22
まずは、馬による攻撃と矢の遠距離攻撃。これによって、村に辿り着くまでの軍勢の数を減らす。結果は、北側の三十の内、馬で七、矢で三匹撃破。
そして、落とし穴、石による援護、松明の火の三つによる身動きの制限。
落とし穴で地面を警戒させることによって動きを遅める。
石によって物理的に動きを止める。的当て遊びが訓練代わりとなって、命中率はそこそこ。
松明の火で動きを制限する。
それら三つが合わさったことにより、ゴブリンは自由に戦うことなど出来るはずがなかった。水中で足に重りを付けた状態で戦うようなもの。
最後に、人間による直接攻撃。数は三十、武器はリーチの長さを長所とする槍。槍は丸太を加工した即席であるが、それで十分だ。金属を身に着けた人間を殺すのではなく、生身の化物を殺すのだから。
落とし穴で四匹減り、十六匹しか残っていないゴブリン。約倍の数であり自由に動けリーチも有利な人間と対峙したらどうなるか。待っていたのは、一方的な虐殺であった。
取り柄である数の多さで負けたら、生物としての戦闘能力が劣るゴブリンに勝ち目があるはずがない。おまけに、動きの制限もあるのだから。
長所を潰し、味方が動きやすく敵は動きにくい環境を形成するこの作戦。決して驚くに値するような内容ではない。一つ一つは、どれも一撃必殺とはなりえない。どれかひとつだけを実行しても勝利には届かないだろう。トリックスターが魅せる劇のように、観衆をあっと驚かせ拍手喝采が巻き起こすような魅惑に満ちた作戦ではない。
敵のことを把握し味方と戦場を把握し、長所を潰し長所を活かす。天才的な飛躍した発想ではなく、分析と合理的な思考によって練られた作戦ある。
感情に忠実であるが、合理的な思考も出来る。それが夜太郎という人間であった。
「北側のゴブリン、あと六匹のようです」
夜太郎の隣に立つニコラスがそう告げた。
それぞれの屋根に情報の発信役の女性を配置している。戦場を見渡し、声で中継地点の女性に知らせる。そして、そこから中央にそのまま流し、ニコラスが情報を整理して夜太郎に報告する。これによって、タイムロスはあるものの戦場全てを俯瞰することが可能となっていた。
敵が人であると、女性たちが伝達網であることが即座に見破られ対処されるが、ゴブリンであるとそうにはならない。伝えている人語を理解できるはずがなく、していることを理解する知能もないのであるから。
「早いな。ゴブリンの数が想定より少なかったからか。東の方はどうなっている?」
「そろそろ情報が送られてくるはずです。……え~と、そろそろB地点を突破するみたいですね。数は十二」
東と西は森から離れている。そして、東に一匹、西には二匹放った馬の妨害、北より多い落とし穴によって辿り着くには大幅に時間を要するのであった。
西に馬を二匹放ったのは、東との時間差を作るためだ。当然、落とし穴の数も東より増やしてある。そのために、わざと北の落とし穴を少なめにして労力を割り当てた。
「北に十残して、東に十五。西には五だ」
「了解しました」
ニコラスが中継地点に命令を送る。
「それにしても落とし穴、効果絶大ですね」
「あれから三日も時間があったんだ。あそこら辺は穴だらけだろうな」
「戦が終わった後、埋めるの大変そうですね」
今回の作戦、即席の槍を作ることと穴掘り以外、事前準備は必要ない。だから、槍作り役を除いた村の男と子供の殆どは、朝から晩まで毎日のように穴を掘っていた。
「このまま事が運べば、私達の出番はなそうですかね」
「上手くいけばだけどな」
現段階の情報と事前に予想通りならこのまま何事もなく終わるだろう。だが、夜太郎は安心していなかった。
戦には予期さぬ事態、番狂わせがある。あらゆることが事前に決まっている将棋やチェスと異なる点だ。
その可能性を夜太郎は考えていた。
