2-14 水面は揺れず偲ばれる

 雫型の広場に沿った三階の廊下では、ゾンビが群れを成して徘徊していた。先頭にいる望を追って、看板やベンチを薙ぎ倒しながら彼女に襲い掛かろうとしている。亡者たちの足の遅さが救いだったが、十人以上つきまとわれるとなると精神衛生上よろしくない。

 いい加減ノロマな連中との鬼ごっこにも飽きがきていた望に、地割れのような衝撃が走った。


「きゃ!」


 女の子らしい悲鳴を上げたことに望は恥じらいを感じたが、映画館の方から立ち込める砂煙を見て事態の急変を察した。轟音と共に表に投げ出された黒い影は、もぞもぞと蠢いて地を這った。野球帽もサングラスもずれ、服も埃だらけになった男の正体は件のホアン・マクレモア監督であり、その痛ましい姿を見た望は目を丸くした。ホアンは何かに恐れおののくように、四つん這いで後退った。

 クロなのかシロなのか。ホアンを見ても人間の姿だから、彼がヨルゴスかどうかは区別しかねる。でも、これ以上の時間稼ぎは必要なさそうだ。そう判断した望は、泰紀と合流するために足を急いだ。一階の広場の物陰に向かおうとした望だったが、その異様な光景を前に駆け出した足を止めざるを得なかった。

 未だ衝撃の余韻が残る塵埃の中、一番館内から姿を現したのは緋色のゼトライヱだった。背筋を走る悪寒、その正体があの戦士から放たれる殺気であるとは望も気づかなかっただろう。塁の来臨形態とは似て非なる威圧感。背後に粒子を揺らめかせながらゆっくりとホアンに忍び寄るその姿は、どちらが敵なのか味方なのかわからなくなるほどだった。


 停止したエスカレーターを転げ落ちるようにして下りるホアンの姿を、緋色の戦士は頂上から超然と眺めている。その間に望は目的の場所へ急いで向かい、反対側にいた泰紀と合流を果たした。

 何とか一階へ着き、ぜえぜえと息を切らすホアンの前に、赤い物体が勢いよく落下する。緋色の戦士が高々と宙を舞い、ホアンが到着したタイミングで彼の眼前に着地したのだ。再び二階へ戻ろうとするホアンだったが、頂上では常盤色の戦士が待っていた。立ち往生したホアンの後襟を掴んだ緋色の戦士は、そのまま彼を広場の中心にある噴水の方へと乱暴に投げつけた。

 とても正義の味方とは思えない立ち振る舞いに望は釈然としなかったが、塁が何も言わないのであればと感情を呑みこんだ。あれがもう一人の適合者、六波羅ユリウス。金髪碧眼という容姿の端麗さ、子どものような生意気な態度に、荒々しい言葉遣い。少女向けコミックでもあまりお目にかかれない特徴を持った彼が、あろうことか特撮ヒーローの要素まで付け加えたらお手上げだ。


 一方、ホアンは――アノイトスは最後の抵抗を仕掛けた。自分を片手で持ち上げる緋色のゼトライヱに向かって、使役の術を放つ。が、それも徒労に終わった。「二度も食らうかよ。タコが」双眸をP.Zでブロックした戦士は、アノイトスの襟首をいっそう強く締め上げた。


「聞いてたぜ? てめぇ、人様の命を奪ってその皮を被ってるんだってな? だったら俺がひん剥いてやる!」

「や、やめろおぉ!?」


 戦士はホアンの脂肪の乗った腹を貫手で突き刺し、内臓を取り出さんとばかりに両手でこじ開けた。身の毛がよだつような皮が引き裂かれる音に、望は思わずぎゅっと目を閉じた。

 ゆっくりと目を開けると、いつの間にか常盤色の戦士が望を庇うように前に立っていた。望の隣にいた泰紀は前方を見遣りながら、文字通り絶句していた。おそるおそる戦士の横から望も前方を覗くと、そこには目を疑うような光景が広がっていた。

ホアンの皮から全容を露にした物体を、はたして生命体と呼んでいいのか望は迷った。中身の体積以上に膨張していくそれは、紫色に変色した切り株のようでもあり、そびえ立つヘドロのようでもあった。表面は皺だらけだが柔らかく、人間と同じ直立歩行をしている様子であったが、その物体と人間とを較べるのにはいささか無理があった。

 まるで生命体であることを神から拒絶されたようなデザインだ。全長二.五メートルにも及ぶ肉体の上部の両側にある窪みは眼を、ただれたホースのようなものは口を、中央で蠢く二本の短い触手は手を、そして液状に広がる下部は足を、人間のものにそれぞれ模倣している。にも関わらず、床に落ちた野球帽や引き裂かれた衣服だけが、かろうじて人間らしさを残しているに過ぎなかった。


「あれが、人を操っていたヨルゴスの正体……」そう言葉を濁す泰紀であったが、

「きも……」望の直接的な感想にただ頷くばかりだった。


 見た目で判断するなという言葉がある。だから、泰紀は論理を使って判断することにした。

 先日地元に現れたヨルゴスは鴉を連想させる造形で、空を飛び格闘を行い、謎の原理で重力をも操った。恐ろしい存在だったが、どこか知性だとか優雅さだとかを兼ね備えていた。

