20

 それは獣であった。鎖が巻き付いた人型の鎧を全身にまとっているが、人と呼べるものではない。

 襲いかかってくる無数の化物を、その獣は皆殺しにしていた。力任せに喉を握りつぶし、力任せに腹を踏み潰し、力任せに口を引き裂き。

 獣の蹂躙は終わらない。周囲の化物を殲滅し尽くしても、新たな化物を見つけ再び殺し始める。これはきっと、失った亡霊を殺すまで続くのだろう。

 鎧を血に染め感情のままに力を振るうその姿は、まるで復讐の鬼のようであった。

 夜太郎は獣を呆然と見つめていると、鬼と視線が重なる。

 体が動かない。視線が重なり合った後も、逃げもせずにひたすら見つめている。

 獣も同様であった。視線が重なり合った後、蹂躙を止め夜太郎を見つめている。

 まるで鏡合わせみたいだ、夜太郎がそんなことを連想すると、手に奇妙な感覚がした。生暖かい液体のような。

 気になって手の平を見てみると、そこには血が染み付いていた。獣の手と同じように。




 目が覚めた。服が汗で濡れている。


「……夢か」


 夜太郎は夢の感想を呟く。起きた時に大部分の内容は忘れたが、自分に関係することだったことはぼんやりと覚えていた。

 外の世界はまだ月明かりに照らされている。

 起きるにはまだ早いか、と思ったが再び眠りにつく気にはなれなかった。今の状態のままだと、また悪夢にうなされてしまいそうであるから。

 ベットから身体を起こし、棚に保管しておいた酒瓶を取り出す。

 玄関の扉を音が鳴らないように慎重に閉め、畑へと向かった。

 畑の正面で腰を下ろし、蓋を開けた酒瓶を口へと持っていく。流れ込むアルコールが、夜風に冷える身体をほんのりと温める。


「……死しても忘れられるはずがないか」


 何も染み付いていない手の平を見つめながら呟く。


「月を肴にお酒? ロマンチックだね」


 後ろを振り向くと、そこにはイリスがいた。


「起こしちまったか、悪いことをしたな。静かに出ていったつもりだったんだけどな」

「眠りが浅かっただけだから」


 そう言いながら、夜太郎の隣に腰を下ろす。二人の距離は、両者の手を重ねられるほどに近い。


「きれいな月だね」

「ああ、そうだな」


 月を眺めながら、酒を体内へ流し込む。


「お酒を飲むと、機嫌が良くなって気前が良くなる人っているよね。ヤタロウはそのタイプ?」

「さあ、どうだろうな。怒り上戸や泣き上戸ではないことは自認しているから、それなのかもしれないけどな」

「じゃあ、機嫌上戸かもしれないヤタロウなら、私のワガママを聞いてくれる?」

 

 甘えるような声色であったが、どこか作り物臭い。まるで甘えという衣で芯となっている真剣を隠しているかのような。


「女のワガママの一つや二つぐらい喜んで叶えてやるよ」

「なら言うね。……ヤタロウが戦うの止めて欲しいの」


 イリスは甘えなど捨てた真剣な眼差しで、そう願った。夜太郎に戦うことを止めろと。


「ヤタロウがどうしてあんなに必死になって戦っているのかは知らない。知りたいけど、それはいつか機会が来たときでいい。大事なのは、ヤタロウが戦わないこと。つまり、死なないこと。ただそれだけ」


 死をなによりも恐れている。知人ではなく、夜太郎ただ一人だけの。

 だから、イリスは夜太郎を戦いから遠ざけようとしていた。


「……無理だ」


 言葉を濁すことなくはっきりと断った。


「嫌でも、無茶でもじゃなくて……無理なんだね」


 願いを断られたイリスは、服の袖からある物を取り出し、夜太郎の足首の裏に押し当てる。それは、ナイフであった。


「足の腱を切るって言ったら、不可能を可能にしてくれる?」


 ナイフの刃は微塵も震えていない。まるで機械のように。

 そのことから、イリスが冗談や脅しで言っているのではないことを夜太郎は理解した。


「俺は奇跡を起こせるような人間じゃない。例え足を失ったとしても、手で這いつくばってでも戦う。手も失ったら、口で手足の代用品を用意してでも戦う。俺はそういう人間なんだよ」

「……どうして、そこまでして戦うの? 一体何がヤタロウをそこまで駆り立てるの?」

「感情だ。俺の中で燃え立つ漆黒の激情が、俺に叫んでくる。殺せって、奴を殺すまで終わらないって」


 感情と感情による主張の通し合い。死ぬかもしれないから戦わないで欲しいと、復讐を果たすまでは戦いを止められないの。

 それらの主張が両方共通すこと出来ない。戦うな、と戦うという背反する意見を上手くまとめた解決策などあるはずがないのだから。


「復讐なの?」

「ああ、そうだ復讐だ。顔も名前も忘れてしまった野郎へのな」


 対象を忘れてしまったのに復讐心という幻影だけは残っている。奇妙な状態だが、それが夜太郎を動かしていた。


「……そっか、ヤタロウも私と同じなんだね」


 イリスは理解した。夜太郎は自分と同じで感情に従って生きているのだと。

 そして別のことも理解してしまった。夜太郎の生き方を変えることは無理なのだと。

 それは、感情に従ってきたイリスだから理解できたことだ。感情の強さは今まで自分が散々体感してきた。だからこそ、それを変えるのがどんなに無理なことかぐらい知っている。


「ヤタロウが戦うことは諦める。でも、死ぬようなことだけは絶対にしないで。これなら、叶えてくれる?」


 円満な解決策など存在しない主張の通し合い。解決策がないのなら、どちらかが妥協するしかない。

 それを先にしたのはイリスであった。


「……善処する」


 戦う以上、死を避けることは出来ない。だが、死なないように心掛ける。それが今の夜太郎に出来る最大限の妥協である。

 夜太郎の返答を聞いて、イリスはナイフを引っ込めた。


「ヤタロウにワガママ叶えてもらっちゃった」


 イリスが喜ぶ。


「あ、そうだ。私もヤタロウのお願い叶えてあげる」

「何でもいいのか?」

「うん、どんなのでもいいよ」


 夜太郎はどのようなのが良いか考える。すると、ある一つの欲求が現れた。


「……抱きしめて欲しい」

「え?」


 予想外の願いに、イリスは驚く。


「抱きたいの間違いじゃなくて?」

「そんな獣のようなことを言うか。普通に、抱きしめてくれれば良いんだよ。ギュって」


 言っていることが恥ずかしくて頬を赤らめている。

 そんな夜太郎を、イリスは背中から抱きしめた。肩に回された手は、夜太郎を強く包容する。


「こんな感じ?」


 イリスの声であり吐息が、耳に伝わる。


「ああ、これでいい」


 抱きしめられていると、心の中にある漆黒の炎が吹けば消えそうなほどに小さくなった。心が安らいでいる。


「ヤタロウがして欲しいことならなんでも叶えてあげる。……だからね、絶対に死なないで。私を一人にしないでね」

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