19

 襲撃が終った村、そんな村の中心では無数の人の声で満ちていた。

 だがそれは、活気に溢れた日常であり正の声ではない。悲しみと怒りに彩られた非日常であり負の声の方であった。

 ある者は死んだ男の名を叫び、ある者はやり場のない怒りを言葉にならない単語で発し、ある者は神へ救いの言葉を紡ぐ。


「貴様らが逃げたからこんなことになってしまったんだぞ! 全て貴様らの責任だ!」


 駐屯兵隊長ムックは、数多の村人が集まっている場で怒鳴り声をあげる。ゴブリンに襲われ命からがら逃げ帰ってきた二人の村の男に。


「違う! 俺達のせいじゃない! 俺達はただ死にたくなかっただけなんだ……死にたくなかったんだよ」

「そうだ、だから悪くない。俺達は何も悪くないんだ」


 男達の必死の弁論。自分達の正当性を無実を訴えていた。そうでもしないと、心が罪に押し潰されてしまうから。

 そんな男達の言葉を、ムックは鼻で笑う。


「この期に及んでまだ己の罪から目を背けるのか。醜い、汚らわしい、気持ち悪すぎて吐いてしまいそうだ」

「違う。俺達は――」

「黙れ!」


 男の反論をムックは怒声で遮った。


「いい加減にしろ! 己の罪を認められないなどゲスの極みだ!」

「お、おれの罪じゃあな……」

「なら、貴様達は死んだ者の墓の前でもそんなことが言えるのか? 残された遺族の前でもそんなことが言えるのか」


 ムックは夫が死に泣き崩れている妻を指さす。


「い、言え……」


 言葉に詰まる。言える、とそう断言したいのに言葉が喉から上がってこない。


「ほら、言えないのだろう。それが、己に罪があることの何よりの証拠じゃないのか? 本当は分かっているのだろ、自分達のせいだと。あの時、自分達が村まで逃げたせいで敵につけられ、村の場所がばれてしまったのだと」

