第3話 海峡を越えて

3-1 古城の憂鬱

 今、世界で最も騒がしい市役所はここだろう。古城こしろはぼんやりとそう思った。

 老齢の市民に応対する職員の話し声と、鳴り止まぬ電話の音。それらから成り立つ不協和音が、ガヤガヤといったような喧騒となって奏でられている。快適という言葉とは真逆の空間だ。処理してもしきれない書類が、各々のデスクにこれでもかと積み重なっている。もう二ヶ月と経てば始まる除雪作業にもうんざりだが、雪の方が綺麗な分だけマシかもしれない。

 わずかな時間気持ちを紛らわせた古城は、向こうから忙しなくやって来る職員を半身で避けた後、億劫な一歩を踏み出した。時刻は午後二時を回ったところだ、いつもより針の動きが遅く感じる。仕事には平常心で向き合うのが信条の古城であるが、上司のデスクへ向かうその道のりに対して、どうも穏やかなイメージを持つことができなかった。

 上司である前園は自席に座って、身振り手振りも入れながら電話で話している。物腰は柔らかいが、人使いは荒いというのが上司に対する古城の評価だ。その上司がちょうど電話の子機を置いたので、古城はそのタイミングを見逃すまいとすかさず声を発した。


「前園主任、お呼びでしょうか?」

「おお、来たか古城くん。早速だが、これ渡しとくよ」


 不意に上司から手渡されたものを古城はまじまじと見つめた。どうやらそれはネームプレートのようだったが、自分のものはすでに古城の胸ポケットに留められている。何かが違うとすれば、手渡されたネームプレートの方に印刷された役職名が、思わず読み上げたくなるような文言だったことだ。


「ヨルゴス災害対策本部部員……。私がですか?」

「そうだ、俺が市長に推薦しておいた。うちの所内でも特に良い人材がいるってな」


 前園は得意気にそう言った。事後報告が多いのが彼の悪い癖だとしても、上司に対して直接きっぱりとは伝えづらいものだ。だから、古城は指摘はせずに疑問を伝えることにした。


「私は観光課の人間です。私よりも環境部や防災担当課の方が適任なのでは?」

「この際、属している部局は関係ないと思っている。どの職員も市民の対応で手一杯、君もそうだと思うが、今回の仕事を最優先に行なってほしい。何事もフレキシブルに、な?」


 面倒事を部下に押しつける上司。どの会社にもいるであろう大きな子どもだ。小難しい言葉を操り、思い通りにいかないと駄々をこねる権力を持った赤ん坊。

 しかし、そんな前園の言うことも一理あった。地球外生命体ヨルゴスの出現する兆しが、役所の管轄する地域で発生したという。関東周辺にしか現れないと思われていたヨルゴス、だが本当に襲来するのかどうかは怪しいものだ。そして、彼らから人々を守る戦士の存在も、にわかには信じがたい。古城は超常現象などについて疑ってかかるタイプの、慎重な性格の人物だった。

 とはいえ、市民の暮らしをサポートするのが役所の役目。ならば、急務を面倒事などとは言っていられない。大きな子どもの言いなりになるのは癪だが、古城はひとまず前園に従う意を示した。


「では、仕事の引継ぎは――」

「あぁ、そんなんこっちでやっとくから」前園はそう言いながら、自分のデスクに積もった書類の一山を古城の方へずらした。「それよりも古城くんは、ヨル対で扱う資料の作成に取り掛かってくれ、明日の朝までにな」

「……了解しました」


 直前の判断を古城は悔やんだ。肘の高さまで降り積もった紙切れを前にして、自分の睡眠時間と引き換えに市民の安全が保障されるなら、という前向きな気持ちにはなれなかった。

 唖然として顔を落とす古城。その視界に上司の憎たらしい顔がカットインされる。


「そんなこわい顔するなって。単なる地方公務員が、本来重要な機関のメンバーにはならないだろう。ただし、国家公務員なら話は別だ」


 前園は元を殊更に強調した。有能な部下の異例な前歴は、彼を弄るに当たって最高のネタだと言わんばかりの誇張の仕方だった。有能な古城でなければ、不快感を露にしていたことだろう。


「買い被りすぎです」無表情を装って古城はそう答えた。

「評価しているんだよ。それとも君は、受付窓口で毎日年寄りにチヤホヤされる方が充実しているとでも? 先週もお見合いの写真を持ってこられたんだってな。いやぁ、モテる男はつらいね」


 さすがの古城もこれには顔を強張らせ、ピクリと眉が動く。その機微を前園は見逃さなかった。そして、煽るような眼差しを立ち尽くす部下に投げかける。仕事のやりがいとして何を求めるかは人に依るところがあるが、前園は目ざとく古城の燻らせている内心を見抜いていた。少なくとも、古城は先に述べた内容にやりがいを感じてはいない。だからこそ、上司の言葉は彼に効いたのだ。

 あらゆる言葉を呑み込んで、古城の口から出たのは至極無難なものだった。


「……早速、資料作成に当たります」

「よろしい」


 古城はすぐさま立ち去ろうとしたが、待ったが入る。前園は引き出しからある物を取り出し、わざわざ席を立ってそれを古城に手渡した。


「それと、これも君に預けておく」

「車のキー、ですか?」


 怪訝そうに古城が訊ねると、前園は横目で周囲を確認し、環境音に紛れる程度の小声で告げた。


「ゼナダカイアムの隊員が来られるそうだ」


 目を丸くする古城に向かって前園は続ける。


「信じたくはないが、どうも事が事のようらしい」

「ヨルゴスが現れる……?」

「そこらへんの事情も訊きながら、後日君が彼らを迎えに行ってやってくれ」


 肩をポンポンと叩かれ、古城はそれが話し合いの終了と察する。

 手渡されたネームプレートと書類の山、車のキー。疑りかかっていた未知の生物の襲来が、それらによって確実に証拠づけられていく。今回の件を皮切りに、ヨルゴスは国内に留まらず世界中で災いを振りまくかもしれない。有史以来初となる異星人同士の戦いが、いよいよもって本格化するかもしれない。

 そうだというのに、なぜか古城の胸中は靄がかかったようにはっきりとしなかった。窓の外では木々が若々しい緑葉を大きく揺らし、強く吹く木枯らしを思わせる。おかしな話だ。木枯らしが揺らすのは秋の紅葉であり、紅葉が散った後、裸の木々は冬の厳しい寒さに備えるというのに。

 古城の胸の内は、そんな矛盾した奇妙な風景のようだった。偽りと現実と、絵画的な美くしさが混じりあった景色に、むしろ覗かれているようでもあった。

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