2-15 信じるチカラ

 同日未明、アメリカ合衆国某州。

 時差の関係で国民の多くが深い眠りについている頃、ある建造物の執務室の窓際からはぼんやりとした光が漏れていた。静かな夜は考えに耽る時間も多くなるが、男の重苦しい溜息は、それとは異なる様相を呈していた。


「――ああ、そうだ。彼は人として永く生き過ぎた」


 質の良い椅子にもたれたチーフは、指で頭を支えながらそう言った。口調は厳しく声は掠れ気味で、眉間に寄る皺の数もいつもより多かった。もう片方の手の指に挟んだ葉巻の煙も、どことなく苛立ちを感じさせる。

 独り言のようにも聞こえる台詞が、響くことなく夜の静寂へと還っていく。公の通信でないとはいえ、チーフのある人物に対する苦言は留まることを知らなかった。彼の脳裏には、不潔ででっぷりとした映画監督の姿が浮かんでいる。数刻前に死亡したとされるホアン・マクレモアだ。


「承認欲求を満たそうとした挙句、あの恐るべき力に制限をかけて死に至るとは、あまりに馬鹿げている」


 男はそう語気を強めながら灰皿に葉巻を押し付け、生前のホアンに受けた凶行を思い浮かべた。電話越しから彼の使役の手にかかりそうになった悪夢のような記憶は、生涯忘れることはないだろう。その力は現代科学を超越した代物であり、ホアンの遣り様によっては人類掌握も夢見事ではなかったはずだ。それだけに、彼の無様な失態にチーフは驚き呆れるしかなかった。


「私は期待し過ぎていたのかもしれんな。いくら知性を与えたところで、成熟のさせ方を知らなければ宝の持ち腐れになる。コバヤシもホアンも、ヨルゴスとしての矜持を示すべきだった」


 二人の異星人の名を口にしたチーフは顔を顰め、いっそう声を落として告げる。


「災厄は多くの人命を奪う。彼らもそうあるべきだったと言っているのだ。特にホアンは人の臓物をひどく嫌っていたようだが、あれほど滑稽なものはないだろう。面と向かって言ってやりたかったよ。君の姿の方がよっぽどグロテスクだってね」


 止め処なく溢れ出るチーフの暴言に、通信相手は何を思っただろうか。少なくとも、幾許の沈黙を守ったことは確かだ。邪悪に吊り上がった男の頬が、徐々に元の状態に戻ったのだから。


「……さて、どうかな。話が通じない相手となると、こちら側も対処に時間がかかる。しかし、それ故興味深い。異星人同士の争いが生命の進化を促すのであれば、それに越したことはないだろう」


 詰まるところ、このチーフと呼ばれる男は進化という言葉に固執しているようだった。だから、多くの犠牲を払ってでも進化の様子を掌握しようとする。同胞の命を全く厭わない愚かな姿勢の先に、一体どのような生命を見出しているというのだろうか。

 すると突然、チーフは声を出して笑った。


「ハハハ、それは面白い冗談だ」余裕のある微笑み。言い換えれば、それは表面的なものでしかなかった。「敢えてその問いに答える気はないが、ひとつだけ伝えておこう。『地球は生きている』。我々人類は、地球の意思によってのみ生かされているに過ぎないのだよ」


 自然主義的な事を口にするチーフ。窓の外から、月光に照らされた木々が不気味にさざめいているのが見えた。我々は全てを見透かしている、驕ることなかれ。そう男に警告しているかのようだった。

 そして、話題が移り変わるも、チーフの頭から離れないイメージがあった。闇色の木々が朝日を浴び、やがて豊かな緑葉で生物たちを讃えようとする光景。その中で最も印象深い色。


「常盤色のゼトライヱか……。若々しい植物のような、生命の躍動を感じさせる優れた色だ。だが、時としてそれは陽の光を遮り、闇を生み出す手立てとなる。安らぎと憂いの二面性を持った色だ、解釈は後の人間に任せるとしよう」


 彼の戦士がヨルゴスとの闘いを経て何をもたらすのか。チーフは大いに関心を持っていた。歯車が動き出したきっかけも常盤色のゼトライヱの来臨だった。その人間体である志藤塁、彼について本格的に調査せねばなるまい。どれだけ木々が不吉にさざめいても、チーフの心が揺らぐことはなかった。


「しばらくは傍観させてもらうよ。なに、そう遅くないうちにまた新たなサンプルを送り出すつもりだ。……フフフ、そうだ。今度は〈災厄〉の名に相応しいものをね」


 奇しくもアノイトスが最期に発した言葉通り、チーフは災厄という涓滴をこの先いくつも垂らすつもりだろう。涓滴は波紋を呼び、人々の尊い命を奪おうとする。叡智や兵器では歯が立たない脅威を前に、人々は平和を祈り続けることしかできないのだろうか。

 願うよりも祈るよりも、信じてほしい。

 信じた先に可能性を、希望の光を見出せたなら、ゼトライヱは必ず我々の元へやって来る。

 チーフのもたらす災厄から、彼らがきっと皆を守ってくれるはずだ。

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