「お、俺は……俺は……」

「悪くない……俺は悪くない……」


 罪が、罪の意識が堤防が壊れたダムの水のように押し寄せてくる。

 限界であった。どれだけ言葉で否定しても、心の隅にある罪悪を殺し切ることはできなかった。

 ムックの相手の存在を否定する罵声、それを村人の中に止められるものは誰もいなかった。二人の男に罪がないことは分かっていても誰も口にすることができなかった。

 やり場のない怒りの捌け口、仮初の悪、それを無意識に求めていたからだ。

 だから、誰も口出しはしない。……ある一人の男を除いての話であるが。


「ああ、そうだ。お前たちは悪くない」


 群衆の中から夜太郎が出てくる。

 戦闘の後、夜太郎は体を休めていた。そして、村の中心での騒ぎを知りやってきたのである。


「悪くない、誰も悪くない。お前たちも、ガキどもも」

「貴様は……確か最近住みだした者だったな。では、貴様にも問おう。その言葉、死んだ者の墓の前でも言えるのか?」


 ムックは余裕の表情で問いかけた。言えるはずがない、と慢心しているのである。


「言える。断言して言ってやる。墓の前ではなく、棺桶の蓋を開けてでも言ってやる。あいつらは悪くないと」


 きっぱりと臆することもなく言ってのけた。他の村人が口に出来なかったことを。

 予想外の行動にムックは若干驚くが、すぐに平静を取り戻す。


「ふん、口だけは達者なようだな」

「口が達者……ね。お前には負けるよ」


 あきらかな挑発、ムックはそれに怒りを露わにした。


「何? どういう意味だ?」

「村を守るのは駐屯兵の責務、駐屯兵の長を務める貴様の責任だ。それを、碌に果たさずサボり惚けるばかりか、問題が起きればすぐに他人に責任を押し付ける」


 二人の男が怒鳴られている時に、群衆の中でイリスから駐屯兵に関する情報は聞いていた。だから、今回のことは大体把握している。


「働き者の無能なら可愛いものだが、怠け者の無能は見るに耐えないな」

「貴様っ!」


 ムックの沸点が限界に達した。鞘から剣を抜き、刃先を夜太郎へ向ける。

 あまりの事態に群衆がざわめく。


「矛先を俺に向けるか。その意味……分かってしているんだよな?」

「当たり前だ! 侮辱罪で貴様の首を切り落としてやる!」


 ムックは本気だ。冷静に物事を判断する余裕などない。


「そうか。……俺はどちらかと言うと獣の類だ。自分で言うのもどうかと思うがな。だから、大人な対応なんて期待するなよ」


 殺気がムックを捉える。来るのなら殺す、と告げていた。


「おっと、そこまでですよ」


 駐屯兵ニコラスが殺し合いの仲裁に入る。夜太郎とムックが殺し合うと、ほぼ間違いなく夜太郎が生き残ると推測したから。


「隊長を殺されては私にとって色々と不利益なんです。だから、私の顔に免じてこの場は収めてもらえないでしょうか?」


 ニコラスは腰の剣に手を添えている。それは、展開次第では自分が相手する、ということを意味していた。

 夜太郎は当然、それに感づいている。しかし、引く気はなかった。


「知りもしない野郎の顔に価値があると思っているのか?」

「ええ、ごもっともな意見です。だから、私はあなたに恩を売りましょう」


 まるで交渉人かのように会話を進める。


「でも、その前に一つ確認しておかないといけないことがあります」


 ニコラスが微笑む。


「ヤタロウさんでしたっけ。あなたは、散々大口を叩いていましたよね。隊長は無能だとかクズだとか。……そこまでおっしゃるのなら、あなたは当然出来るのですよね? 言葉には責任が伴うものですよ」

「言葉には責任か。端からそのつもりだ」


 夜太郎は群衆の方へ体を向ける。声を聞こえやすくするために。


「俺に力を貸せ、命を預けろ。そうすれば、ゴブリン共を皆殺しにしてやる」


 シンプルな宣言。対価と報酬を述べただけの単純明快な請求。大義も飾る言葉もない裸な発言。

 群衆はいきなりのことに動揺する。

 夜太郎の言葉の意味は理解している単純明快であるから。しかし、あまりに大きく重大な請求を上手く飲み込めていなかったのである。


「どうするよ、任せて良いのか?」「わ、分かんね~よ」

「つまり、指揮させろってことだろ」「本当に皆殺しに出来るか怪しいなあ」


 群衆の心理は、夜太郎に非協力的であった。


「ねえ、ヤタロウ。一つ教えてくれるかい?」


 群衆の中から一人の女性が現れる。それは、オットーの奥さんであった。


「お前は一体何のためにゴブリンを殺すんだい? 生き残った者を守るため? それとも、死んだ者への手向けのため?」


 赤く充血させたその目は夜太郎を見つめる。まるで本質を見抜こうとしているかのように。


「復讐のため……自分のためだ」


 平和だ正義だの耳障りの良い言葉で彩った正当性を述べるわけではない。鎮魂歌という大義を掲げるわけでもない。

 自分がしたいから、ゴブリン共を皆殺しにしたいから、と夜太郎は己の感情をそのまま言い放ったのだ。


「誰かのためではなく自分のため……ね」


 奥さんは軽く笑い空を見上げる。


「あの人はきっと、死者のために復讐するなんて言ったら怒っただろうねえ。死んだ野郎はそんなこと望んでないとか言ってさ。でも、復讐って誰かのためではなく自分のためするもんなんだろうねきっと。心を癒やすためにするんだろうねえ」