「……どうやら、北側で緊急事態が起きたみたいです」
「嫌な予感ほど当たるな。北で俺が直接指揮を執る。ニコラスはここで俺の代役を務めてくれ」
ニコラスに代わりを任せる。
屋根から飛び降り、剣を片手に問題の現地へ向かう。
「何があった?」
北側で戦っていた男に状況を尋ねる。
「あ、あれ……」
男は森の方を指す。
指に釣られ視線を向けると、予想外過ぎる展開に目を見張った。
「巨大ゴブリン……だと」
五メートル級のゴブリンが地を揺らしながら村へと歩いていた。
「……あれは俺が相手をする。皆に下がるように伝えてくれ」
巨体である以上、集団で襲いかかれば確実に死者が出てしまう。そのことを考慮して、一人で戦うことを選択した。
「え、そんなの無茶だって!」
「大丈夫だ。あれぐらい、簡単に殺せる」
鞘から剣を抜き、巨大ゴブリンの元へ向かう。
離れていても一目で巨体と判別がつくほどの図体であったが、近づくに連れ大きさをより強く感じる。
人を見下ろす巨体は、まるで壁だ。
「貴様がゴブリンの大将か?」
巨大ゴブリンは言葉を発しない。しかし、夜太郎を睨みつける厳つい眼光がそうであることを告げていた。
「……そうか。なら、その首を狩らせてもらう」
その言葉が始まりの合図となった。
夜太郎が刃を剥き出しにした剣を片手に、巨大ゴブリンへ突っ込む。
突っ込んでくる敵を、人一人分よりも巨大な腕を振って迎撃しようとする。
腕の先端――鋭利であり肉体同様巨大サイズの爪。それに切り裂かれたら、かすり傷程度では済まされない。身体の切断……即死だ。
夜太郎を捉え高速に接近する死。己の脚力では避けきれないと判断して、剣を持ち替え盾代わりにする。
爪の直撃を受けた剣と共に身体が飛ばされた。受け身を取ることによって、地面への衝撃を軽減させる。
体勢が不安定な状態である夜太郎へ、巨大ゴブリンが追撃を仕掛ける。
今の体勢で、即座にそれを避けるのは不可能。即死……運が良くても致命傷は免れないだろう。
「殺し合いにルールなんてものはない。殺すことだけが全てだからな」
腕を振り上げ接近してくる巨大ゴブリン。夜太郎は事前に用意しておいたナイフを懐から取り出し、それの顔へと投擲した。
反射的にナイフを腕で弾く。……それは、大きなスキとなるとも知らずに。
ナイフを弾いている間に夜太郎が巨体の懐へ潜り込んでいた。
巨体の足を通り過ぎながら、剣で太ももを切りつけた。足を潰して、裸の首を地表まで引きずり落とす算段だ。
しかし、ここで予想外の展開が起きた。
「っ! このナマクラが!」
剣の刃が太ももに刺さって抜けないのである。
その剣は低品質であった。平和な田舎村の防衛に葉をも切り裂けるような高品質な剣が支給されるはずがなく、また、平和故に手入れがろくになされていなかったので低品質からさらに質が落ちていた。
武器に触れる機会などない日本で夜太郎は生涯を過ごした。そんな人間に、剣の品質が測れるはずがなく、その剣でどれ程の物までなら切れるのかなど把握しきれるわけがなかった。
勝利へ導くための知能は十分に足りていた。しかし、知識と経験が不足していた。その二つが勝利への方程式に矛盾を発生させ崩落させたのだ。
剣を手放し巨体から離れようとしたが、それはもう遅い。腕によって夜太郎の身体が吹き飛ばされた。
位置の関係で爪ではなく肉の部分で攻撃されたのだが、それでもダメージは大きい。とっさに盾にした右腕は折れ、受け身を取れなかったので頭部が地面へ衝突してしまった。
視界が眩む。身体を起こせない。脳への衝撃が、一時的に夜太郎の行動能力を奪っている。
殺し合いの結果はほぼついた。自由に身動きさえ取れない夜太郎が戦闘を続けられるはずがなく、このまま一方的に殺されるだけ。誰の目から見ても明らかな結末。
