1.5-10 愚者との対話

 新たなゼトライヱが来臨を果たし、ヨルゴスを撃退したという報せはあっという間に世界中に知れ渡った。電波障害により送信できなかった現場映像が、少しずつSNS上に投稿され、合衆国メディアもそれらを『危機の再来と英雄の帰還』として大々的に報じた。

 その報道から程なくして――時間的には、志藤塁と六波羅ユリウスがゼナダカイアムに搬送されている間――ある男は一人の人物との連絡を試みた。

 アンティーク調で揃えられた家具に、窓には深紅のカーテン、壁の中央には星条旗が飾られている。一人で居るには充分すぎる広さの執務室で、その男は堂々とした構えで椅子に体重を預け、その時を待った。「もしもし」と気怠そうな声が男の耳に届く。用意されたモニターに向かって、彼は何気ない一言目の挨拶を発した。


「やあ、ホアン。しばらくぶりだね。元気かな?」

『体のほうはすこぶる調子が良い。二本の足で歩くのは相変わらず難しいが、この体で外に出ることも苦じゃなくなった。あんたのおかげさ、チーフ』

「気に入ってくれて、私も嬉しいよ」

『まったく、科学とやらは素晴らしい。盃の一滴にも満たなかった俺の力を、溢れ返るまで飛躍させてくれたのだから』


 チーフと呼ばれた男は、モニターに微笑み返した。実際のところ、モニターには会話している男の顔は映っておらず、SOUND ONLYとだけ表示されていた。その音声も加工されたもので、決して耳障りのいいものではなかった。チーフは唾を飲み込んで喉の渇きを潤した。無駄な動きは出来るだけ避けたかったのだ。

 穏やかでない内容に動じず、普段通りの冷静な口調でチーフは話を切り出す。


「ホアン、コバヤシが死んだという報せは聞いているかね?」

『死んだァ? そう簡単に奴が死ぬとは思えんがね。まあ、本当なら清々しているよ。能ある鷹は爪を隠す。奴はただの黒焦げの鳥獣に過ぎなかったということだ』


 無言がチーフの答えだった。コバヤシとホアンは比較対象として非常に優秀なサンプルだとチーフは感じていた。ただし、彼が友人として迎え入れたい方は、残念なことに通話中の相手ではなかった。

 スナック菓子を口いっぱいに頬張る咀嚼音を、チーフは表情を変えずに受け入れなければならなかった。ホアンの口振りからわかるように、彼もまたコバヤシと同等の存在――人間のような知性を持った人間以外の生物なのだ。彼らと対話するというのが、チーフに課せられた極めて重要な任務だった。そして、チーフはそれを楽しみにしている面もあった。

 ところが、今回は違った。緊張による汗が背中に滲んでいるのを、チーフは隠す必要があった。

多大なるリスクを背負っている、その事実を話し相手のホアンに悟られぬようにせねばならなかったのだ。

 やがて口の中にあったものを飲み込んだホアンが、ゆっくりと話し出す。


『だが、それなら色々と合点がいった。どうやらこの俺の力を利用したい連中がいるようだ。あんたもその一人のようだな、チーフ』

「……お仲間から連絡が来たようだね」

『図々しい奴等よ。人の皮を被った俺を弱き者と罵り放し飼いにして、俺が力を得た途端に仲間面をしおって。まあいい。この星の居心地の良さには何物も優らない。ゼトライヱなどすぐに葬って、五大陸を順番に制覇してみせよう』


 下種な笑いと共にホアンはそう言う。チーフは数時間前のコバヤシとの会話を思い出した。我々ヨルゴスの目的は、地球の支配や侵略などではない――両者の意見に齟齬を来たしている。どうやら、ヨルゴスという種も単なる一枚岩ではないらしい。これについては今まで不明瞭だったが、今のホアンの発言が言質となりそうだ。

 惜しむらくは、手を取る相手が賢者のコバヤシではなく、愚者のホアンという事。たらればを語るのを良しとしないチーフであったが、こればかりは彼らの性格が逆であればと心底悔やんだ。

 そんな心の声を呑みこんで、チーフはそれとなく話題を変えた。無論、彼の持ち出す話題に無駄なものはなかった。


「ところで、映画の方は順調にいってるそうじゃないか」

『おかげさまでね。NYニューヨークLAロサンゼルスCHIシカゴと三大都市に渡って試写会をやったが、大盛況だったよ。客自らが実験体になっているとも知らずにね』

「門外不出のストーリー、私も早く観てみたいものだ」

『俺とチーフの仲じゃないか。何なら、明日の昼にでも届くよう手配するかい?』

「遠慮しておくよ。金を支払ってこそ、君の創った映画の価値がわかるというものだ」

『なるほど。奥深いな、その返答は』


 ホアンは頻りに感心した様子だった。知性の芽生えによる発見の歓びだろうか。何にせよ、上手く躱せてよかったとチーフは胸を撫で下ろした。

 すると、ホアンは軽やかな口調でチーフに訊ねてきた。


『ああ、支払うで思い出したよ。チーフ、報酬の件は忘れていないだろうな?』

「もちろん。たった一人の人間を差し出すだけでいいと君は言った。それが奇しくも彼だとは、私も思わなかったがね」


 何も表示されていなかった画面に、一つのウィンドウが浮かび上がる。あらゆる角度から撮られた画像は全て、一人の人物をピックアップしていた。チーフが彼と指した人物、それは柔らかそうな金髪の、端的に言えば美青年だった。CGで描かれたエルフのような顔の造形はどれを取っても美麗で、きりっとした眉毛がなければ女性と疑うほどだ。血色も良く、肌の質感、サファイアのような瞳、産毛でさえも愛しさを漂わせる。