 ところが、今回のヨルゴスはどうだ。地球上の生物でもなければ化け物の類でもない。敢えて表現するとしたら、何かの成りそこないだ。一丁前に人を操る能力はあるだけの。人の皮に潜んで暗躍するという卑劣さを、あの見た目は鮮烈に物語っているのだ。これ以上の説得力はあるまい。


「み、見るな、見るなああぁぁ! 俺の醜い素顔を外に晒すなああぁぁ!」


 短い触手をジタバタと動かし、何かの成りそこないは発狂した。どうやら、人間じみた感情も持ち合わせているらしい。望と泰紀は怯んだが、二人の戦士は臆するような姿を見せなかった。それどころか、


「へぇ。思ってたより悪人面してんじゃねぇか。これなら殴り甲斐がありそうだ!」


 緋色のゼトライヱは水を得た魚の如く、その拳をアノイトスの肉体にめり込ませた。

 正拳突き、回し蹴り、肘打ち、膝蹴り、掌底、踵落とし。ありとあらゆる殴打を浴びせて、その度に成りそこないは無様に鳴いた。溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかの如く、戦士は燻らせていた猛威を存分にぶち撒けたのだ。

 その間、常盤色の戦士もただ傍観しているわけではなかった。多くの人々を混乱の渦に巻き込んだヨルゴスの所業、その悪意をこの手で消滅させられるならばと、冷えた心の炉に薪をくべていく。弱まっていた常盤色の粒子が再び立ち昇るのを、幼馴染の二人は不安そうに見つめていた。この時、α―Ⅲ型の適合値は九十に到達しようとしていた。


「これで最後だ。言い残したことはあるか?」ユリウスは手を止めて尋常に問う。

「グ、グフ……グハハハ」しかし、意外にも死に際のアノイトスは不敵に笑い始めた。

「俺という存在は、ヨルゴスが地球に投じるであろう一滴の雫に過ぎん! 幾多の雫は波紋を呼び、人類を脅かすだろう。俺を殺したところで結末は変わらんのだ!」

「るせぇ! てめぇに雫は似合わねぇ! 塵となって消え失せろ!」


 啖呵を切ったユリウスは、両腕にP.Zを滾らせてアノイトスを掴み、青天井に放り投げた。勿論、この手で憎き相手を葬りたかったが、生憎周りに衝撃波が発生する自身の必殺技はこの状況下で適していない。

 映画館内から広場へと相手を誘導し、吹き抜けの天井であるフラドロの構造を生かして是を撃破する。怒りに任せていたように見えて、ユリウスの行動はどこまでも計算尽くだったのだ。

 ゼトライヱは自分だけではない。ひしひしと背後に感じる可能性の意志、底知れぬ常盤色の戦士の力が呼応する。上空に投げ出された悪しきヨルゴスに、浄化の光を与えんと。


「今だ! 志藤!」

「コードL.D.S……」


 時は来たれり。常盤色の戦士の手の平に、同じ色の眩い球体が現れる。

 留まることなく肥大化していった前回とは違い、ダウンサイズ化した球体は発光を強めながら真球に近づいていく。野球をこの上なく愛する塁にとっては、馴染みの大きさだった。威力の減少なら心配無用だ。それともあの強き彩光を見て、誰が威力を疑うものか。

 塁は球体をバットの芯で捉えることだけに念を込めた。

 それが人のためになるのなら。それが悪しき者を倒す力になるのなら。


「くらえッ! スカイツリー打法だあああぁぁぁ!」


 常識を疑うようなアッパースイングで、常盤色の戦士は球体を打ち上げた。打つのと狙うのは別々でいいと心得ていた。当たれと強く念じれば、ゼトライヱなら当てられる。

 事実、放った打球は肉眼で確認できない速度で軌道修正を実現した。


 ヴォォォォォォ……!


 天を衝く閃光が放たれると同時に、アノイトスの最期の叫びがフラドロ内に木霊する。

 吹き荒ぶ突風。倒れて気を失う亡者たち。狂乱の涓滴から生まれた波紋は大きかったが、水面の波打つ前に何処へと消え去った。映画監督として頭角を現し始めた人物が実は地球外生命体だった、その真実はついに世間に知れ渡ることはなかった。全ては人々を混乱に陥れないための、政府側の配慮だった。

 気鋭の映画監督ホアン・マクレモアは、新作プロモーションのために訪れた日本でヨルゴスの襲撃に遭い、不幸にも命を落とした。捻じ曲げられた事実が報道され、世界中から彼を偲ぶ声が発表された。

 決して公の記録には残らない、しかし関係者の記憶にはしかと刻まれたヨルゴス。

 β群から構成される地球外生命体の十四番目は、諸々の都合により欠番となったが、いつしかその空欄は〈アノイトス〉と呼ばれるようになったという。

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