 奥さんの語りに、この場全ての者の意識が向けられている。


「だから私はヤタロウの要求を飲むよ」


 一人目の夜太郎の要求を受け入れる者が現れた。

 しかし、群衆の心理はまだ非協力的である。


「俺も飲むぞ」

「わ、私も……」


 群衆の中から二人の子供が手を上げながら現れた。チョモスとリーシャだ。


「ヤタロウには助けてもらった恩があるからな。ここらで返しておかねえと男が廃るってもんだ」


 チョモスはにっこり笑い、リーシャはうんうん、と頷く。


「これで三人だな」

「いいえ……四人よ」


 チョモスの言葉を群衆の中から一人の女性が訂正した。


「あ、母ちゃん。もしかして、母ちゃんもか?」

「ええ、ヤタロウさんには息子たちがお世話になったんだもの。私なんかが役に立つかは分からないけど」


 これで夜太郎意見を受け入れる者は四人となった。

 群衆の心理が揺らぐ。チョモスたちが参加したことで、数日前の魔物を退治したという夜太郎の実績を思い出したからだ。

 だがそれでも意志は覆らない。例え、夜太郎に今以上の実績があったとしても。


「……」


 群衆を納得させる手はある。状況を逆転させる手は存在する。

 それはゴブリンを皆殺しにするための計画を公表すること。

 しかし、夜太郎は使おうとしない。いや、使えない。作戦を遂行するためには先に公表してはならないからである。


「フフフハハハハハ。足りないぞ、全く足りていないぞ。たった五人でゴブリンを皆殺しに出来るのかあ?」


 ムックが夜太郎を煽る。


「なあ、なぜこいつらが力を貸さないのか教えてやろうか。それはな、腰抜けの臆病者の集まりだからだ」


 戦場で兵士を指揮をするのなら実績や血統などのブランドが必要。だが、相手が村人をするのであればそれだけでは足りない。

 村人達は心の底でゴブリンを恐れている。あの鋭い爪で殺されかけた記憶、家の外で奇声を轟かせていた記憶などゴブリンが街を襲っている時の記憶が恐怖として焼き付いている。

 だから、戦おうとしない。恐怖を怒りで塗りつぶせるほど彼らの心は強くない。

 憎悪で彩られた闘争心が必要だ。


「お国に忠誠を誓った軍人なら喜んで戦が出来る。しかし、こいつらはただの村人だ。家の隅で奥歯をガタガタ震えさせることしか出来ない能無しなんだよ」


 ムックの煽りに火がつ、どんどん村人を晒しめる。


「そもそも、こいつ――」

「黙ってろ、税金泥棒」

「なっ……」


 夜太郎の一言でムックの煽りが静止する。


「……覚悟を示すのを忘れていた。覚悟があるかも分からない相手に、命を預けられるはずがないよな」


 言葉を詰まらせているムックを無視して、夜太郎はニコラスに話しかける。


「なあ、ナイフ持ってないか? ないのならその腰にある剣でもいいけど」

「ありますよ。はい、どうぞ」


 袖の内側からナイフを取り出し、夜太郎に手渡した。


「ありがと、ちゃんと洗って返すから」


 ナイフの刃を鞘から抜き、腰を下ろす。そして、左手を地面に引っ付ける。

 群衆の視線が夜太郎の行動に集中する。


「よく見ておいてくれ。これが俺の覚悟だ」


 そう言って、ナイフの刃を左手の甲に振り下ろした。

 刃は左手を貫き、傷口から血が溢れ出す。


「ヤタロウ!」


 イリスが群衆の中から飛び出し、夜太郎に寄り添う。


「とりあえず、手当をしないと」


 慌てて家から布を持ってきたマーガレットから布を受け取る。

 ナイフを抜き、傷口を布で覆い縛って応急の手当を済ませた。


「家に戻ったらお説教だから」

「……え、マジで?」


 夜太郎の突然の行いに群衆が動揺している。


「なあ、お前さんは何故そこまでするんだ?」


 群衆から男が一人、夜太郎に問いかける。夜太郎が自分の手にナイフを突き刺してまで説得しようとする理由が男には理解できなかったのである。


「最初に言っただろ。ゴブリンを皆殺しにするためだと」


 溢れる血で布を赤く染めながら夜太郎は立ち上がり男の目を見つめた。見つめる瞳には、漆黒の炎が宿っている。


「友を殺され家族を殺され、それで憎まずにいられるか? 憎悪で身を焦がさずにいられるか? ……俺には無理だ、だから殺す。奴らの喉を裂き、心臓を抉る」


 善の衣を着せず、大義の装飾品を身に着けず、ありのままの感情を述べた。


「お前さんは強いな。俺に無理なことを平然と言ってのけやがった」


 己の思いを、弱気意志を吐き捨てるかのように男は言葉を続ける。


「俺だって、ゴブリンが憎い。いや、村のみんなもそうだろうよ。村をこんなんにしたゴブリンが憎いんだ。……でもよ、じゃあゴブリンと戦おうってのはやっぱり無理なんだよ。足が震えてさ、心が怖がってしまうんだ」