 六波羅ユリウス。希少なゼトライヱの適合者。性癖に関して普遍的なチーフが心を動かせられるのだから、そちらの愛好家にとっては垂涎の的なのだろう。ユリウスの画像を眺めたホアンが、感嘆の吐息を漏らした。


『俺は人として永く生き過ぎた。仲間から話がきた時も最初は断るつもりでいたが、こいつを見て気が変わった。所有欲、とでも言うのかな。是が非でも我が物にしたい思いが、沸々と湧いてくるんだ』

「興味深い話だ。何が君をそこまで惹きつけるというのだね」

『勘違いするな。俺が興味を持ったのは表面だけだ。人の皮で覆われた血と臓物の何と汚らわしいことか。俺がこの人間の皮を被れば、より完璧な生物に近づけるはずだ』

「完璧な生物、人間とヨルゴスの融合体……」


 意味深長にチーフはそう呟く。何物にも形容できない広さを持つ宇宙において、完璧などという言葉を使うことの痴がましさはチーフも充分に承知している。だが、彼はこうも思っていた。ならば人を基準にした上で、人より優れた存在を提唱し、実現に向かうことこそが宇宙に対する最大限の献身であると。自分の思想の是非は未来の人類に問う。自分はただ突き進むだけだと。


『チーフ、あんたの構想はそうだったな。俺はこれ以上関与するつもりはないから、精々頑張ってくれよ。だが、忠告はしておく。行き過ぎた科学は、やがて世界を破滅に導くだろう』

「どういう意味かな?」

『俺が先にこの星の支配者になるのさ』

「……出来るものなら」


 コバヤシとの対話とはまた違った趣がある。チーフはそう思うと共に、並々ならぬ焦燥感を覚えていた。実を言うと、先ほどから乗り物酔いのような異常を身体が訴えていたのだ。頬を不自然に吊り上げて微笑んだのは余裕の無さからだった。額に浮かぶ汗の粒が集まって滴となるのも時間の問題だった。


『お別れの時間だ。さようなら、チーフ』


 挨拶をきちんと行うヨルゴスという知的生命体、彼らの奥ゆかしさをどう捉えるべきか、今のチーフには考える余裕がなかった。ホアンの一声を聞いて安堵したのも束の間、

『ああ、それと最後に一つだけ伝えておこう』別れ際の一言でチーフの胸の騒めきは治まるどころか、次第に増していく一方だった。


『俺の力にかからなかった人間は、あんたが初めてだよ』


 鼓動が最高潮に速まるのと同時に、ホアンとの通話が終了した。頬に一つ、二つと汗の滴が伝っていく。左耳のみ差していたイヤホンをすぐに取り払って、溶けるように座席にもたれかかった。体が酸素を求めている。知らぬ間に息を止めていたようだ。SOUND ONLYとだけ表示されたモニターも気味が悪く、チーフは目を閉じることでそれを遮断した。

 そこに、ある人物がチーフの元へ駆け寄ってきた。実は、チーフが座っている場所以外の執務室の一角は、数人のスタッフと大小様々な電子機器が占拠していた。


「チーフ、御身体の方は?」

「問題ない、作業を優先したまえ。それより、奴の力の程はわかったか?」

「はい、脅威的と言わざるを得ません」駆け寄ったスタッフは顔を曇らせた。「映像、音声共に再々変換を施して妨害に臨みましたが、我々の思惑を察知したのか、早い段階で通信強制終了コマンドが制御不能に陥りました」

「掌の上で踊らされた、ということか」

「第一から第四プロテクトは全て突破され、残る最終プロテクトも破られるのは時間の問題でした。あと数秒、通信を続けていたら、おそらく我々も……」


 スタッフは声を落とした。彼以外の人物も皆、がっくりと項垂れて打ちのめされている。万全を期してホアンの目論みを阻止しようとしたにも関わらず、このような結果だ。薄氷の勝利と讃えるべきかもしれないが、チーフも彼らと同じく精神的に参っていてそれどころではなかった。


「フッ、予想以上に追い詰められていたようだな」


 それでもチーフは口角を上げてみせた。危機に追いやられてこそ、生物は生き抜く手段を本能的見出すというもの。ならばこれは必然的な試練――宇宙からの人類に対する問いかけなのだと。

 しかし、チーフは人類の脅威と言うべき地球外生命体に、畏敬の念を言葉にせざるを得なかった。


「人を使役するヨルゴス……か。誠に恐ろしい生物だよ」


 近いうちに、日出ずる国で再び彼の生物が姿を現し、人々を脅かすだろう。その時果たして、ゼトライヱは一体どのような光明を我らにもたらしてくれるのか。明日の夜明けは誰が為にあるのか。

 時代のうねりと共に在ることに、チーフは胸を高鳴らせたのだった。

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