03

「イッタッ、イテテ。あの糞神、どこに俺を飛ばしてんだよ。y座標の位置ミスってるぞ」


 音のした祠の方をイリスは振り向くと、そこにはさっきまで姿形もなかったにも関わらず、人間がいた。その人間――夜太郎は、お尻を擦りながら文句を言っている。


「嫌がらせか? これも首を絞めたことへの嫌がらせなのか? 神のくせに心の器小さいやつだ。……いやでも、神話上の神もろくな性格のやついないし、神ってこういうものなのか」

「……」


 イリスはその姿をじっと見つめていると、夜太郎はそれに気づいた。


「ん、ひと? あ、ああこの世界の住人か」


 ズボンの砂を払いながら立ち上がり、イリスに近づく。


「この世界って日本語でいいのか? いや、この女の服装はどちらかというと洋風。なら、フランス語の方が通じる確率は高いか。……ボンジュ~ル?」


 挨拶をしているのだろう、とイリスは直感的に察する。しかし、知らない言語だったので、顔に疑問の色が出てしまっていた。

 イリスの反応は、フランス語での挨拶はボンジュ~ルじゃないことを意味してるのだと解釈し、夜太郎は表情はそのままで頬を赤らめる。


「ハ、ハロ~。キャンユー、スピーク、イングリッシュ?」

「……?」


 再びのイリスの反応に、さらに頬を赤らめる。


「グ、グ、グーテン モルゲ――」

「え、え~と、こんにちは?」


 三度目の挑戦を、イリスの言葉が中断させた。


「こんにちは……こんにちは、だと。つまり、この世界は日本語で良いのか」

「にほんご? それは知らないけど、あなたが使っている言葉の意味は分かるよ」


 日本語が通じるのは、この世界に転生する時に、クロロが夜太郎の母国語がこの世界の言葉に変換されるようにしていたのである。

 そのため、会話はもちろん、その世界の文章を読んでも日本語で理解できる。逆の、その世界の文字文法を知らないのに、その世界の文章を書くことも可能である。


「まあ、意思疎通が出来るのならなんでもいいか。なあ、周辺に人が生活しているような場所はあるか?」

「人が生活……私が住んでいる村ならあるけど」

「そこにホテル……宿屋はあるのか?」

「小さな村だから、そんな立派なものはないかな」


 夜太郎はクロロとの取引を早速始める算段だ。しかし、自分は神でも化物でもない以上、日々を生きるには食料と寝床が必要であった。

 だから、生活の拠点となる場所を探していた。


「ねえ、私の方からも質問していい?」

「別にいいけど」

「あなたって普通の人ではないよね。じゃあ……何者?」


 夜太郎がただの通りすがりの旅人や流れ者の傭兵ではないことに感づいていた。

 見たことのない様式の服を着ていること、村から一番近くの村まで馬に乗っても二日以上掛かるのに食料などの荷物を一切持っていない手ぶら状態であること……そして、祠の前に突然現れたこと。ありとあらゆることが、夜太郎は普通ではない、とイリスに訴えていた。


「……神の使いって言ったら信じるか?」

「えっ神の使い!?」


 イリスは思わず驚いてしまった。夜太郎の正体に見当が付いていたわけではないが、その回答はあまりにも意外だったからだ。


「やっぱり無理か。ばかげているもんな、こんなの」


 頭を掻きながら、夜太郎はこの状況で都合の良い言葉を考える。


「……信じる」

「ん? 何をだ?」

「あなたが神の使いであること」


 確信があるわけではなかった。神の使いを前提にすれば、夜太郎の奇妙な点は全て納得がいく。しかし、だからといってそれで信じられるほど、簡単なことではない。それだけ、神の使いという回答は非常識であった。


「え、ええと、信じてくれるのならいいんだけど。その、なんだ、見ず知らずの俺の言葉なんかをそんなあっさり信用してもいいのか? 言った本人が言うのもおかしな話だが、もっと疑ったほうが良いぞ」

「信じる、それでも信じる」

「うん……相手のことを信じる純粋な心は、素晴らしい。しかし、度が過ぎると危険だぞ。バカと純粋な奴は詐欺の標的にされやすいし」

「バカ、私がバカ!? そんなことがあるはずないよ。私は村で頼りになるお姉ちゃん的な立場なんだよ! 村の子供達は私のことを、お姉ちゃんお姉ちゃんって慕ってくれているぐらいなの」


 イリスはどちらかというと純粋ではある。だが、それは神の使いであることを無条件に信じられるほどではない。

 イリスにとっては、夜太郎が神の使いであることよりも重要な事があったのである。それが、真実なら神の使いであるかはどうでもよかった。

 しかし、そのことをイリスは自覚していない。まだ無意識の領域から逸脱してはいなかった。

 だから、大事なことの手前である神の使いであることを信じたいなどと思ってしまった。真実であって欲しいのは、その先であることを知らずに。


「ねえ、住む所と食べ物が必要なんだよね? だから、さっき宿屋のことを聞いたんでしょう」

「ああ、そうだ。……といっても、無一文だから宿屋があったとしても泊まれないけどな」


 イリスは微笑んだ。無意識に自然に。


「なら、私の家はどうかな? 寝床もご飯もタダで提供するよ」

「え、まあ、それはありがたい誘いだ。けど、俺なんかをいきなり家に連れ込んでも大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。私、一人暮らしだから反対する人なんていないもの」

「そ、そうかそれなら問題ないのか。……いや、余計に問題ありでは?」

「もう、うじうじ悩んでても仕方ないよ。私の家に住む? 野宿する? どっちにするの?」


 夜太郎の返答を急かす。


「住む、住ませてもらいます」

「そう……それは良かった、本当に」


 イリスの心に内に幸せが溢れた。原因は今のイリスには分からない。


「じゃあ行きましょう」

「ああ、行くか。……その前に自己紹介しとかないといけないな。俺の名は結城 夜太郎」

「ユウキ ヤタロウ、珍しい名前ね。私はイリスっていうの。よらしくね、ヤタロウ」


 イリスは夜太郎に握手を求める。


「よろしく、イリス」


 その手を握り返した。

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