17
「大丈夫……ヤタロウなら大丈夫……」
影を帯びた部屋、イリスは何度も何度も同じ言葉を唱えていた。まるで暗示のように。
「あの時だって帰ってきたんだよ……だから大丈夫……大丈夫……」
布を縫う針が動く。心を落ち着かせるために縫い物の続きをしているのである。
針は進み、糸が縫い付けられていく。だが、それとは対照に、イリスの暗示は心に縫い付けられていかない。むしろ、解けていっている状態だ。
信じていないわけではない。夜太郎が戻ってくる、とは思っている。
しかし、どれだけ信じられると言っても絶対ではない。僅かな可能性、針の穴のように小さいが確かにある可能性。九十九パーセントに対する一パーセント。
それがイリスを不安にさせているのであった。小さき存在、そんなのでさえ存在する以上は恐ろしいのである。
「大丈夫……大丈夫……大丈夫……」
繰り返される信用の言葉。現実になって欲しい願いの言葉。
そんなのはいくら唱えても意味がない。そんなので自分が安心することなどないことは薄々感じている。
だがそれでも唱え続ける。縋る糸はそれしかないのだから。
「大丈夫……大丈夫……イタッ!」
針の軌道を間違え、自分の指に刺してしまった。指先から血が流れ出す。
「……」
流れる血に目が釘付けになる。
家事を得意とするイリス、当然裁縫も得意であった。最後に指を針で刺したのは、いつだったか忘れてしまっているぐらいに。
「……」
あることなどまずない可能性。小さき存在、それが今この瞬間に牙を剥いた。
「大丈夫……大丈夫だよ……だってヤタロウなんだから」
信用の言葉。裏切りという獣を身に宿す存在である信用、の言葉。
「絶対に帰ってくるはずなんだよ……確実だもん」
絶対、確実、そんな強い言葉を使っても証明は覆さない。小さき存在は牙を剥く、という事象の証明を自分自身でしてしまったのに否定しきれるはずがない。
「……ヤタロウ!」
限界であった。願望に縋ることが。
イリスは縫い物を投げ捨て、家を飛び出した。夜太郎という安心の場を取り戻すために。イリスがイリスとして生きていくために。
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