3-19 天蓋立位搭乗
「こちらユリウス。現在ルークに乗って、津軽海峡を北上中! 出来の悪い後輩の面倒を見に来た!」
『ど、どうしてユリウスがそこに!?』無線から小向の焦る声が届く。
「ピンチに現れるのがヒーローってもんだろうが。それより、気ぃ失ってるα―Ⅲ型を肉眼で確認! 野郎、きりもみ回転しながら落ちてやがる!」
ルークを旋回させたユリウスは、常盤色の戦士と同方向に並んで状況を報告した。かなりの勢いで横に進みながら、風の抵抗を受けるままに四肢をだらりとさせる戦士。ペタルダを倒すために全ての力を使い果たしたのだと容易に推測できる。おそらく、倒した後の事など一切考慮していなかったのだろう。このままではいずれ、本州に届かず海面まで真っ逆さまで落ちてしまう。
ユリウスはそんな志藤塁の無責任さに苛立つも、彼を助けるための手立てをつけるために頭をフル回転させる。と言っても、既に準備は整っているのだが、司令に何を言われるかはわからない。
まさにその司令から通信が入る。言葉自体は厳然としていたものの、彼女の口調は奇妙に弾んでいた。
『無断発進の処罰は重いぞ、ユリウス』
「そういう事にしときますよ! 今はやるべき事をやる!」
銀翼で空を駆るユリウスは、落下する戦士との距離を縮めた。
『α―Ⅱ型とⅢ型、接近します!』
「おいバカ! 空でお寝んねとはたいそうなご身分だな!? 何とか言い返してみたらどうだ?」
「…………」
やはり塁からの返事はなく、意識不明のまま落下を続けている。来臨形態が解かれていないのが不思議なくらいだ。一刻の猶予を争う事態だが……。ユリウスの逡巡にはわけがあった。緋色の戦士に託された使命は一つではなかったのだ。
研ぎ澄まされた感覚がゴーサインを出す。無論、少しくらいの不可能も可能とみなしてのものであったが、可能性の拡大解釈はヒーローの特権なのだ。
「先輩を無視するたぁいい度胸だ。しばらくスカイダイビングを楽しんでな!」
そう言い放つと、緋色の戦士は再びルークを旋回させ、再び函館方面に向かって北上した。
『α―Ⅱ型、離脱していきます!』
『何をする気だ、ユリウス?』
「虫けらの後始末さ! このまま函館を放っておいたら申し訳が立たねぇ!」
『α―Ⅲ型を救助する算段は?』
「SRフライトを使う!」
『何だって!? あれはこの前、採用テストを通ったばかりじゃ……』
「つーか、それしか方法がないだろ! 四の五の言ってる暇はない! バッタを駆除して、あいつも助ける! それができるのは俺だけだ!」
戸惑う蓮見隊員を勢いで押し切れたのは、現在の状況を打破する選択肢の中で、ユリウスの提案が最も高い期待値を示していたからだった。何より、司令室で様子を見守る者と、現場で事を成し遂げようとする者では言葉の重みが違う。信じるに値するだけの意志の強さを、隊員たちは緋色の戦士から感じ取ったのだ。
『……止むを得んか。α―Ⅱ型のSRフライトを許可する!』
「了解! でも、もうやってるんだけどな!」
ユリウスがそう告げた後、無線が何やら騒がしかったが反応しないことでやり過ごした。事後報告がトラブルの元なんてわかりきった事だ。けれども、事が起きる前に二人の適合者は無意識下で意思伝達をおこなっていた。
翼を授からなかった志藤塁。鋼鉄の翼を授かった六波羅ユリウス。対照的な二人が導く運命や如何に。
***
「間もなく群生相が飛来します! 落ち着いて建物の中へ!」
古城の必死な声が、市役所近くの公民館の外に響く。先日にも体験した鈍い耳鳴りのような、バッタの翅音が迫ってきていた。空の黒い染みが街を飲み込もうとしている。外で撮影などをしていた市民らも戦慄を覚え、我先にと安全な場所へと急いだ。公民館の出入口が人でごった返す。古城の再三の注意もかき消され、もはや手遅れかとうなだれそうになる、その時だった。
