1.5-8 深い亀裂と甘いやつ

「ユ、ユリウス君……」


 それまで得意気だった蓮見が声を詰まらせる。驚いたのは塁も同じだった。ユリウスと呼ばれたブロンド髪の青年は、そのぎらついた瞳で塁を睨んでいたのだ。眠っていた時の無垢な美麗さが取れて、野性だけが残ったような感じの表情だ。そしてそれは、塁の前に現れた緋色の戦士に感じた強暴さと全く同じものだった。

 塁が先刻まで着ていた病衣の姿の青年は、付き添いの三登里と共に不安定な足取りでこちらに歩み寄り、蓮見の制服の襟に掴みかかる。


「おいヒョロメガ、一体どういう事だ? こんな敵か味方かもわからん野郎に、Ⅲレター・コードをくれてやるって言うのか!?」

「ユリウス、落ち着いて!」

「階級を決めたのは大和司令ほか、上層部の人間です。ぼ、僕は上からの報告をそのまま伝えただけで……」


 無理矢理その場に立たされた蓮見は、数瞬の間を置いて再び椅子に押しやられる。ユリウスという青年は身を震わせて、激情の矛先を隣にいる男に変えた。突き刺さるような眼差しに、塁はぎくりとした。


「志藤塁、とかいったな」先ほどとは打って変わり、冷ややかな口調でユリウスは告げる。「人のZレガシーを奪い取って、ゼトライヱに来臨した気分はどうだ?」

「う、奪い取ったわけじゃない。俺は偶然あそこに居合わせて、無線で声をかけられたから――」


 刹那、塁の体が床に打ちつけられた。ユリウスに大内刈を極められたのだ。傍にいた三登里が急いで止めに入ったが、ユリウスの右腕は既に塁の喉元をきつく締めあげていた。一滴の濁りもない純粋な殺意。塁が体を捩って藻掻くも、締め上げる力が治まることはなかった。


「だったら、なぜもっと早く俺たちの前に現れなかった!? 町に被害が出てからじゃ遅ぇだろうが!」

「ガッ……!」


 苦しみが極限に達し、喉の中にあった空気が声と共に漏れ出したところで塁は解放された。床に蹲って咳込む哀れな男をユリウスは足蹴にしようかとも思ったが、それは思い止まった。なけなしの理性で抑えた代わりに、言いたいことの全てをぶちまけることにしたのだ。



「英雄気取りも大概にしろよ。傷ついた人たちに申し訳が立たねぇ」


 咳込み続ける男の耳には届いていないようだったが、ユリウスは彼を見下ろして続けた。


「志藤塁、俺はまだお前を仲間と認めていない。ヨルゴスは俺が倒す。ぽっと出の素人はすっこんでろ」


 そう言い放って踵を返すユリウス。三登里は足早に司令室を後にする彼と咳込む塁を交互に見遣り、頭を下げて青年を追って行った。現場にいた蓮見の始末書の言葉を引用するなら、適合者の邂逅は深い亀裂が走ることから始まった、という事だ。

 ずれた眼鏡を直した蓮見は苦しみに悶える塁を眺めて、謝罪と釈明をこれからせねばなるまいと思った。けれどもおそらく、ユリウスの激昂の理由は志藤塁にとってピンと来ないものなのだろう、とも。


                  ***


 司令室を出て、廊下の角を一回曲がった所がユリウスの限界だった。気力で抑えていた脂汗が額から噴き出て、壁にもたれかかったユリウスは力無く床にずり落ちた。


「ぐ……!」

「ユリウス!」


 病衣がはだけて、体に巻かれた痛々しい包帯が露になる。三登里にできることは彼の名を呼んであげることだけだった。それしかできないことに、三登里は自分の至らなさを痛感した。


「ヨルゴスに負けてそのうえ八つ当たりとか、ざまあねぇな……」


 荒い呼吸の狭間に、ブロンド髪の青年はそう自嘲気味に笑った。彼が気に入らない人物にすぐ暴力を振るうような人間でないことは、三登里が一番よく知っていた。直前に彼が行なった暴挙は、彼自身が言うように八つ当たりに他ならなかったのだ。

 スキルコードは単に技の名称を省略するために設定されたものではなかった。ヨルゴスに対して如何に有効的であるか。単純に言えば、唱えるアルファベットの文字数が多いほどその威力が窺えるというものなのだ。

 六波羅ユリウスの――ゼトライヱα―Ⅱ型のスキルコードは最大で二文字。コードM.Dに関しては、破壊力の点では申し分ないが、隙の大きさと射程の短さが実戦的でないと判断されてⅡレター・コードに落ち着いた、という経緯があった。

