得したことによって、意識して言葉を操る事で超常現象を乱発、暴発させ、善悪関係なく、言霊による事故を起こし始めたのだ。
言霊管理局と言う部署が公務員の一つとして成立したのも、そのような事情が強く関係している。制御方法を一般的に流布することで、自分たちの事情を含めて、無用の被害を避けるために。
(まあ、言霊管理局創設の背景にある事は、私も星霊代行に任命された時に初めて知らされたわけだが。何というか、踏んだり蹴ったりだの)
スミカは、暇潰し目的に、頭の中で自身の職業とその歴史を振り返る。
マユカの店を後にした彼女は、その足で言霊師管理局の本部を訪れ、少々の手続きの後に現在居る応接間に通されたのだが、何やら事情があるらしく、かれこれ十五分以上待たされていた。
(呼び出されて待たされると言うのも、随分と可笑しな話だ。まあ、茶も茶菓子も美味いから別に良いのだが……。さて、待つのは別に慣れておるから良いとして。それ以上に退屈になってきおったわ)
正面の窓から見える、最近出来たばかりの、この街初の高層ビルを眺めながら緑茶を啜る。
人口密集地で大都市ではあるが、背の高い建築物は霊脈の均衡を崩すとして、暗黙の了解の内に忌避されていたからだが、最近の情勢の変化によって、一棟のみと言う条件で特例が適用されたと言う事らしい。
(何処かの神格がごねたらしいが…。悪神善神に関係なく、何処の世界にもそう言うのは居ると言う訳か)
そのような事を胸中で呟いて、大きく溜め息を吐こうとしていたところ、応接間の扉前に何者かの気配が近付いていることに気付いてしまい、吸い込んだ息を気持ち小さめに吐き出した。
扉が開く。
向こう側から、二人の女性が姿を現すと同時に、スミカは椅子から立ち上がった。
一人は小柄な少女で、外見だけでは中学生にしか見えない容貌をしているものの、纏う空気や身に着けている古めかしくも神々しい装束が、外見の幼さと違和感なく融合していた。
もう一人は、反対に優しげな成人女性と言う雰囲気を漂わせており、グラマラスな肢体をカジュアルなスーツに包んでいた。
「おお、待たせたなー。我が末裔よ」
そのように発言したのは、小柄な少女だ。
少女は、ゆったりとした余裕ある動作でスミカへと近付いてゆく。
「いえいえ。呼び出されて、事情説明もなく独りで待たされると言う、新鮮で貴重な経験を積めたことを感謝申し上げておりますよ、アマテル様」
にっこりと、スミカは笑う。
「いや本当、すまんかった…。あのあと、唐突に政府筋の来客があったもんでの、そっちに対応して気が回らんかったのじゃ。許しておくれ」
小柄な少女アマテルは、スミカの露骨な皮肉に、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「申し訳ありません。お待たせしました。この通り、謝罪致します」
その左斜め後ろに立つように移動していた、グラマラスな方の女性がそう言い、スミカとアマテル、両方に向けて深々と頭を下げた。
「良い、必要な事じゃったからな。それに、管理を失敗しておったのはわしの不手際。ウカヒメが気にする事は無いぞ」
「ええ、ウカヒメ様が気になさることはありませぬ。我が先祖アマテル様の不手際ですので」
アマテルの言葉を受けた上で、スミカがアマテルに追い打ちをかけた。
「そなた……。一応、わしはここの最高責任者で、そなたの上司で、ヤマト神族の長なのじゃが…」
このアマテルと言う少女。実は神族の中でも最上級の一柱である。
しかし、スミカは全く表情を変えることなく、にっこりと、実にいい笑顔で笑ったままだ。
「何か、ご不満が?」
その変わらぬ表情に、小柄なアマテルがさらに縮こまってしまった。
「……うぅ、子孫が苛めるぅ。しかも、自分の不手際じゃから反論も出来ぬぅ」
「はぁ。まあこの辺にしておきますか。しかし、ウカヒメ様が、ここにお見えになったと言う事は、もしや?」
すっかり委縮してしまったアマテルの姿に、どうしようもない良心の痛みを感じてしまい、それを誤魔化すための溜め息を吐いたスミカは、表情を引き締めてウカヒメに向き直った。
ウカヒメは、やはり申し訳なさそうな表情で二人を見ていたが、直ぐに表情を戻した上で、手に持っていたクリアファイルから一枚の紙媒体資料を抜き出す。
