3-18 over the strait

「来臨……ゼトライヱ!」


 無人の五稜郭タワー一階で、志藤塁は常盤色の戦士へと姿を変えると、すぐさま外へ出て函館山の方を見遣る。不気味なほど真っ青な空に浮かぶ蝶型のヨルゴス。その真下にある函館山全域では草木が生い茂り、緑に肥大化しているようにさえ映った。

 さらに東の空では、黒い染みのようなものが蠢いて真っ青な空を徐々に蝕んでいく。バッタの群生相である。もう一度蝗害が起これば、函館の景観や環境が破壊され、人が住めなくなる可能性も否定できなくなる。

 人々の淡い希望を抱いて、戦士は彼方に浮遊する地球外生命体と相対した。空中と地上では分が悪い。まずはその差を埋める必要がある。戦士はそびえ立つ五稜郭タワーを見上げると、膝を折り曲げ、その場で垂直方向にジャンプした。


「はあッ!」


 カメラを持つ報道陣や野次馬たちがその様子を見るや否や、一斉に驚きと期待のどよめきを起こす。緑の物体が高速で打ち上がったと思ったら、その存在は既に高さ九〇メートルあるタワー展望台の屋根に悠然と立っていた。これがゼトライヱ。目撃者たちは固唾を呑んで、彼の動向を見守った。


『ペタルダは鱗粉を撒きながら、現在函館山上空を浮遊中』

『バッタの群生相も出現した模様! 発生源は不明ですが、到来まで時間がありません!』


 冷静な蓮見と、焦りを促す小向の報告が入る。顎髭を擦る近藤と、腕組みをする大和はいつも通りだった。


『タイムリミットは?』

『多く見積もっても、七分といったところでしょうか』

『聞いたか、志藤塁。ペタルダを地上に堕とすだけなら、七分もあれば上等だ。蝗害なぞに惑わされるな。標的はたった一つだ』


 返事をしない塁。だが、彼が集中力を高めているのは出力されるデータからわかった。


『α―Ⅲ型のP.Z増大! 一〇〇に近い数値を維持しています!』

『よし、これならいけるぞ……!』


 大和は確信を強めた。塁が初めてコードL.D.Sを放ったときは、瞬間的にP.Zが跳ね上がっただけであったが、今回はその数値を維持しているという。成長速度と資質、共にゼトライヱとして相応しい、畏怖すら覚えるセンスだった。

 常盤色のオーラが戦士の身体から溢れ出ている様は、市民の避難誘導を行う古城の目にも届いていた。ライブ中継の映像では、展望台の屋根に立つ戦士の姿が映し出されている。光球を放つ攻撃ではあのヨルゴスを倒せなかった。今度は大丈夫なのだろうか。函館を救ってくれるのだろうか。一抹の不安が過ぎるも、古城は拳を固く握り、昨晩の自分の言った通りに戦士を信じた。

 タワーの屋根の端で陽光を浴び、凝然として佇むその御姿は、肉眼でなくとも並々ならぬ雰囲気を伝えさせるものがあった。善か悪か、あるいはそのような概念を超越せし存在か。人によって思いは様々だが、祈る人々の方が多かったのは戦士にとって幸いと言えよう。


『飛べ、志藤塁! 翼を授かれ!』


 司令室に大和の号令が響き渡ると、隊員たちも思わず手を止めて常盤色の戦士に注目した。その神々しさから今や伝説として語り継がれる、ゼトライヱα―Ⅰ型の来臨有翼形態。数々のヨルゴスを打ち払ってきた大いなる存在が、時を越えて復活するというのか。

 彼方の妖蝶をしかと捉える戦士。隊員たちの誰もが彼の発止とした返事を期待していた。


「……無理ッス!」


 そして、誰もが意表を突かれ、度肝を抜かれた。


「空は飛べません。俺は人間ですから」


 角ばった司令室の空気が一変する。志藤塁は翼を授からなかった。困惑が立ち込める司令室は、机を叩き付ける音で一瞬にして静まり返った。大和だ。無理という可能性を閉じ込める言葉を、彼女はひたすらに嫌っていた。

 俄かに殺気立つ司令は、怒号にして常盤色の戦士を説き伏せんとする。


『駄々をこねてる場合か! お前は――』

「だけど!」


 その怒号すらねじ伏せる戦士の――志藤塁の気迫溢れる一声。


「だけど俺には! 野球で鍛えた足腰と、野球で培った根性があるッ!」


 ――この感じ、あの時と同じか……!

