3-4 あいつ

 古城を含む災害対策本部のメンバーを乗せた、黒塗りの高級車が正午の国道を走る。移動中の会話は事務的なものでやり過ごそうといった古城の予定は、良い意味で裏切られた。浮ついた気持ちは安全運転に昇華させるよう努めたが、それでもハンドルを握る古城の手は落ち着きがなかった。彼の気分が妙に高揚しているのは、おそらく助手席に座る人物のせいであろう。

 人との間に自然と壁を作ってしまう性格の古城であったが、そこに易々と入り込まれ、受け入れる自分がいることに驚愕する。何故だろうと逡巡する余地はなかった。その女性が、まるで身内と話すような口調で古城に声をかけてきたのだ。


「それにしても、遥かぶりだねぇ。コシロー」

「その呼ばれ方も懐かしいな」


 地元の方言と、その人しか使わない呼称、独特のイントネーション。それらが合わさった破壊力はなかなかのもので、古城は破顔を余儀なくされた。

 宇津木望だけが、古城のことをコシローという愛称で呼んでいた。古城は高校生時代、サッカー部の司令塔として活躍していた。彼のクラスメイトだった望は、その呼び方の方が超一流のスーパースターに近づく第一歩と豪語し、頑なに古城のコシロー呼びを止めなかったのだ。そして、その愛称が定着することはついに叶わなかった。


「古城君なら、改札口ですぐ僕たちに気がつくと思ったんだけどなぁ」


 背後から、柔和な声音の男性の声が古城の耳に届く。反応したのは助手席の望だった。


「泰紀、あんたまさか、はじめから気づいてたの!?」

「うん。望のリアクションが見たくて黙ってたけどね」

「……相変わらずだな、安國も」


 古城はバックミラー越しに微笑む声の主をちらりと一瞥した。安國泰紀という人物は優男のようでありながら、その実したたかである。彼に対する古城の印象はそのようなものだった。泰紀は学生時代、望と同じ野球部に属しており、その時の打順は2番だった。2番は状況によって仕事が変わる難しい打順であるが、安國泰紀はその役割を見事にこなしていたそうだ。

 これは望から聞いた話であって、彼の真の実力こそ測ったことはないが、真実味を帯びていると古城は感じた。泰紀の先の言動にもあるように、彼は人の行動を読む洞察力に長けているのだろう。その上で、身内の反応を楽しむのは個人の考えなので、古城はそれ以上の推察を止めた。


「しかし驚いたな。まさか君たち二人が、ゼナダカイアムの隊員とは」

「う、うん。まあ、色々あってさ」


 歯切れの悪い望の返答を気にかける間もなく、古城は後部座席の泰紀から訊ねられた。


「意表を突かれたのはこっちもだよ。古城君が函館の市役所に勤めてるなんて、思いもしなかった。どうしてここに?」

「どうしてここにいるかだって? ……母方のばあちゃんが函館に一人で暮らしてたんだけど、介護が必要になってね。子どもの頃、ばあちゃんには世話になったから、俺が出向いたんだ」


 古城の言ったことは全てが本当で、嘘はついていなかった。理由の全てを語らないのは罪ではないから、そうしたに過ぎなかった。感情をあまり表に出すタイプでなくて良かったと古城は安堵する。思い出は甘美でありながら、砂のように脆い。


「え、偉い! あんた立派だよ、コシロー! おばあちゃんもきっと、あんたが来てくれてすごく喜んでると思う!」

「だといいけどな」


 予想外に褒め称えてくれる望を不思議に思うも、古城には胸の内の喜びを抑えることはできなかった。誰かに認めてもらいたいが為の行為でないにしろ、褒められるというのは素直に嬉しいものだ。

 望の称賛にはわけがあった。ゼナダカイアムの一員となる前、望は元々介護士として普通に働いていたのだ。だから、老人の心のケアに努める想いは人一倍強かった。孤独は老いを早める。若人が側にいるだけで、人生の先輩には心身に良い影響を与えてくれるというのを望は知っていた。だから、表に出さない古城の義理人情の厚さに感心したのだ。


 ちょうど会話が一区切りついたところで、手前の信号が赤に変わった。古城はこのタイミングで、ある話題を切り出した。彼にはどうしても、同級生の望に訊かなければならない事があった。


「……ところで、あいつはどうした?」

「あいつって?」

「志藤塁だよ。学生時代は君たち三人、どこにいようがいつも一緒だっただろ」


 車のアイドリング音だけが車内を漂う。気まずい空気のようでもあったが、古城はそれを察知するほど鋭い人物でもなかった。

 宇津木望と安國泰紀。彼らだけなら仲の良い同級生というカテゴリで、古城の記憶の片隅に収まっていたかもしれない。望たちをより際立たせる存在、それが志藤塁という、圧倒的な印象を他者に持たせる者だった。

 野球をこよなく愛し、野球に情熱を注ぐひたむきな男。夢に向かって真っ直ぐに突き進む男。それが志藤塁に対する古城の人物評だ。自分の夢しか目に入っていない、どこか浮世離れした存在感を持っていた。彼を中心に、幼馴染の望と泰紀が付き添い送っていた学校生活。古城という第三者からの視点でも、彼ら三人の絆に特別なものを感じた。だからこそ、古城は問うてみたのだ。志藤塁が今どこで何をしているのか、単純に興味があった。


「君たちの方が詳しいと思うが、最近、大七日にカラス型のヨルゴスが現れただろ? そいつのせいでスタジアムにヘリが落ちたって聞いたときは、気が気じゃなくってね」

「そうそう。塁がプロテストを受けたその日に、その事件が起きたのよ」

「何だって!? 大事じゃないか。あいつは無事だったのか?」

「う、うん。怪我はなかったけど、今は地元で静養してるみたい」


 この時、望がうっかり本当のことを口走らないかと泰紀は肝を冷やしていた。バックミラーに映る彼の安堵の表情に気がつくことなく、古城はアクセルペダルを踏んだ。


「そうか……。でも志藤のやつ、プロの野球選手を目指してるんだな、よかった。あいつなら、ひょっとしたらプロになれるかもって思ってたから」

「そうね。いつか、なってほしいよね」


 望にとって、それは何気ない一言だったかもしれない。だが、幼馴染という絆、それよりもっと深みにある想いは人を素直にさせる。裏表のない受け答えとは実に素晴らしいものだ。俄然、古城のやる気が上がっていった。


「ああ。……よし、着いたぞ」


 車を降りた一向は荷物を持ち、調査の準備を始める。そびえ立つ五稜郭タワーよりも、その陰から見え隠れする光景に望たちが目を奪われるのは、それからすぐの事であった。

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