2-13 王子は遅れてやって来る

 二〇〇cmを優に超える身長のゼトライヱと、一七〇cm弱という一般的な背丈のユリウス。両者による白兵戦は、生身のユリウスが攻勢に出るかたちで幕を開けた。強大なヨルゴスと相手取ることを想定していてか、ユリウスは戦士の間合いに易々と入り込み、巧みに戦士を翻弄した。


「先輩! 俺は味方です! 目を覚ましてください!」

「…………」ユリウスから返答はなく、代わりに足刀蹴りが塁の顎に向かってきた。

「ぐあッ!?」


 特に、Zレガシーを装着した左腕による殴打は塁を苦しめた。華麗な体術の〆として繰り出される緋色のゼトライヱの拳が、常盤色のゼトライヱの生体装甲に幾度として打ち込まれる。単純な打撃であるからこそ、体の芯にくる鈍い貫通力があった。

 体勢を崩されるも、座席の背もたれの縁に器用に着地する戦士。見上げた先にユリウスの姿はなく、もらった打撃の反響音だけが暗い館内に響いている。塁は頭で考えるよりも先に動いていた。

 いかにも意識の隙間が生まれそうな、その刹那に何をすべきか。視界から姿を消したということは、相手は自分の視界の外に移動したということ。人間の目は横向きについている。だから本能的に、効率よくきょろきょろと横軸から索敵を始めるのが普通だ。毛渦を覗けるほどの頭上からの奇襲は、動物的習性の観点からいってもかなり有効と言えよう。特訓の際、ユリウスから散々教え込まれた戦法だった。


「上か!」


 反応とリーチ、どちらも身体能力が向上した塁の方が優っていた。ユリウスの蹴りの対処をどうするか逡巡することも塁にはできた。しかし、反撃を選択した塁の右腕は石像のように固まってしまったのだ。

 顔面を踏みつけられ、戦士は地に伏すことを余儀なくされた。足場の座席が破壊されるほどの衝撃。生身とはいえ、Zレガシーをつけたユリウスの身体能力も並みの人間を凌駕していた。

 しかし、この一連の手合わせで塁は確信を持った。力の差が歴然としている事に。

 ユリウスの左腕による攻撃は確かに威力があるが、それ以外はゼトライヱにとって無力に等しかった。倒されたが無傷の戦士に対し、ユリウスの生身の方の右拳は赤く腫れ上がり血が滲んでいる。一方的に攻撃する側が負傷するという異例の事態。このような状態で彼を殴ったらどうなるか、想像に難くなかった。


「こうなったら……」


 塁の決断は素早かった。客席中央から、助走なしで一気に舞台上への登壇を試みた。背後でユリウスもそれに続く気配を感じたが、お構いなしだった。狙うは事件の元凶であるアノイトス。奴さえ倒してしまえば、ユリウスやゾンビたちも正気を取り戻すはず。戦士の拳が常盤色に光り輝く。


「狙うはお前だ! くらえッ!」

「何ぃ!?」


 にやけたアノイトスの表情が強張っていくのを塁は見逃さなかった。だからこそ、安直に必中の構えに入り、憎き相手に焦点を合わせたのが裏目に出てしまったのだ。「馬鹿め!」アノイトスはサングラスをずらし、上目遣いからその双眸を露にした。それが行動を奪うという行為なのを理解する猶予はなく、戦士はアノイトスの側にいた小間使いによって吹き飛ばされた。小間使いの男の力も尋常ではなく、塁は敵を打ち倒すことはおろか登壇することも叶わなかった。


「グハハ! お前が俺に狙いをつけることなど想定済みだ!」唾を飛ばしながら高笑いするアノイトス。「さらにこんなものも用意してある」


 彼が指をパチンと鳴らすと、舞台袖から複数のゾンビが姿を現した。奇妙なことに全員が若い女性であり、彼女たちはアノイトスを庇うように彼の全身に抱きついたのだ。


「これぞ肉のカーテンだ! 俺に攻撃してみろ、こいつらも巻き添えを食らうぞ!?」

「くッ……。映画の悪役の方がまだマシだぞ!」

「俺を悪役に置き換えるか。グフフ、いいだろう。ならばお前を殺して、救いようのない結末を演出してやる!」


 卑劣な真似をする敵は、それまで潜ませていた邪気を放つように戦士を威圧した。虚勢の表れではないからこそ、逆にタチの悪い存在と言えよう。今のところ、あの人間の皮を被ったヨルゴスを倒す術を、塁は見つけることができていなかった。

 けれども、諦めずにトライすれば必ず突破口が開ける。ゼトライヱが可能性の化身なら、信じることが不屈の強さに変わる。先日のヤタガラスとの戦闘を通じて、ゼトライヱの力の引き出し方を理解した志藤塁。彼の底知れぬ信奉は、まさに適合者として相応しいものだった。

