3-2 北の大地にて

 数日後、とある駅のホームに降り立った宇津木望うつきのぞみは、新鮮な空気を吸って背筋を伸ばした。


「うーん、疲れたぁ……!」


 新調した濃紺のキャスケット帽が、伸ばした腕に当たってずれる。できれば上半身だけでなく足もほぐしたいと思ったが、望は断念した。久々の私服、久々のデニムのショートパンツなのにと惜しむ望。普段着用しているゼナダカイアムの制服はスカートのため、彼女は思い切り足を伸ばせる機会を欲していた。お洒落よりも動きやすさを重視するという女子らしからぬ傾向。どうやらずれているのは帽子だけではないようだ。

 ふと、望はここまで自分を運んでくれた新幹線を眺める。東京からおよそ五時間、海底トンネルを通過して乗客を静かに見守るのは新幹線はやぶさ。常盤グリーンと呼ばれるエメラルドのような色合いのボディが特徴だ。望はその色に何だか親近感を覚えた。

 線路の上には駅構内の通路が跨っていて、その壁面全体が大型の窓ガラスになっているため、到着する列車を良い角度で望むことができる。実際、はやぶさの正面上部にはちょっとした人だかりができていた。

 その様子をじっと見ているのは望くらいなもので、他の乗客たちは早々と改札口へ向かう。望は彼らと会話することはなかったが、彼らの職種はほとんど同じだという見当はついた。乗客のほとんどがテレビや新聞などのメディア関係者であり、今回の機会を逃すまいという雰囲気を醸し出していたのだ。

 そんな中、乗降口から望の仲間がようやく姿を現した。望は手招きをして私服の男性二人をこちらへ寄せた。その一人に向かって、望は親しげに話しかけた。


「たまには外に出ないと、体がなまっちゃう」

「そうだね。お留守番中の小向さんには少し悪いけど」

「その分、私たちが頑張らないとね」


 微笑みながら頷く話し相手は望の旧友、安國泰紀やすくにたいきだ。ブレザーをややルーズに着こなしつつ、さりげなくベルトのバックルを見せるお洒落度は流石と言えよう。優しい言葉使いと落ち着いた物腰から、他の同級生からも年上のお兄さんように見られていた泰紀は、大人になっても変わらずそのままだった。むしろ、今度は童顔の方が際立つようになって、淑女から少女まで幅広い層の女性に受ける顔つきになった。

 イケメンになりやがってと、望は幼馴染の横顔を面白くなさそうに見遣る。その視線に気づいてか気づかないでか、泰紀は生徒に注意する先生のように口を開いた。


「ところで望さん? 荷物の運搬は手伝ってほしいな」

「あー!? すいません、阿畑さん!」

「いえ、自分のことは構わず……」


 もう一方の男性、阿畑あばたは駆け寄る望を遠慮がちに制した。阿畑はバックパックを背負い、両手でそれぞれスーツケースとジュラルミンケースもっているという状態だった。ほとんど手ぶらの状態で降りた望の罪悪感は言うまでもない。

 まるで妻の買い物に付きあう休日の夫のような無難な服装の、この阿畑という男は寡黙な人物として知られる隊員だ。大柄でゴツゴツした彫りの深い顔となると否応なく威圧感を感じるかもしれないが、話してみると意外に普通なのが阿畑という男だった。ただ、望は阿畑の名前を知らない程度の関係だったので、折を見て色々と話す機会があればいいなと思っていた。

 それはさておき、後ろを振り返った望はムッとした表情で泰紀を睨んだ。


「まったく、気づいてたんなら先に言いなさいよ」

「いつ気がつくのかなぁと思ってさ。うっかりしていられないよ? 頭を仕事モードに切り替えること」

「わかってる。にしても、やっぱりこっちは寒いわね……」

「はるばる来たぜって感じだね。できればプライベートで来たかったところだけど」

「函館か……」


 望はしみじみとそう呟いた。はやぶさの到着した場所は新函館北斗駅――北海道と本州を結ぶ新たな玄関口だった。

 現在からほんの一週間ほど前の事、函館市と北斗市を含む渡島地方南部全域に、あるとても奇妙な現象が起こった。詳細は後に明らかになるとして、それが地球外生命体ヨルゴス出現の兆しという事で、望たちが調査に参った次第だ。調査といっても、ヨルゴスが現れるのは一〇〇パーセントと断言できるレベルらしい。

 奇妙な現象はヨルゴスだけでなく、もう一つ別の災害を引き起こしている。それが原因で現在、函館空港発着の空の便が制限されているため、望たちは新幹線の利用を余儀なくされたというわけだ。

 当然、対ヨルゴスの存在としてゼトライヱα―Ⅲ型――志藤塁しどうるいも函館へ向かっているが、望たちとは別の便になった。どの便も予約で埋まっている状態から、組織から鉄道会社に無理を言って乗せてもらうことになったので、文句は言えない。

 塁とあと一人、同行している隊員がいる。ヨルゴスを研究する主要メンバーの麦島むぎしまだ。なかなか珍しい組み合わせだが、新幹線の乗り降りくらいは何とかなるだろう。望は少し心配しつつも楽観的だった。