 大和の感じた奇妙な既視感は言うまでもない。ヤタガラスを初陣で撃破したときも、塁の奇想天外な言葉が始まりだった。常識や論理の殻を突き破る、強靭な意志こそが己を強くする。それがゼトライヱの本質であり、志藤塁はその点において抜群の適性があったのだ。

 そんな彼の心からの本音を聴いて納得する者もいた。宇津木望と安國泰紀の二人は、情熱を口にする幼馴染に全面的な信頼を寄せていた。戦士としてではなく野球人として、彼はきっとやり遂げる、不可能を可能にすると。


「司令、見ていてください、俺のやり方! そして証明してみせます!」 


 力強くそう断言すると、戦士は半身になって腰を落とし、重心を下げた態勢を取る。まるで盗塁を試みる一塁走者のような構えだった。


「俺に……俺に翼は要らないってことォ!」


 地上で構えていた報道陣たちのカメラは、その衝撃の瞬間を捉えていた。

 タワーの屋根に立っていたゼトライヱが、臆することなく左脚から前方に跳躍したのだ。そして、ガラスにひびが入るような音と亀裂と共に、左脚は何もない空間を蹴った。よく見ると、戦士の足裏が常盤色に光り輝いている。二度目は右脚で、三度目は左脚で、不安定ながら同じ要領で前進する戦士だったが、その回数を増す毎に態勢を整えていく。

 もちろん、一挙手一投足を見ればその行為が何であるかは一目瞭然であった。ただ、多くの人々は心のどこかで、飛行や滑空などの空中戦を戦士に期待していた。だから、戦士の出した答えに驚愕したのは当然かもしれない。

 交互に腕を振り脚を蹴るその姿は、紛れもなく。常盤色のゼトライヱは、理想郷の名残を残す函館市上空を猛スピードで疾走していた。


「は、走っている!? 空中を走っているのか!?」

「こんなおいしい画はないぞ! 最高画質で抑えろ!」

「すごいすごい! これ絶対バズるやつじゃん!」

「がんばれー! ゼトライヱー!」


 報道陣たちが躍起になり、野次馬や市民たちから歓声が上がる一方、ゼナダカイアム司令室は混乱と動揺の声が渦巻いていた。


『あ、α―Ⅲ型の足元に、力場のような物体を確認!』

『何とも不器用なやり方を選んだものじゃな。しかし……』

『P.Zの消費量が半端じゃありません! 七十五、七十二……残り七十パーセントを切りました!』

『いささか暴走気味か。いかがしましょう? ……大和司令?』

『…………』

『司令、お気持ちはわかりますが、頭を抱えている場合ではありませんぞ』

『ああ、わかっている……』


 このとき、塁が司令室の会話を聞いていたかは定かではない。最速で、最短で、あのヨルゴスのところまで。自分が何故空中を走れているのか、塁自身も理解していなかった。だからこそ、足元を見ることはしなかったし、目標とする妖蝶だけを凝視することに努めた。

 その妖蝶が光の鱗粉を散らしながら羽根を羽ばたかせる。今度はしっかりと、通信が塁の耳に入ってきた。


『ペタルダ、移動を始めました! 進路は……み、南の方角!』

『ちいッ! 次から次へと予想外の事ばかり!』

『α―Ⅲ型に恐れをなしたか。それとも、何か狙いがあるのか……?』


 ペタルダが移動するとしたら内陸方面という、大和の推測は外れた。ペタルダはひらひらと津軽海峡上空を舞うように飛行する。青空と青海、青に染まる場所へと戦士を誘うように。


『目標、さらに高度を上げていきます』

『群生相の動きも活発化! 到来の時間早まる!』


 事態が急速に変化するも、塁の直情径行な様は変わらなかった。人々が築いてきた、守ってきた美しいまちを破壊せんとする存在は、何人たりとも許せない。志藤塁は大勇の心をもって、雲の高さまで飛ぶ妖蝶を疾く追いかける、新幹線よりずっと速いスピードで。

 その戦士の様子を、古城は地上から見届けた。視界の端から端を一瞬で通過する常盤色のゼトライヱに、古城は感動すら覚えた。しかし、東の空にはザワザワと黒い染みが不吉に滲んでいる。

 希望と絶望の狭間で、古城を含む市民たちは空に光芒を残す英雄に祈りを捧げた。願わくば万事の平穏を、故郷の無事をもたらしてくれますようにと。


 ついに戦士はその御身を海洋上にさらけ出し、ペタルダのいる上空で疾走を続けた。データ上では、戦士のP.Zの残量は既に三割を切っている。空を意のままに翔べる翼があれば内陸に戻ることも考えられたが、適合者はそれを受け入れなかった。

