3-3 暇なのはいい事?

 同時刻、青森県三沢市。

 太平洋に近接する市の外れにある三沢空港は、アメリカ空軍の部隊が駐留する軍民共用空港として知られている。航空自衛隊も滑走路を使用し、彼らはその場所を三沢基地と呼称している。近隣でヨルゴスの出現が想定された場合、そこがゼトライヱの待機場所として命ぜられるのは当然と言えよう。

 近くに青空を遮る建物がなく、張り詰めた心に自然とゆとりを持たせてくれる。南の太陽はいつもより低く感じ、雲の流れる様を眺めるうちに日が暮れてしまいそうだ。潮風の香る駐機スポットで、三登里隊員は揺れる長い髪を穏やかな表情で抑えた。

 しかし、三登里有佳みどりありかが安らいでいる要因は、そのような天候や風土の影響に起因するものではなかった。彼女の安心感を与えるもの、それは孤児院からの付き合いである幼馴染が傍にいることだけだった。

 そんな当の幼馴染が見上げているのは、青空ではなく地面。倒立した状態で腕の屈伸を繰り返し、地球を持ち上げていたのだ。


「八十一……八十二ィ!」

「すごーい、新記録」


 力尽きて仰向けに倒れる幼馴染に向かって、三登里は興味なさげにそう激励した。

 ゼトライヱα―Ⅱ型として知られる六波羅ろくはらユリウス。彼はこの三沢基地で、現在退屈しのぎの筋力トレーニングに勤しんでいる最中だった。黒のアンダーウェアが濡れ、麗しい顔面からも大粒の汗が湧き出ている。呼吸の度に、胸のあたりが規則的に膨張と収縮を繰り返し上下に動く。戦って傷つく姿は好きではないが、肉体的労働に精を出す姿は好き。三登里は男性に対してそのような好みの傾向があった。


「ハァハァ……。暇だ、暇すぎる……」

「正義の味方が暇なのはいい事よ」


 呼吸を荒げるユリウスの傍まで行き、タオルを手渡す三登里。幼馴染のブロンドの髪が陽光に照らされて三登里は眩しさを覚える。ユリウスはタオルを受け取ったが、手に持ったまま汗を拭き取ろうとせず、晴天を見つめるばかりだった。疲労による表情の険しさこそ消えたものの、彼の澄んだ碧眼はどこか虚しく寂しげだった。


「大和司令も考えたものね。ユリウスに一番効果的な処罰の仕方」


 三登里の言葉を聞いた途端、ユリウスはガバッと上半身を起こし、不満気な様子で口を開いた。


「何で俺が戦闘待機なんだ。もうここに来て五日目だぜ? ちょうどいいスパーの相手もいないし、基地からは出られんし。う~、暇すぎる!」

「ババ抜きでもする?」

「やらねぇ!」

「りんご食べる?」

「食べねぇ! ……食べる」


 食べないと言いつつ食べると訂正するところまで三登里はお見通しだったので、皮をむいたりんごの用意はスムーズだった。運動後の果実の美味さといったら格別なものだ。暇を持て余して不機嫌だったユリウスも、瑞々しいりんごをしゃくりとしたら落ち着いたようで、黙ってもう一切れを三登里に要求した。

 大和司令からユリウスが言い渡された処罰は――処罰と言っても非公式のものだが――戦闘待機という、彼にとって最も苦痛な時間を与えることだった。近日のうちに、ほぼ一〇〇パーセントの確率で函館付近に新手のヨルゴスが出現するというのに、現場に行くのは志藤塁で、ユリウスには指をくわえて待っていろと言うのだ。前回、前々回と失態が続いていただけに、ユリウスはその屈辱的な処罰を受け入れるしかなかった。

 だが、この命令は大和の計画的な策でもあった。もしも志藤塁がヨルゴスの撃退に失敗した時、ユリウスが現場に急行しフォローできるようにした配置だ。そのために必要な戦闘機と、彼をサポートする三登里隊員も三沢基地に送り込んだ。


 とはいえ、待ちぼうけを食らっているという状況は、ヤタガラスが現れる前の平和な日常と似たものがあり、六波羅ユリウスは平穏の再来を決して望んでいなかった。そんな彼とは対照的に、三登里はこの時間を甘んじて受け入れていた。

