10
「美味いな」
イリスが数日前の果物を材料にして作ったパイを、夜太郎は食べていた。
「本当に?」
「ああ、美味いぞ。特にこの表面の生地か? これがほどよい硬さだからいいな」
パイに対する嘘偽りなしの感想を述べた。
「それなら良かった」
褒められたことに喜びながら、八等分に分けられたパイの一つを手に取る。
パイを誇らしく眺めてから、口に入れた。生地の適度な硬さ、中の果物の甘さで舌が満たされる。
うん、やっぱり上出来、と満足しながら味わう。
優雅なお昼の一時を満喫していると、家の扉がトン、トントン、とノックされる。強くはないが、急いでいる様子のノックであった。
「は~い」
イリスは食べかけのパイを皿に置き、入り口の扉を開ける。
開けられた扉の前には、村の女性がそわそわした様子で立っていた。
「あ、マーガレットさん」
「イリスちゃん! あ、ごめんなさい大きな声を出して……」
「それは別にいいけど。どうしたの? 余裕が無いみたいだけど」
「えっとね、チョモスとリーシャがどこにいるか知ってる? さっきから探しているんだけど、どこにもいなくて」
チョモスとリーシャの母マーガレットは、イリスに二人の行方を尋ねる。
記憶を探るが、二人の姿はどこにもなかった。今日のイリスは朝からずっと家のことをしていたから、二人に会う機会がなかったのである。
「ごめんなさい、今日はまだ見てないわ」
「あ、ううん、気にしないで。でも、イリスちゃんも知らないとなると、本当に二人ともどこにいるのかしら? お昼ご飯の時間にいなかったのなんて初めて」
二人はお昼ご飯の時間に丁度、村を出たのである。現在はそれから一時間ほど経過している。
「ねえ、ヤタロウ。今日チョモスとリーシャ見た?」
モグモグとパイを食べている夜太郎にイリスが尋ねる。
「あの二人か……そういえば、朝ぐらいに村にいたぞ」
「何か変わった様子だった?」
「いつも通りだったと思うぞ」
その時の光景を細かく思い出していく。
時刻は朝、場所は村の中、チョモスが一人で駆け回っていた。変わった点はない。普段とほぼ同じ状態のチョモスである。
ただ一つだけ違う点があるとすれば、チョモスの瞳が輝いていたこと。まるで、夢を追いかける少年のように。
そこまで思い出した時、夜太郎に嫌な予感が走った。
根拠があるわけではない。思い出した限りでは、問題に発展する可能性がある点など一つもなかった。
そう、何もないのである。問題点など一つもない。しかし、それでも夜太郎に嫌な予感が走った。
夜太郎の世界では子供が行方不明になると事件に巻き込まれている可能性が十分にあるという常識、動物的な本能。それらが二人に問題が起きていることを知らせてくるのである。
「ヤタロウ、どうしたの? パイを睨みつけたりなんかして」
イリスの声に、夜太郎の意識が現実へと引き戻された。
「いや、なんでもない」
「それならいいけど」
イリスは食べかけのパイを手に取る。
「もう帰ったのか?」
「ええ、取り敢えず他の家にも聞いて回るみたい。それでも無理だったら、村長に相談するって」
「あの母親、やたら心配していたけど。そこまでのことなのか?」
手に取ったパイを口に入れた。
「う~ん、遊びに夢中になってお昼ご飯に戻ってこないって、よくあることだけどね。他のお母さんが、そのことで文句言ってるのをよく耳にするもん」
茶を飲み、口内のパイを飲み込む。
「ただチョモスとリーシャ、特にチョモスはしっかりとした真面目な子だから、そんなことは一度もなかったんだと思う。最近……お父さんが死んじゃってからは、輪をかけてだったし」
普段から遊びに夢中になって帰って来ないことが多々ある子なら、今回のことで心配したりなどはしない。それが、よくあることであるのだから。
だが、チョモスとリーシャの二人は今までそんなことが一度もなかった。そんなことをしない真面目な子であるからだ。