「ええ。東ノ京(あずまのみや)の神霊統括局が、恒例の北部霊祭の気配を感知したのですが、先んじて、こちらで憑霊事件が起こったと言う事でしたので出向いたのですが。解決は、貴方が行ったと言う事で…」
紙媒体資料の字を読み上げるように目で追いながら、ウカヒメは言葉を紡ぐ。
スミカは、その言葉に頷き、つい二時間前の出来事を思い起こしつつ、最初の席へと向かう。
「はい。用事の為に寄ったバスの待合所で、偶然に遭遇してしまったものですから。休暇中ではありましたが、迅速にこれを浄霊、自然に還しました。ところで、座りません?」
その上で、アマテルとウカヒメに着席を勧めた。
「ああ、確かに。これは立ち通しでする話でもありませんしね。そうしましょう。さあ、アマテル様も」
未だに少しいじけていたアマテルの頭を撫でつつ、ウカヒメも着席を促した。
「う、うむ。では茶でも出すかの。では“客人は我が家方に招かれた。之を、礼節を以て遇せよ”」
席に着く前に、アマテルは自身の霊力を用いて言霊を編み、それを言葉と同時に目の前の卓に向けて、淡く光る文字群として放った。
すると、放たれた文字の群れが卓の上で編み上がり、最初から置かれていた分とは別の、三人分の茶菓子と緑茶へと変化し、整理の行き届いた状態で並べられた。湯呑みからは湯気が立ち昇り、茶菓子からは出来たての香りすら漂っている。
「これで良い。さ、一息つくとしようかの」
まずアマテル、ウカヒメの両名が席に着き、それを見た後にスミカが反対の席に着く。
「しかし、そうですか…。幸い人的被害は無かったようで何よりです。ただ、観測から浸透までの時間を見誤っていたのは、完全にこちらの不手際でした。その点は謝罪させてください。この地域の探題方には、私の方からきつく言い聞かせておきますので」
「はい、お願いします。この地で、憑霊騒ぎで後手に回ることが有ってはなりませんから」
スミカの言葉に、ウカヒメも同意を示すように頷く。
「しかし、それにしても。今年は早いみたいですね、北部霊祭。大体一年周期だったと思うのですが」
しかし、スミカは直ぐに話題を変え、過去に起こった北部霊祭の記録を思い出していく。
「確かにそうですね。悪神とその眷属によるお祭り。有り体に言えば無礼講ですか。もしかすると、ガス抜きが不十分だったのかも知れませんね」
ウカヒメは胸の前で腕を組み、表情を渋く変えながら考え込む。
「全く、割と好き放題にさせておるつもりなのじゃが…。痴漢被害とか除草作業被害とかの多さは、もう少しどうにかならんのかとは思うがの」
アマテルは苦笑を浮かべる。
「私も早くに本業の農園に戻りたいのですがね。豊穣を司るものとしては、我が子同然の大事な作物を放っておけません」
ここで一人と二柱、共に一服。それぞれに想うところを嘆息と共に吐き出した。
「…つまり、今日私がここに呼ばれたのは、その事前通知ですか?アマテル様」
「そんなところじゃの。加えて、言霊管理局所属の言霊師全員に、この後二時間以内に、わし名義で公式に防衛任務が伝達される予定じゃ。東ノ京と西ノ京(さいのみや)の民衆への公式発表は、その後になるかの」
そう言いながら、アマテルは、ウカヒメのクリアファイルから一枚の書類を抜き出し、卓にそっと広げた。それは指令書であった。
「ともかく。あ奴ら北辰の荒神共から同胞達を護らねばならぬ。力、貸してくれるな? 我が子孫ジンノの一員にして、我が祝福を受けた星霊代行者よ」
先程、皮肉に縮こまっていた姿からは想像もつかない程の、神族の長らしい威厳ある風格を漂わせたアマテルが、まるで太陽のように燃え立つ緋色の瞳で、真っ直ぐにスミカを見据えた。
一方のスミカは、その直線的な視線を流すように受け止め、さらに緑茶を一服。その上で表情を引き締める。
「ええ、承知致しました。我が神祖アマテラス様。御身との契約に基づき、このジンノ・スミカ、人の身にて、全霊を掛けて守護を担いましょう」
そう口上を述べ、澄んだ金色の瞳に気炎の如き光を宿すのだった。
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