人々の耳にジェット機の音が届いた。このような状況で飛行機が飛ぶとは思えない。けれど人々はどこかで期待していたのかもしれない、闇を切り裂く一筋の光を。
視線が空に集まる中、ひとりの子どもが太陽の方を指差した。
「ママ、ひこうきがきたよ!」
群生相より先に飛来したのは、白い渡り鳥のようなジェット機だった。戦闘機と呼ぶほどの無骨さもなければ、ミサイル等の武装も積んでいない。だが、人々がそのジェット機に勇猛さを感じたのは、炎を連想させる緋色が翼の上に浮かんでいたからだ。
ジェット機は低空飛行で公民館の間近を横切る。その全貌が露になった瞬間、人々は驚きの声を次々と上げた。
「何だあれは……?」
「人が……いや、ゼトライヱが戦闘機の上に立っている!?」
「さっきのとは違う! 緋色だ、緋色のゼトライヱもかけつけてくれたんだ!」
キャノピーの上部後方に伸びる角のような突起物を掴み、緋色の戦士は文字通りルークに立ち乗りしていた。まるで見た事もない飛行スタイルに、報道カメラマンは促されるまま旋回するルークの撮影を再開する。
その映像は司令室の正面モニターにも届き、近藤隊員は髭を擦りながら呟いた。
「天蓋立位搭乗。まさかこんなに早い段階でお披露目とは」
実のところ、これといった戦術的優位性は皆無に等しい。元々ルークは無人機で人が乗れるコクピットはあらず、適合者のP.Zを物質化する装置を突貫工事で外部に取り付けたものだから、成り行きであのような搭乗になってしまったのだ。
しかし、見た目のインパクトはこれ以上に優るものはない。サーフボードのように上空を遊泳するゼトライヱの姿というのは、騎乗するナポレオンよりも英雄然としていた。
「まずはお掃除だ!」
ルークに乗る緋色の戦士は、青空を蝕む黒い染みに突撃する。エンジンの中にバッタの群れが入り込んだら墜落は免れない。自殺行為とも思えるシーンだが、見上げる市民らは何故だか瞳に強い希望を宿していた。ゼトライヱならば、と。
「フィールド展開! 蹴散らせえぇ!」
人々のその思いに呼応するかのように、ルークを先端から覆う流線形のバリアが展開される。戦士と同じ緋色――悪を絶つ紅蓮の障壁の中、ユリウスは丹田に力を込め、意を決して群生相に飛び込んだ。
障壁を得たルークは、黒い染みをズバッと切り裂きながら悠々と空を駆ける。自然と湧き起こる歓声に、古城も声を上げることを止められなかった。現地の人々も中継を見ている人々も、目撃者全てが緋色のゼトライヱに平和の訪れを祈っていた。
妖蝶が招いた災いを薙ぎ払う一筋の光芒は、常盤色の戦士が放つ光球よりも強力で、雄々しくて、胸を打つものがあった。秋晴れの昼間の出来事だというのに、その光景は夜闇に舞い降りた燦然と輝く彗星のようだった。
「人間様の土地を荒らす不浄な虫は、こうだ!」
ユリウスはそう叫び、障壁から緋色の粒子を雨の如く振りまいた。ペタルダが鱗粉を撒くやり方に似ていたが、高速で振りまかれる粒子はそれよりも瞬く間に広範囲に行き渡った。効果はてき面で、群生相は広がった先から粒子と共に消滅し、元の青空が顔を出す。まるで黒で濁ったパレットを大量の水色で塗り潰すような、義憤に満ちた爽快感があった。
「おらおらぁ!」
誰も彼を止める事はできない。積もり積もった戦士の鬱憤は、市全域を覆ってしまうほどの群生相すら制圧しようとしていた。台詞の通りユリウスはこれ以上なくオラついていたが、その実頭の中は常に冷静さを保っていた。大和司令の厳しい教えの賜物である。
ユリウスの性格上、一匹たりとも残さずバッタを殲滅させるものだと隊員たちは予想していた。
「ざっとこんなもんか。後は自力で頑張ってくれよ!」