巨大ゴブリンが息の根を止めるために夜太郎の元へ向かっている。
……消化試合だ。オーラス、トップとの点棒差九万点、絶望しか残っていない麻雀。直撃国士無双でも逆転不可能。
だが、今行われているのは試合ではなく死合であった。
「……ヤタロウは絶対に死なせない」
ゴブリンの前にイリスが立ちはだかる。槍を持ち身体を恐怖で震えさせながら、夜太郎を守るために巨大ゴブリンと対峙した。
死合には予想外の事態……大番狂わせがある。ルールの下で行われる試合とは異なる点だ。
「イリス! 何をしている!」
夜太郎は叫び、イリスの元へ向かおうとする。しかし、身体が命令を受け付けようとしない。生まれたての子鹿のように立つことさえ困難であった。
「ヤタロウが死ぬのだけは絶対に嫌。だから、私が守るの」
「馬鹿なこと言っていないで、とっとと逃げろ!」
「ううん、それは無理」
確固たる意志がイリスにはあった。
「私が生きられるのはヤタロウがいる世界だけ。一人残された孤独の世界に意味なんてない」
勝てないことなど理解している。巨大ゴブリンを相手に非力な自分では、天地がひっくり返っても不可能なことぐらい。
それでも戦わずにはいられない。自分の世界を守るために、孤独に回帰しないために。
自分だけ生き残る選択肢などイリスにあるはずがなかった。
「さあ、化物。次の相手はこの私だよ。私の幸せのためにあなたを殺す」
槍を構え、巨大ゴブリンへ向かっていく。
それを巨大ゴブリンはハエを叩き落とすかのように弾き返した。現在の獲物は夜太郎ただ一人。他の存在など眼中にないのだ。
イリスが吹き飛ばされる。
言うことを聞かない身体に無理やり命令して、飛ばされたイリスを受け止めた。
「イリス! おい、イリス!」
抱きしめた肩を左手で揺らしながら呼びかけるが返事が返ってこない。
夜太郎がクッション代わりになったことで地面への直撃は免れたが、弾き返されたダメージは残っている。それの衝撃で気絶しているのだ。
額から一筋の血が流れる。
それを見ると、夜太郎の内に変化が起きた。炎が存在を膨張させていく。
イリスを地面へと寝かし立ち上がる。命令を受け付けないなんて関係ない。右腕が折れているなんて関係ない。炎で強制的に動す。
武器は失った状態。そんなのはどうでもいい。己の肉体が稼働する限り、死合は続けられる。
巨大ゴブリンへ襲いかかる。
放たれた即死の攻撃を紙一重で躱し、落ちているナイフを拾う。そして、その振り下ろされた腕を道にして巨体を駆け上がっていく。
巨大ゴブリンが振り落とすために暴れだす。
腕にナイフを突き刺して振り落とされないようにし、タイミングを見計らって肩まで登りきる。
「ガキのように駄々をこねるなよ。ほら、おもちゃだ」
左手を巨大ゴブリンの片目に突き刺す。
激痛によって巨大ゴブリンが尋常ではないほどに暴れだした。夜太郎は、それから飛び降りた。
これらの一連の動作、まるで獣のようであった。
しかし、本物の獣のように武器となる鋭利な爪は備わっていない。武器となる剣とナイフは、太ももと二の腕に抜けないように刺さっている。
巨大ゴブリンを殺せる武器が夜太郎にはなかった。
「面白い人ですね、あなたは」
世界が止まった。いや、正確には夜太郎が止まった風に感じただけだ。実際には止まっておらず、夜太郎の感覚が通常の何千倍の速度を体感できるように高まっただけだ。
目には久しぶりの存在、クロロが映っていた。
「転生させたあの時は、まさかこのようなことになるとは思ってもいませんでした。あなたには、世界を動かす才能があるのかもしれませんね。……いえ、あなたの心に世界が魅了されているのかも」
「何のようだ? 今の俺に呑気に話をしている余裕なんてない。殺されても知らないぞ」
「私相手にそんなことをしてもまた返り討ちに合うだけですよ」