 人は強くない。憎しみよりも恐怖に従順な生き物。

 だから、この男も村人達も普通だ。何の変哲も無い極普通の人間である。夜太郎のような生き方を出来る方が異常。

 そこが計画を先に公開できない理由であった。

 言葉巧みに一時の賛同を得ても、普通の人間は戦の直前で逃げ出す。自分達の責任ではない、やっぱり俺達じゃ勝てっこない、など適当な言い訳を掲げて。

 その言い訳を論破したとしても解決はしない。新たな言い訳を掲げてくる。

 再び論破したとしても、結局また新たな言い訳を生み出して掲げる。

 言い訳の内容それ自体に意味があるのではない。恐怖で戦いたくないことを隠すためにしているだけなのだから。


「じゃあ、俺一人でゴブリン共を皆殺しにしてもいいのか?」


 問いかけた。弱き心を吐き出した男に、村人全てに。


「俺は一人でも皆殺しにするつもりだ。本当にそれでもいいのか? 後悔しないのか?」

「それはどういう意味だよ?」


 男は疑問に思う。自分達の復讐を果たしてくれるのに、後悔などすることがあるのかと。


「復讐ってのは、相手が死ねば果たせるってものじゃない。己の手で殺してやっと果たせるんだ。他人にしてもらう復讐で心は晴れない。クソマズイ飯のような後味が残り続ける、死ぬまでな」


 自分で果たさなければ意味がない。己の手で果たせなかった復讐は、永遠に心に残り続ける。夜太郎は、そう言っていた。

 男は夜太郎の言葉の意味を飲み込む。


「……俺も戦う」


 一言、男が宣言した。


「怖いけどよ、怖くてたまらねえけどよ。でもやっぱり、自分の手でゴブリン共を殺して、復讐を成し遂げたい。友を殺されたのに、後悔し続けて生きるのだけは嫌だ」

「そうか、なら復讐を果たすために力を貸してやる。殺すための剣となり、恐怖に打ち勝つための鎧として」


 ついに新たに受け入れる者が一人増えた。

 一人だけでは意味がない。これじゃあ日が暮れるまで終わらない。そう思ってしまうだろう。

 だが、もう心配ない。群衆から一人、無名の男が加わったのだから、もうこれでほぼ終了だ。


「なあ、みんなだってそうだろ。あいつらを殺したいんだろ! 誰かに任せてじゃなくて、自分の手でさ!」


 群衆に訴える男、それは村人達の心に秘めている復讐、と似た存在と化していた。

 心の隅に押し込まれている復讐心が、男と同じように叫んでいる。殺したい、自分の手で殺してやりたいと。


「俺も戦わせてくれ!」

「……私も」


 一つ、また一つと声が上がる。マッチの火のように小さかった復讐心が、熱く大きくなっていくのに比例して声の数が増えていく。


「僕も……」「戦いたい、私も」

「俺も」「自分も」「うちも」


 火は村人達を覆い尽くすほどに成長した。夜太郎から飛び散った火の粉が、恐怖を憎悪で塗りつぶすほどに。

 これで村の総同意を得られたも同然であった。


「まさかこのような結末になるとは」


 ニコラスが夜太郎に称賛を送った。


「恩を売る気になったか?」

「ええ、もちろん」


 ニコラスが微笑む。


「私も駐屯兵の一人としてヤタロウさんに力を貸す。これでどうでしょうか?」

「悪くないな」


 恩の内容を口にしたニコラスの腕を、ムックが引っ張る。


「おい、どういうつもりだ! 軍人が村人ごときに指図されるなんて」


 耳を真っ赤に染めて怒っているムックに、ニコラスが囁く。周囲に聞こえないほどの小声で。


「彼に指揮させた方が色々好都合なんです。もしゴブリンに負けた場合、村人の一人が暴走した結果、仕方なく自分達は戦うことになった。本来は、戦闘をするつもりなどなかった、と上に言い訳が出来ますから」


 それを聞くと、ムックの怒りは収まり逆に機嫌が良くなった。責任を夜太郎一人に押し付けられること、自分は関係しないでいいことの二つが理由である。

 そんなムックを見て、ニコラスは心の中で思う。一人の村人の暴走を抑えられなかった時点で、隊長としての責任問題を避けられるはずがないのにと。

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