3-20 海峡を越えて

 翌日の午前、派遣されていた望たちは、解析班と入れ替わりで函館を発つことになった。こちらに着いた時と同じ出で立ちでの帰還というのは、不思議な感じがして寂しくもあり、望は何気なくキャスケット帽を被り直した。

 駅の売店で買った申し訳程度のお土産を片手に、もう一方の手はキャリーバッグを転がして、改札口の手前で振り返る。泰紀と阿畑も同様にして、背後にいたスーツ姿の男性を見つめた。旅の始まりはお堅い印象の公務員だったのに、今では彼は柔和な笑みを浮かべている。

 その男性に向かって、望は努めて元気に声をかけた。


「わざわざ送ってくれてありがとう、コシロー。忙しそうだったみたいだけど」

「気晴らしにドライブでもと思ってね。帰ったら山積みの書類が待ってる」

「お互い様だね。大人になったのを実感するよ」


 古城に続いて泰紀が、くたびれた新社会人のぼやきを口にする。阿畑は一歩引いた態度で相変わらず無口だったが、それとなく腕時計を確認した。どうやら、喫茶店でコーヒーでも飲みながら出発を待つ時間もないようだった。


「あ~あ、もっとゆっくりしていきたかったな。コシローとも色々話したかったし」

「あぁ、そうだな……」

「…………」


 人混みの喧騒の中で、ばつの悪い沈黙が彼らを襲う。どこか余所余所しい男女と、そうでない二名。再開と別れはいつだって前者のためにあるもので、後者はその度に忖度を働かせなければならない。

 阿畑と泰紀が、それぞれ望の荷物を分担して手に取りその場を後にする。きょとんとする望を一瞥した泰紀が、最後にひとつ息を吐いて明るい調子で告げた。


「じゃあ、僕らは先に乗ってるね」

「う、うん」

「バイバイ、古城くん」


 そう言って泰紀は含みある眼差しを残し、阿畑と共に新幹線の中に消えていった。途端に喧騒が大きくなったと錯覚を覚えたのは、古城だけでなく望も同じだった。帽子を深く被る彼女の表情はわからなかったけれど、後手には回るまいと古城は何とか声を出した。


「気を遣われてしまったかな」

「泰紀のやつ、また余計な事を……」

「余計、だったか?」

「う、ううん! そういう意味じゃなくて!」


 見つめ合う二人の間に唐突な笑いがこみ上げ、彼らは破顔を余儀なくされた。傍から見れば奇妙に映ったことだろう。和やかな雰囲気に当てられた古城は、近いようで遠い過去の学生時代を思い出す。二度と来ない青春を再び味わえた事と函館で起きた優美な現象を照らし合わせ、古城はその想いを正直に伝えた。


「だけど不思議だな。ユートピア現象で咲いた花々が散って、元通りになるなんて」

「ほんと。だったら残ったバッタもいなくなればよかったのに」

「これから自治体総出で駆除に当たるよ。被害は出たけど、ゼトライヱのおかげで何とかやっていけそうだ。函館は必ず生き返るさ」


 最後の言葉は自然と発せられたものだったが、それ故に力強さがあった。人が力を合わせればどんな苦境も乗り越えることが出来る。ゼトライヱはきっかけを作ったに過ぎなかったが、それでいい。本懐は全てそこに在るのだから。

 未来を見据える若き男性に、望は安心を覚えた。また、安心とは別の感情も存在したという事実は、彼女の心に深く刻まれたことだろう。

 それから二言三言交わした後、望は会話の一応の区切りをつけた。曖昧ではあったが。


「何だか、あっという間だったね」

「そうだな。三日前から今日までの出来事が、まるで夢を見ているような気分だった」

「良い夢だった?」

「それは、これからわかる」


 古城の見据える対象が、未来ではなく眼前の女性ただ一人に移り変わる。ひたすらに真っ直ぐな眼差しに望は顔を逸らしたくなったが、しっかりと正面から受け止めようと胸に誓った。


 両者の胸の高鳴りが最高潮を迎える。


 告白の行方を敢えて述べる必要はないだろう。二人の表情は切なく、複雑で、最後は共に朗らかな顔をしていた。少なくとも古城にとって、決して後味の悪い夢ではなかったという事だ。

 何物にも代え難く、人生を振り返るときに必ず記憶される、夢幻の理想郷に漂うような感覚。改札の手前で向き合う二人にとって、その寸刻は特別な時間だった。


「そうだ。今度志藤に会ったら伝えておいてくれ。夢を諦めずに突き進めってね」

「……うん!」

「また函館に来てくれよ。いい街だから」

「うん! またね、コシロー!」


 軽く手を挙げて応える古城に対し、改札を通過した望は振り向いて手をブンブンと強く振った。古城はずっと忘れないだろう、涙がこぼれそうなほど瞳を潤わせていた彼女の姿を。

 十月といえば、北の大地では吐息も白くなり、霜が降りれば冬の訪れを予感させる頃だろう。しかし、執心の長い冬で悴んだ古城の胸の内は、海峡を越えてようやく芽吹きの時期を迎えようとしていた。

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