死後の世界でのことを言いながら微笑む。
「今日はあなたに役立つ物を授けようと思ってやって来たのです。神様からの贈り物ですよ」
「なら、とっとと寄越せ」
今の夜太郎に巨大ゴブリンを殺すこと以外眼中にない。
「まあ、そうですね。焦らさずにとっとと授けましょうか。続きが見たいことですし」
クロロはフフフと笑い、指を夜太郎の額に押し当てる。
すると、夜太郎の脳に情報が流れ込んできた。知らない情報だ。夜太郎には理解することも解析することも不可能な情報であった。
「授けるのは情報であり、あなたとあなたの架け橋となる物」
未知なる情報。だが、使い方だけは理解できた。仕組みを理解していなくても数学の方程式が扱えるように。
右腕に黒い霧が発生した。それは、少しづつ形を成していきこの世界で物理的な姿を現していく。
「あなたに最も親和する物。この世界にただ一つ、あなたにだけの至高の一品」
霧が物質へと形を変えていく。右手に刃を漆黒に染めた刀が、右腕に鎖が腕を覆うように捕らえるように纏わりついた。
「幻影武装。それがあなたにとっての武器」
今この瞬間、それはこの世界に体現した。漆黒の刀と、腕に纏わりつく鎖。
「じゃあ、頑張ってね。取引を果たすために……復讐を終わらせるために」
クロロは夜太郎の前から去って行った。それと同時に、世界の速度が元に戻る。
状況はほぼ変化していない。巨大ゴブリンと夜太郎が対峙しているまま。
だが、一つだけ異なる点があった。夜太郎の右手に新たな武器が現れたことだ。
刀を右手に持ち右腕に鎖を纏わりつかせ、巨大ゴブリンへ接近する。
この刀の品質なんて理解していない。しかし、どこまで殺れるのか、どこまでなら耐えられるのか、それは調べずとも感覚で把握していた。
巨大ゴブリンが夜太郎へ向けて腕を突き放つ。先端には鋭く強固な爪、喰らえば即死確実。
紙一重の距離で腕を避け、手首を刀で切断した。切り離された手が地を吐き出しながら地面へと落ちていく。
規格外の切れ味だ。並の刀では収まらず、名刀に届き得る……いや、それさえも凌駕しかねないほどの。
だが、それよりも驚くべき点が別にある。折れているはずの右腕で刀を扱えたことだ。
折れていたのが治ったというわけではない。刀や鎖に治癒機能なんてものは備わっていない。
折れたまま、刀を扱えた、この二つに矛盾を生じさせない真実。そんなのは、無理やり動かしたぐらいしかないだろう。
右腕に纏わりついている鎖、これが骨と筋肉の代わりとなり擬似的に腕を動かしたのだ。人形の手足を自由に操る糸のように。
手を切断され激痛に支配されているが、間髪入れずに二発目を放つ。殺されるより先に殺す、という動物的思考によって。
夜太郎は避けもせず、正面から迫ってくる手に刀を押し当てる。指の合間からスラスラと腕を半分に両断していく。
刃が腕の関節まで辿り着いた所で放たれた腕の進みが止まった。
「おいおい、まだ残っているだろ。全部差し出せよ」
夜太郎が正面へと足を進める。刃の両断が再開した。
「ギャアァァァァァ!」
激痛に悲鳴をあげる巨大ゴブリンなど無視して、両断を続ける。
刃が肩の付近まで至った所で刀を腕から離し、そのまま流れるように片足を切断した。
片足を失った巨大ゴブリンは体勢を崩し、地面へと崩れ落ちていく。
「堕ちろ。地獄かクロロの元ヘ」
落ちてくる巨大ゴブリンの首を切断した。
死合は終わった。
猟奇的な状態となっている巨大ゴブリンの死体を夜太郎が見つめている。その瞳の奥で漆黒の炎が燃えていた。だが、もうすでに巨大ゴブリンへの関心は消えてしまっている。
村を襲った首謀者。それが死してもなお炎は消えない。
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