 ヨルゴスが現れる前も、こういう平和なひとときを過ごしてたっけ。束の間の安らぎが三登里の心を少し揺さぶる。それはまるで戦地へと赴く夫を見送る妻の心境だった。ひとしきり不安な想いをこじらせて、最後に夫とか妻とか何言ってるのかしらと乙女心を催す。それが三登里の思考パターンの一つだった。

 今では彼に対して直接訴えることはなくなったが、心配な気持ちは絶えず三登里の心につきまとっていたのだ。

 りんごの感想を二言三言交わした後、三登里はユリウスに訊ねてみた。


「でも、ヨルゴスが現れるのはほぼ確実なんでしょ?」

「んなもん、こいつを見ればわかるだろ」


 ユリウスは一番近くに鎮座する鋼鉄の機体を顎で差した。戦闘機なんて女子から見ればどれも同じに見えるかもしれないが、その機体は他に並ぶものとは一線を画す謎の存在感を放っていた。


「ルークが? どうして?」三登里の素朴な問いに、呆れた口調でユリウスが口を開く。

「お前なぁ、この戦闘機は世界に二つとない代物なんだぜ。米軍が開発した最新鋭の無人航空機を、ゼトライヱ専用にさらにカスタマイズされている。戦闘機ってのは、新品なら数百億円するほど馬鹿高いが、こいつは金で換算できないくらいの価値がある」


 そう、謎の存在感とは希少価値のことだ。ハイエンドの家電製品が放つあのゴージャス感、とでも言えばいいだろうか。ルークと呼ばれる戦闘機はそれを匂わせる雰囲気を持っていた。

 RQ-603ルークは、近年アメリカ空軍が採用した無人偵察機だ。同じく無人偵察機のRQ-170センチネルと形状が酷似しており、無尾翼前翼機と言われるステルス性の高いものとなっている。格好悪い言い方をすれば、くの字のブーメランのような形だ。

 本来のルークは闇夜に紛れるような光沢のない黒色であったが、イメージの問題等もあり白金色――プラチナ色が採用された。RQは非武装を意味するもので、ルークにはミサイルやその他の火器が搭載されていない。しかし、だからこそ日本の上空の飛行を許されているのだ。

 異色の戦闘機と言わざるを得ないルークだが、もう一つだけ語らなければならない特徴がある。それは、人の乗らないコクピット、その上部にある突起物のようなものだ。小さな角のようにも見える。何に使うかは関係者の中でもごく少数しかいない。

 対ヨルゴス決戦兵器となれば、然るべきところに存在するその珍しい物体を一目見ようと、野次馬根性を発揮するのが人間というものだ。ユリウスはあえて明後日の方向を向いて、低い声で三登里に告げた。


「気づいてるか? 建物の中から、嫌っていうほどジロジロ見られていることに。昨日ルークが届いてからずっとだ」

「なあんだ。てっきり私がかわいいからかと」

「あほか。顔じゃなくてケツを凝視されてたぞ」

「えー!? やだもー!」


 制服のスカートを押さえて三登里は恥じらう。緊張を和らげようとボケをかましたのに、逆に周囲に対する警戒心を強めてしまった。管制塔から見える二人はどのように映っただろうか。それはわからないが、多くの視線が集中していたことは確かだろう。

 滲む汗を拭き取ったユリウスは、表情を引き締めた。


「ともかくだ。ゼトライヱの適合者であると俺と、唯一無二の戦闘機。本丸を手薄にして、切り札をこんな辺鄙な場所に投入したってことは、出撃の可能性はゼロじゃない。むしろ、おおいにあり得るだろう。そうと決まれば、SRフライトの訓練でも……」

「あ、そういえばさっき大和司令から伝言が届いたの、映像つきで。私と一緒に見てだって」

「なにぃ?」


 頭を掻きながら三登里のタブレット端末を覗き込むユリウス。映像の再生時間は十秒もない短いものだった。


『ユリウス。何か期待しているようだが、今回お前の出る幕はない。余計な事は考えず鍛錬に励め』


 司令室の席からそう言い放つ大和。そして彼女の背後にちゃっかりと映り込み、微笑みながらピースサインを送る仙石。大和の計算されていないストイックさは、時としてシュールな笑いを引き起こすものとなる。仙石の緩さも相俟って、関係者からすればその映像の破壊力(破顔力)は計り知れないものがあった。

 しかし、二人の間に笑いは起きなかった。絶句の果てに訪れる静寂の時間。柔らかに吹く風の音だけが、駐機スポットに舞い降りる。三沢基地に広がっていた青空も知らぬ間に陰り、どんよりとした曇天模様に変わっていた。

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