 コードの階級差は顕著であり、マグニチュードに倣って定められている。即ち、Ⅲレター・コードの総合的攻撃力はⅡレター・コードの約三十倍に相当する。『ヨルゴスに対して重傷を負わせられる』という階級から、『ヨルゴスに対して致命傷を負わせられる』という階級の差。その差は歴然だ。地震の規模に準えるのだから、それは軍事機関に恐るべき力と認識されるのも仕方ないのかもしれない。


 今頃、司令室では蓮見が何とか取り繕って、これについての説明をあの適合者にしていることだろう。締まりのないあいつのポカンとした顔が目に浮かぶ。ユリウスが血反吐を吐いてまで成し得なかったⅢレター・コードの獲得。それをあのぽっと出の素人は易々と行ったのだ。集団社会で生活する動物ならば、そのような存在に嫉妬の感情を抱くのは当然だろう。

 六波羅ユリウスとすれば、直前の衝動的行動はその感情に従ったまでに過ぎなかった。けれども、周囲にいた隊員たちの目には、彼の姿は一段と滑稽に映ったに違いない。ズキズキと痛む身体の傷も応えるが、内面的な部分の方がダメージは大きかった。

 座り込むユリウスの傍らで、三登里は何も言わず彼の病衣の袖を握っている。傷ついた幼馴染の体を眺めているようだったが、その視線は宙を漂っていた。どんな言葉をかけてよいのかわからないのだろう。慰みも労わりも、今のユリウスにとっては逆効果にしかならない。間の悪い沈黙を、そんな顔するなよという切り出し方で破るほど、ユリウスは気の利いた人物ではなかった。

 精々、涙ぐむ幼馴染の名前を何となく呼ぶくらいしかできなかったのだ。


「なあ、有佳ありか

「ふぇ!?」


 変な声を上げて驚く三登里。これからの事を憂う気持ちと、名前を呼ばれたことに対する嬉しさが混じりあって生じたものだ。元々涙腺が緩い体質も相俟って、三登里の瞳は必要以上の潤いを見せていた。

 働いている時とそうでない時とで、表情にギャップがありすぎだろ。そうユリウスは指摘しようと思ったが、子犬のように潤んだ幼馴染の顔を見て、嫌な事をその瞬間だけ忘れることができたのだ。


「何でお前が泣きそうなんだよ。泣きてぇのはこっちだよ」

「なによ、啖呵切ってビル壊して生き埋めになりそうになって、死にかけで搬送されてきた癖に!」


 溢れてきた涙を拭い、されどユリウスのことは目を離さずに、三登里は早口で捲し立てた。口喧嘩となると滅法気が強くなるのは三登里の方だった。だからといってユリウスも黙ってはいられない。


「うっせーなぁ! 民間人を一人助けたんだからいいだろ」

「ゼトライヱなら全員助けなさいよ!」

「無理言うな! 俺が到着してから被害は出てねーだろうが!」

「だったら、あなたも無傷で帰還しなさいよ……!」

「傷は男の勲章だ。それに、ちゃんと死なない約束は守ったからな」

「死にかけで帰って来いなんて言ってない」

「あん? それじゃ俺が死ねばよかったのか!?」

「元気で帰って来てほしかったの!」


 泣き虫の三登里にユリウスは負けるつもりなどなかったが、自分が廊下にへたり込んでいることを思い出し、息を切らしたことで負けを認めざるを得なかった。元より三登里の反論は、自分の身を心配してくれる清い感情からのものであって、ユリウスとしては言い返す言葉が見当たらなかったのだ。


「ハァハァ……。お前のせいで喉乾いた」

「あそこでお水飲も。ほら立って」


 三登里もユリウスの体調を思い出したのか、何事もなかったように彼を介抱した。意地っ張りな性分のユリウスだが、この時ばかりは幼馴染の華奢な肩に体を預けた。会話の受け答えも小学生のようにぶっきらぼうだった。


「甘いやつがいい」

「……ばか」


 汗ばんだ傷だらけの幼馴染と彼の熱量は、三登里の心を落ち着かせた。普段は素っ気ないのに、自分が甘えたいときはこうやって容赦なく猫のように甘えてくる。いつも同じパターンでやられているのに、それを甘んじて受け入れてしまう自分がいる。

 重みのある幸せ。掴もうとすると手からこぼれてしまう砂のような幸せ。

 休憩室まで三十歩とない道のりを、三登里はそのような幸せと寄り添いながら、できるだけゆっくりと歩いて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る