 

『あいつは本当に勝手な真似を……!』


 大和は苦渋に満ちた声を漏らす。高速で海峡の遥か上空を移動する二体の距離が迫る。ここで失速すれば、戦士は力尽きた状態で海面に落下する。そうなれば救助は困難を極めるだろう。元より、塁が翼を授かることを拒んだ以上、選択肢は一つしかなかったのだ。

 適合者は覚悟を決めている。後は自分だけだ。


『もういい! 不本意だが仕方がない! 志藤塁、失敗するなよ! そのまま……』


 破れかぶれにも似た感情だったが、大和はゼトライヱの導く可能性に懸けた。


『海峡を越えろ!』

「うおおおおおぉぉぉぉぉ!!」


 魂の雄叫びを放った後、戦士は態勢を横向きに変え、突き出した右脚に全ての力を集約させた。戦士の力だけではない、人々の思念が宿った渾一の輝きが、不可能を置き去りにして空を駆ける。

 即妙に身を翻して躱そうとするペタルダだったが、敢え無くその胸に致命の一撃が突き貫ける。このとき、戦士の速度は亜音速に達していた。

 奇怪かつ華麗な現象を次々と引き起こした妖蝶は、かくして自らも鱗粉の如く塵となり青天に消えた。その最期もまた妖艶であった。


                  ***


「ペタルダの反応、消滅!」


 小向がそう告げると、司令室は歓喜の声で満たされた。自然と拍手も湧き起こる。

 今まさに函館に迫っている蝗害については敢えて触れまいと、大和は空を往く戦士に労いの言葉をかけた。


「よし、後はお前の帰還だけだ。必ず内陸まで帰ってこい。……志藤?」

『…………』しかし、返事は一向に返ってこない。

「スピードが急低下している! 志藤くん、何か異常があるのか!?」

『…………』蓮見の呼びかけにも返答はなかった。


 不吉な沈黙。海峡の空は相変わらず青に染まっていたが、目に見えない暗雲が俄かに立ち込めるようだった。それもそのはず、可能性を無理矢理に高めた代償がゼロなわけがない。

 志藤塁の視界は既に暗闇に覆われていた。ギリギリのところで維持していたキックの態勢もやがて崩れ、重力の前になす術もなく落ちていく。秋風に吹かれる木の葉のように。


「大変です! α―Ⅲ型の意識がありません!」

「何じゃと!?」

「辛うじて来臨形態を保っていますが、それも時間の問題かと……」


 小向が声を震わせる。ほんの数秒前の歓声が嘘のように、司令室には緊迫した空気が流れる。高高度からの落下、海面への衝突、無意識状態での溺没。このまま塁が目覚めなければ、いくらゼトライヱと言えどもひとたまりもない。英雄の喪失という、皆の頭に最悪のケースが過ぎる。


「チッ、この大事な時に!」


 即座に打開案を模索する大和だったが、イレギュラーな事が続いて頭がついてこず、冷静さを欠いていた。思考停止は誰にでも起こりうる事だが、毅然とした態度を失うのは指揮官として致命的だ。まだ全てが終わっていないというのに、大和は己の未熟さを責め、うなだれる寸前のところまで追いつめられていた。

 彼女にとって幸いだったのは、〈好きなものは最後にとっておく〉という自身の性格を忘れていた事と、彼の恐るべき執念を甘く見ていた事だ。

 大和が苦い表情で閉眼したその時、燻った場にひとつの通信が入る。


『がっせぇな、志藤。お楽しみはこれからだってのに』

「こ、この声は、まさか!?」


 近藤が驚愕の声を上げる。可能性の扉を開く者の来臨は、常に突然である。

 託された想いを受け取るべきは、英雄に他ならず。

 栄光の常盤色を、情熱の緋色に変えて。


「来たか……! 最後の切り札が!」


 それまで負の感情に苛まれていた大和の声が不意に上ずる。彼女が手塩に掛けて育ててきた秘蔵っ子が、仲間を救うために現れたのだ。彼に対する思い入れは誰よりも強く、喜びを抑えきれなかった。

 絶体絶命の志藤塁の前に颯爽と現れたのは、緋色の戦士ゼトライヱα―Ⅱ型。

 その正体はご存知、六波羅ユリウス。

 無尾翼前翼機〈ルーク〉を駆って、海峡の空に韋駄天の如く参上したのだった。

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