そんな子達が今回のようなことをしたら、心配するのは仕方がないことだろう。真面目な子供の母親は、子供の不真面目な事態には慣れていない。つまり、母親にとって非常識なことが起きたのだから。
夜太郎は嫌な予感の正体に思い当たりがないか考える。
「うん、やっぱり今回のは上出来。いくらでも食べられちゃう」
出来に満足しながら、パイに手が伸びる。
「そんなに食べて大丈夫か? 太るぞ」
パイに視えない壁があるかのように、伸びた手が掴む直前でピタッと止まった。
「うっ、太る……太る。……で、でも私、太らない体質だから……きっと」
イリスはパイを物欲しそうに見つめる。心の中で、食べたい欲望と食べない理性が争っていた。
「……最後に一つだけ」
欲望が勝利し、パイを食べてしまった。
「うん、やっぱり食べて正解。滅多に手に入らない果物を使っているんだもの、食べられる時に食べておかないと」
食べてことを満足しながら、理由をつけて自分を納得させる。
そんな光景をただ眺めていると、ある考えが脳裏を閃光のようによぎった。
「なあ、この村の付近って安全なのか? 地理や動物など」
「う~ん、安全かは分からないけど危険ではないと思うよ。崖なんかがあるって話は聞いたことないし、危険な動物や魔物は付近には生息していないし」
イリスがサラッと言った単語に、夜太郎の意識が向く。
「魔物? 魔物ってなんだ?」
「え、魔物を知らないの? 魔物っていうのは、数十年ぐらい前に突如現れた生き物。見た目や性格は色々だけど、共通して人間を襲うの。まあ、魔物の知識は行商の人の受け売りで、実際に見たことがあるわけじゃないけどね」
ゲームに登場する魔物と同じって所か、と夜太郎は理解した。
「……危険はないのか」
イリスが言ったことを納得するために小言で呟く。
しかしそれでも、嫌な予感は収まらなかった。
「外に行ってくる」
夜太郎は椅子から立ち上がり、玄関へと向かう。
いきなりのことに、イリスは口をパイで満たしながら驚く。
「どうしたの? 急に」
「ちょっと用事ができた」
そう言い残して、家を出た。
イリスは、その光景を呆然と眺めることしかできなかった。
「まずは場所を知らないと」
夜太郎は駆け足で、情報を得るためにある所に向かう。
そのある所では、オットーがあくびをしながら鍬で土を耕していた。ある所の正体はオットーの畑である。
「お、新入りじゃね~か。どうした? もしかして、畑仕事を手伝ってくれるのか?」
「それは酒の礼に近いうち手伝う。今回は聞きたいことがあって来たんだ」
「聞きたいことだと?」
「数日前、狩りに行っただろ。その時、果物をたくさん持って帰ってきた」
夜太郎の言葉にオットーはその時のことを思い出す。
「そういえばそんなこともあったな。あれを沢山見つけた時はかなり驚いたんだよなあ」
「その見つけた場所を教えてくれないか?」
チョモスはリーシャを喜ばせるために果物を取りに行ったのかもしれない。朝のチョモスの輝いた瞳、イリスが食べていたパイ、数日前にチョモスへ言った言葉、それらのピースが組み合わさって夜太郎の脳内にそんな発想が生まれてたのだ。
「それはかまわねぇが。何でそんなことを知りたいんだ?」
「事情は後で説明する。だから、早く教えてくれ」
オットーは夜太郎の勢いに押され、事情を聞かずに場所への行き方を説明した。
「助かった」
そう言い残して、足早に夜太郎は森へと向かった。
問題が起きているとは限らない、いや今までの情報を元に推測すると起こっている可能性の方が低い。合理的に判断するとこうなる。
しかし、夜太郎は目的の場所へと急ぐ。合理性よりも感情を重視する人間であるから。
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