しかし、空に霧散したバッタを数多く残したまま、緋色の戦士を乗せた戦闘機は障壁を解き、海峡の方角へと遠ざかって行った。
「さぁて、最後の仕上げといきますか!」
威勢の良い適合者のかけ声と同時に、司令室にひとつの電子音が鳴る。適合者のP.Z残量が危険域に達した合図だ。加えて、限界に近付いているのは残量だけではなかった。
『P.Z残量、残り一〇パーセントを切りました!』
「あのバカは今どこだ!?」ユリウスの声は既に余裕がなかった。
『高度五〇〇〇メートル付近を降下しています! 水面到達までおよそ二分!』
『ルークなら追いつける! 急げ、ユリウス!』
「了解!」
チャンスは一回だけだとか失敗してはならないだとか、そういう不安を煽るような言葉を呑み込んで、大和は必要最低限の指示をユリウスに伝えた。鋼鉄の翼を授かったユリウスは、ルークの角に捕まりながら高速の世界を疾走する。
最短距離で塁の救出ポイントに向かう緋色の戦士。薄い雲を抜けて本州最北端を覗くと、緩やかに機体を下降させ曲線軌道で海面に接近する。海面擦れ擦れで塁をキャッチする作戦の始まりだ。確実性を考慮したいところだが、生憎そこまで戦士の体力は残されていない。生死の瀬戸際でやれる事と言ったら、人であろうがゼトライヱだろうが関係なくひとつに絞られる。自分の力を信じる事だ。
白金の戦闘機が通り過ぎると煌めく海面に轍ができ、激しい波しぶきがほとばしる。それほどの低空飛行を続ける中、ついに急降下する緑色の物体を前方に捉えた。ユリウスの目測は目測の領域を超え、二つの軌道が交差する一点に収束される。海面からおよそ一〇メートルを目指し、ルークはさらなる低空飛行の態勢に入る。
近すぎれば激突してしまうし、遠すぎれば届かない。高速の世界に身を置いていたユリウスの感覚は研ぎ澄まされ、音が消え、背景が消え、風の抵抗も消えてゆっくりと落下する常盤色の戦士だけが映っている。絶妙の機を逃すまいと、その一瞬が十回の心音を感じるまで引き延ばされているようだった。
緋色の戦士は空いた手をめいっぱい伸ばして、常盤色の戦士の腕を掴もうとする。そのとき、落下による不規則な揺らぎが不運にも起こった。戦士の腕はむなしく空を切り、二つの軌道は交差しないと思われた。しかし、
〈予測……済みだあああぁぁぁ!〉
心の叫びと共に、ユリウスは掲げた腕をそのままに文言を唱えた。
「コードO.H!」
スキルコード〈オブジェクト・ホールド〉は、P.Zで柔らかい膜状のものを物質化する特技である。かつて落下する少女を助けたときなどに使用した技は、一握りのP.Zさえあれば発動できる。ユリウスはこの瞬間のために、まさに一握の余力を取っておいたのだ。
半透明の膜が、僅かに逸れた二体のゼトライヱの腕に絡みつき、彼らを繋げる懸け橋となる。ルークは上昇軌道を描いて、安全な高度まで到達した。その間、ユリウスは風に靡く常盤色の戦士を必死に手繰り寄せ、決して放すまいと腕の中に収めた。一番の歓声が上がる司令室とは対照的に、緋色の戦士からは何の言葉もなく、かなり疲弊した様子だった。
その後の飛行は、本州を目前に力尽きるのではないかというくらい不安定だったが、ルークは何とか二体のゼトライヱを乗せて地上に降り立った。
「へ……へへ……。借りは返したぜ……!」
野原に不時着した機体が完全に停止するのを見届けると、ユリウスは塁と共に地面に倒れ、そう言い残して気を失った。
かくして、二体のゼトライヱが織りなす妖蝶の討伐劇は、五稜郭から大間崎までの津軽海峡を越える大跳躍で幕を閉じた。同時に、理想郷でも反理想郷でもない函館の日常が、新たな始まりを迎えたのだった。
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