 望たち一行は階段を上って構内へと足を運ぶ。新函館北斗駅の内装には道南スギが使用されており、壁や天井は黒の配色も相俟ってモダンな雰囲気を漂わせる。都会の駅と比べると規模は小さく、行き交う人も少ないが、それにより落ち着いた空気を引き立たせているようだ。それに、新しい建物独特の匂いがまだ残っている。望はこの匂いが、特に理由もないけれど好きだった。

 改札を出たところにある彩り豊かなガラスアートを見上げ、望は感嘆の声を上げる。泰紀と阿畑はあまり興味がなさそうな反応だった。同伴者に女の子がいれば話も弾むのにと、すっかり気を緩ませた望の背後から、無愛想な男性の声がかかった。


「おはようございます。オオトリ研究所の方々ですか?」

「は、はい! そうです!」


 望は暫しきょとんとしたが、すぐに余所行きの声で取り繕った。〈ヨルゴスの再来〉が現実となったこのご時世、その未知の生命体の総称やそれに対抗する機関の名を口に出すと、SNSを通じて望たちの存在が瞬く間に世間に知れ渡ってしまう恐れがある。それは周囲の住民の不安を煽ってしまうし、調査の方も何かとやりづらくなる。望たちが制服でなく私服なのはそのためだった。

 だから、待ち合わせの際にはオオトリ研究所という架空の施設名を使うと決められていた。鳳凰基地の鳳の字を取ってオオトリというわけだ。

 後は互いの電子端末で身分証明をすれば、無事完了だ。何とも面倒な待ち合わせだ。望が胸中で辟易していると、スーツ姿の相手が行儀よく頭を下げた。


「初めまして。函館市役所観光課の古城と申します」

「こちらこそ初めまして。宇津木です」

「この度、私は災害対策本部の部員に任命されまして、皆さんのことをお迎えに参りました」


 車を用意していますのでと言い、古城が望たちを先導する。隊員たちは共通して、前を歩く男に堅苦しさを覚えた。

 一方で、古城の方も愛想よくすべきだったと悔やんだ。本当なら世間話のひとつやふたつを挟むべきところだろうが、彼はどうもその類の事が苦手だった。せめて仕事を真面目に取り組もうという配慮からの閉口は、後ろを歩く隊員たちに緊張感を与えてしまったようだ。人付き合いというのは難しい。

 それにしてもと古城は考えを巡らせる。ゼナダカイアムの隊員と聞いて大柄な男の集団を彼は予想していたが、見当外れの三人に少し戸惑った。

 そのうえ、キャスケット帽を被る女性隊員の名前が印象深かったので、古城は表情こそ出さなかったが物思いに耽った。学生時代ならではの、ほろ苦く淡い記憶。今となっては随分昔のことのように思える。

 古城の後方では、売店の陳列された品物を眺めて隊員たちが会話している。


「そうだ、瀬奈ちゃんにお土産頼まれたんだった」

「おーい、後にしなよ。旅行じゃないんだから」

「そのくらいわかってます」


 字面は丁寧だが、女性隊員の不満気な様子は古城の背中にも伝わってきた。その短い返事を聞いて、前を歩く古城は不思議な気分を味わった。

 声というのは曖昧で、異性のは特にその時の体調や感情で山の天気のように、コロコロと変わってしまう不確かなものだ。けれど、似ていた。古城が昔想いを寄せていた女性の声に、とてもよく似ていたのだ。


「瀬奈ちゃんも函館に行きたそうだったなぁ。欲しいものリストを渡されたのはいいけど、帰りのときに買えるかや? ……買えるかな?」

「わざわざ言い直さなくても。方言を喋る女子って結構モテるらしいよ。阿畑さんはどうですか、方言女子って?」

「……とても、可愛らしいと思います。ところで、さっきのはどこの方言ですか?」

「信州です。僕らは長野県出身ですから。ほら、阿畑さんのお墨付きももらったことだし、望はどんどん方言使っていこうよ」

「お断りしますー」


 当人たちにとっては普段通りの何気ない会話だっただろう。しかし、彼女の声を聞く度に古城の胸が自然と高鳴った。まさか、ありえない、でも、やっぱり――。愚かな自分が立てた仮説を、できる事なら否定したい。


「長野県……望……」


 古城は足を止め、そう呟く。急に立ち止まった彼の背に、望は怪訝そうに声をかけた。


「ど、どうされました?」


 振り向いた男はそのまま、自分の肩の位置より低いところにある女性隊員の顔を見つめる。

 はっきりとした目鼻、小さな輪郭、健康そうな頬のふくらみに、肌ツヤ、唇の形。

 キャスケット帽で隠れた部分を補うと、古城はひどく驚いた様子で彼女にこう訊ねた。


「君はもしかして、宇津木望!?」

「え? …………あ~~~!?」


 フルネームを告げられた望は、そこで初めて目の前の男性の顔を見つめるに至り、そして素っ頓狂な声を上げた。実を言えば、彼の顔に他人の空似のようなものを覚えていたが、望はあまり気にしていなかったのだ。

 ――いや、無意識のうちに気にしないようにした、のかもしれない。

 望にとってその人物にまつわる思い出は、彼女の青春の一ページに刻まれた、忘れるにも忘れられない特別なものであったのだから。


「あんた、コシローじゃん!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る