 惜しむらくは、その信奉の深さが仇となる相手だったということだ。


「ち、力が、出ない……!?」


 立ち上がり再び舞台へ上がろうとした時、塁はこれまでにない体の異常を感じた。膝が笑い、拳も思うように握れない。全身の節々に痛みが生じ、息苦しい。今までの闘志溢れる姿が嘘のように、常盤色のゼトライヱは愚鈍な木偶の坊と化した。

 要因はいくつかあった。毎日の特訓による体力の消耗、ゾンビからの遁走、操られたユリウスとの闘いによる戦意の喪失、さらにはアノイトスの行動封じが決定打となった。

 戦士と塁の間で、心身の不一致が如実に表れてしまったのだ。


『α―Ⅲ型の適合値、四十九まで低下!』

『来臨酔いか!? よりによってこんな時に!』


 小向、そして焦る大和の声が塁の耳に届く。

 来臨酔いとは本来、ゼトライヱの強き体に感覚の方が追い付かず、力の加減ができない症状のことを差す。今回の場合、適合値の急激な低下によって感覚より体の方がついていかなくなるというものだったが、これも来臨酔いの一種として数えられる。

 唐突に吐き気や眩暈などの諸症状に見舞われては、耐えるのはおろか普通に立っているのも塁には困難な事だった。


『このままですと、来臨形態が解除されるおそれも……』

『P.Zも使えないとなれば、いよいよ以て打つ手なしよ』

『ユリウスの状態は!?』

『応答を続けていますが、依然反応ありません!』


 隊員たちがやりとりしている間に、常盤色の戦士はとうとう片膝をついた。衰弱する戦士の正面から、ゆっくりと歩み寄るユリウスの足音。塁は道化と化した彼の顔を見上げるのが精一杯だった。その瞳にやはり光はなく、対照的にブロンドの髪は暗い中で一層際立って見えた。

 操られたユリウスは、ついに跪く戦士の前まで近づいた。ユリウスが躊躇なく蹴りの構えに入った時、双方の腕から司令の声が響き渡る。


『ユリウス、聞こえているんだろう!? 早く目を覚ませ! こんなところでやられるつもりか? 万が一生き延びて帰ってきてみろ、しばらくはZレガシー取り上げて指くわえてお留守番だ! それが嫌なら何とかしてみせろ! ユリウス!』


 罵倒にも聞こえる司令の大喝だったが、効果はゼロではなかった。構えに入ったユリウスの体がビクンと跳ね、何かに抗うように暫しその身を硬直させたのだ。閉口するのも瞳の生気も戻っていないものの、アノイトスの使役を拒絶するような仕草は塁にも見て取れた。

 このまま説得を続ければ洗脳が解けるかもしれない。そんな塁の淡い期待は、痛烈な回し蹴りと共に水泡に帰した。来臨酔いによって弱体化した戦士は、防御の上からでも簡単にダメージをもらい、館内の入口付近まで吹き飛ばされてしまった。

 それまで抑制されていた痛覚が戻ったのか、打った背中に激痛が走り、戦士は体をよじらせて苦しみ悶えた。帯びる粒子の量は見る影もなく、もはや来臨形態を保っているだけの状態だった。

 自分が何とかしなければ。そう強く思う塁の後方から光明が差した。だが、光明と言っても単なる暗闇に差し込む光に過ぎなかった。むしろ、それは希望だとか可能性だとか、そういう期待を寄せてしまった塁をさらに劣勢に追い込む要素だったのだ。

 扉から現れたのは、うめき声を上げる複数のゾンビ。泰紀と望の誘導から外れ、大きな音をする方へとやってきた哀れな傀儡たち。「行けぇ! 奴の動きを封じるのだ!」アノイトスはこれを最大の好機とみたのか、小間使いとゾンビたちに命令を下し、弱る常盤色の戦士を羽交い締めにさせた。


「放してくれ……! でないと俺は……!」


 引き剥がそうとすればできなくもない状況だが、塁の心には優しさ故の迷いがあった。何の罪もなく、ただヨルゴスに操られている人たちを傷つけるわけにはいかない。P.Zを使えば、彼らが正気に戻る可能性もある。だが、一か八かで人の生殺与奪を決めるのは正義とかけ離れた愚行だ。新米のゼトライヱだからこそ、志藤塁は可能性を勇気で補うことができなかったのだ。

