04

「へえ、これがイリスの村か」


 イリスの村を初めてみた夜太郎の感想は、『絵本に出てきそうな田舎の村』であった。

 畑では男が桑で土を耕し、木で出来た家から料理の匂いが漂い、子どもたちは走り回って遊んでいる。平和と小さな幸福に満たされていた。


「面白いものはなにもないけど、良い村なんだよ」

「ああ……そうだろうな。良い村だ」


 イリスたちは、夜太郎が村に住むことを許可してもらうために、村長の家に向かっていた。村長の家は、村の奥にある。

 家に着くと、イリスが扉を開けた。


「村長、いますか?」


 中では、白い髭と髪が特徴的な年寄りの男性が杖を突きながら立っていた。


「どうした。何か用事かい? イリス……ん、隣りにいるのはこの村の者ではないな」


 村長は髭をいじりながら、しわくちゃな目で夜太郎を注視する。


「彼のことでお話があって来ました。彼がこの村に住む許可が欲しいのです」

「ほう、それはいきなりな話だのう」


 イリスの急な願いに、村長は若干驚く。


「見たところ、他所の村の者というわけではなさそうだのう。けど、流れ者の傭兵というわけでもなさそうだ」

「彼は異国からの旅人です」

「ほう……旅人」


 このあたりでは見ない格好をしていること、イリスたちが住んでいる国のことをあまり知らないこと。異国の者ならそうであってもおかしくない、最悪ごまかせる、イリスは考えていた。

 村長は、夜太郎の頭から足先まで、品定めするかのように見つめる。


「まあ、イリスが大丈夫と思った者なら心配あるまい。おぬし、名は何ていう?」

「夜太郎」

「では、ヤタロウ、おぬしがこの村に住むことを許可しよう」


 その言葉を聞くと、イリスが真っ先に喜んだ。


「村長ありがとうございます!」

「ホ、ホ、ホ、喜んでもらってなによりだ。……しかし、住むのはかまはないが、住む家がないぞ。空き家なんて残っていなかったはずだしのう」

「それは大丈夫です。私の家で一緒に住むことを予定していたので」


 イリスの発言に、村長は目を見開く。


「ほう、若いおなごと同居とな。ヤタロウ、おぬし幸せ者だのう」

「ん、ああそうだな」

「今日から早速住むのかい?」

「はい、そのつもりです」

「ほう、そうかそうか。なら、イリス、先に家に帰って掃除をしておいた方がいいんじゃないのかい? おなご一人だけの家、異性には見せられない物が一つ二つ散らかっているかもしれないからのう」


 その言葉に、イリスはハッと何かを思い出して顔を強張らせた。


「わ、わたし、先に家に戻ことにしたから!」

「ホ、ホ、ホ。では、ヤタロウ、おぬしはワシの話にでも付き合ってくれ。異国の旅人の冒険譚、心が踊りそうだしのう」

「うん、ヤタロウはそうした方がいいと思うよ。じゃあ、わたし先に戻るから、ゆっくりとじっくりとお話してて」


 イリスは頬を少し赤らめながら、駆け足気味で村長の家を去った。

 その姿が消えるまで、家に残された二人は見ていた。


「最近は女性としての風格が出てきていたが、やはりまだ乙女ということか。ホ、ホ、ホ」

「……」

「では、ヤタロウ、早速心躍る冒険譚を……と言いたいところだが、その前に聞いておかなければならないことがある」


 しわくちゃで垂れ目、優しそうなおじいさんそのものの村長の目。しかしそれは今、夜太郎を鎌のように鋭く睨んでいた。


「おぬし、本当は何者だ?」


 村長が持っている杖の持ち手の下部から刃が現れた。杖は刃を隠した仕込み杖であった。


「……」


 仕込み杖の刃と鎌のように鋭い視線が、夜太郎の首に狙いを定めている。

 下手な嘘を付いたりすれば確実に殺される、と夜太郎は肌で感じていた。


「わしにとって、おぬしの正体なんてのは、はっきり言ってどうでもいい。大事なのはただ一つ、おぬしが村に災いをもたらす存在であるかどうかだけだ」

「……」

「イリスがこれだけ気に入っているのだから、おぬしが悪人でないことは分かっている。あの子は、人の本質を見抜くのが上手いからのう。しかしな、わしはこの村を治める長、この村の安息を守るのが務め。だから、素性の知れぬ人間を気軽に歓迎することは出来ぬのだ」

「……」

「それに、おぬし、平凡な一般人ではないだろう」

「……」

「わしはな、今でこそ村の長を務めているが、昔は世界中を旅する旅人だったんだよ。長年の旅で、様々な人間を見てきた。だからな、人を見るということが少々得意なんじゃよ。……おぬし、何故、瞳の奥に漆黒の炎が宿っている?」


 激情に支配された人間の目だと、夜太郎の目はそうなのだと村長は言っているのである。

 そんな平和とは無縁な人間を、理由もなしに村に居座ることを許可する気は、村長にはなかった。

 村に災いをもたらす者はこの場で始末する、と目で夜太郎に語りかけている。


「おぬしは、何者だ?」


 この場で嘘を付けば殺し合いに発展することなる、と夜太郎は理解していた。


「俺は……神の使いだ」


 信じられないような真実でも話さないで殺し合いになるより、信じてもらえるかもしれない僅かな可能性に掛けた。


「ほう、神の使いとな。面白いことを言う。では、深く問おう。その神とは一体誰だ?」

「……クロロ」

「ッ!」


 村長は目をはち切れんばかりに見開く。


「……クロロ、クロロ様か。それならばそうなのだろう」


 村長の瞳は夜太郎を見つめる。

 しかし、その瞳には夜太郎は映っていなかった。映っているのは、その先にある過ぎ去りし時の幻影であった。


「フ、取り敢えず信じるとしよう、神の使いとやらを」

「……」

「しかし、それだけだと瞳の炎の説明はつかないのう。そっちも聞かせてもらえるかい?」


 漆黒の炎、それが夜太郎の秘めた激情を意味していることを夜太郎は理解していた。


「それは俺にも分からない。いや、忘れた。だから、こんな場所に今俺はいる」

「失った激情……幻影といったところか。それが、おぬしの炎の姿」


 村長は刃を元の状態に戻し、穏やかないつもの表情に戻った。


「まあ、おぬしが安全なことさえ分かればそれでいい」


 家の外の世界は、夕焼け色で満たされていた。


「そろそろ頃合いかのう。では、ヤタロウ、イリスの家に向かうとしよう」

「俺への疑惑は晴れたのか? 殺さなくていいのか?」

「まあ一応はのう。それに、イリスのお気に入りを殺すわけにはいかないよ」


 村長は家を出ようとする。

 それに追従するように、夜太郎も動き出した。


「送迎ついでに村の紹介でも……いや、それはイリスにまかせるとするかのう」

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