 そうしている間にも、緋色の粒子を左腕に揺らめかせたユリウスが階段を上り、再び戦士の方へ歩み寄ってくる。彼の碧眼には光が戻るどころか、妖しげな力を宿していた。自分も先輩のように、アノイトスの傀儡に成り果ててしまうのか。羽交い締めから脱しようとする塁は、やがて悟ったように顔を落とした。それは観念の意と、せめてもの抵抗を示す意の両方だった。


「そうだ、そのまま奴を我が傀儡へ変えるのだ! 見ろ、絵に描いたようなバッドエンドだ! グハハハ!」


 自らの勝利を確信し酔いしれるアノイトス。対峙する志藤塁も、そしてゼナダカイアムの隊員たちも人類の敗北を予見した。青い星の住人が、異星人の奴隷となる最悪の結末を。

 しかし、ある二人は違った。総司令である輪山は常に真っ直ぐに事の成り行きを見据え、司令である大和は手塩に育て上げた愛弟子の復活を信じた。信じなければ、全ての可能性を捨てることになるからだ。


『ガンバルノダー!』


 信じたからといって、その偶然が起きたわけではない。

 ユリウスが踏みつけたもの。甲高い声で鳴くその人形は、息詰まるような緊迫感を台無しにする威力があった。まるで上映中の映画館で電話の着信音が鳴り響いたときの、あの空気の乱れ。


『ガンバルノダー! ガンバルノダー!』


 人形は喋り続けた。

 たった一人、三登里隊員だけが状況を理解した。あれは幼馴染のユリウスに送り付けたピンクの可愛らしい御守り。彼が気を失って運び込まれた際にポケットから落ちた御守り。それが偶然にも持ち主によって踏みつけられ、自分の存在を主張するかのように鳴いたのだ。

 もう一度言おう。信じたからといって、その偶然が起きたわけではない。なぜなら、信じること以外にも可能性の源泉は存在するからだ。

 三登里とユリウスが御守りを受け渡し、互いを思いやったからこそ今回の偶然が起きた。人を大切にする思いやり。アノイトスには未来永劫理解し得ない感情が人々の行動に変化を与え、それが偶然という形を成したのだ。


 羽交い締めにされた戦士は、両の肩口をガッとユリウスに掴まれた。伝わってくる握力の強さと手の震え。それが何を意味するのかは定かではないが、塁がはっきりと感じたものは熱量だった。

 と、ユリウスが突然戦士の前から姿を消した。少なくとも、戦士とその真後ろにいた小間使いはそのように錯覚したことだろう。それだけ素早い前方転身だった。前方宙返りひねりにより、面と向き合っている相手の背後を一気に取る、ユリウスの得意とするアクロバティックな動きだ。来るとわかっていても止めるのが難しい、初見なら尚更だ。

 小間使いが後ろを振り返ると同時に、勝負は決まっていた。小間使いの頭を鷲掴んだ緋色の左腕から煌めく粒子が飛び散る。操り糸が切れたかのように、小間使いは手をぶらんと下げた後、床に伏した。

 先輩と安堵して言いかけた塁の口が止まる。正気を取り戻した先輩が真っ先に表した感情は、灼熱の炎の如き猛然とした激怒。Zレガシーから溢れ出る緋色の粒子を見て、同じゼトライヱである塁でさえも畏怖の念を抱いた。


「くそったれが……!」

『まったく……。遅すぎる』大和は呆れたように、

『世話のかかる王子様だこと。これで形勢逆転ね』そして仙石は色気たっぷりにそう言った。


 無謀にも、激怒するユリウスに立ち向かう者たちがいた。塁を羽交い締めにしていたゾンビたちだ。金髪の適合者をまた自分たちと同じ姿にせんと両手を伸ばして襲いかかるも、


「コードO.H!」


 ユリウスに触れることすらできなかった。ゾンビたちは体の自由を奪われ、そのまま空中を漂った。来臨形態でない時のスキルコードの使用は負荷がかかるが、今のユリウスにとっては造作もない事だった。


「俺の使役を破っただと!? なぜだ!?」


 舞台上で混乱するアノイトスを、ユリウスは鋭い眼光で捉えてすかさず叫んだ。


「来臨!」


 適合値を充分に満たしたユリウスは、略式を唱えるだけで緋色のゼトライヱへと変貌を遂げた。その恐るべき跳躍力で入口から舞台上まで一気に移動した緋色の戦士。アノイトスを庇う若い女ゾンビたちも、彼の術から逃れることはできず、肉のカーテンは一瞬にして引き剥がされた。


「ひ、ひいぃ!?」

「逃がしゃしねぇよ!」


 無様な悲鳴を上げるアノイトスにも容赦はなかった。杖を蹴飛ばした緋色の戦士は、そのまま相手の襟首を掴んで扉の方へ放り投げた。人を奴隷のように扱った異星人に対する、思いやりの欠片もない無慈悲の投てきだった。

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