1.5-2 like the Devil
同時刻、ゼナダカイアム内。
こちらも先日までの状況とは一変して、施設内各室はおろか廊下にまで事務的会話が繰り広げられていた。夕方から営業している食堂は、この時間に空席を探すのが難しいというのに、現在は閑古鳥が鳴いている。
その中でも、とりわけ司令部の精鋭たちは多忙を極めていた。取り扱う全ての情報が機密とくれば、精神がすり減らされるのも無理はない。
昨日までは、いつか撤廃されるこの職場を離れたときの転職先を探す不安を冗談混じりに語っていた隊員たちだったが、それが如何に安穏に満ちていた空間であるかを思い知っている最中だった。被害状況に対する各メディアの問合わせ、今後の対応に関する政府への回答、国際機関からも連絡が相次いでいる。SNSのほとんどが混雑していて使い物にならない、という見当違いのクレームまで来ている始末だった。延々と鳴りやまない電子音――。〈ヨルゴスの再来〉は彼らの激務をも来訪させたのだ。
そのような殺気めいた雰囲気が立つ司令室だが、マイペースに仕事をこなすマイペースな隊員もいた。
別室の医療室から転送される、裸体の男性の映像と仔細に及ぶ生体情報がモニターに映っている。本日午前十一時十一分、ゼトライヱα―Ⅲ型に来臨した男性を、あらゆる機器を用いて解析している最中だった。CTスキャンされて仰向けになった男の裸体。一般的に慎ましい女性であれば思わず目を覆いたくなる光景だが、脱力した小向隊員のその目はまるで、食卓に置かれた一個の林檎を眺めるかのような何気ない眼差しだった。α―Ⅱ型である六波羅隊員の裸体を、彼女はもう既に業務上仕方なく幾度も目にしていたからだ。別段、小向が何らかの性癖を持ち合わせているというわけではない。
「どひゃー、馬並み……」ともすれば、彼女が思わず発してしまった裸体の感想の素直さを、誰が責めることができようか。「イテッ」
小向は痛そうにして頭をさする。本当は全然痛みなどなかった。隣には、ふかふかした串団子のぬいぐるみを持つ眼鏡の男性隊員が、冷めた目で小向を見ていた。
「もー、何ですか急に」
「不埒な発言は慎むように。性別が逆だったら訴えられてます」
ずれた眼鏡を直しながら
ゼナダカイアムの司令室は扇の形をしており、三つの段から構成されている。小向たちがいるのは中央の段で、各段の隊員や適合者との連携を図ったり、Zレガシーに関する情報を統合したり、外部から寄せられた報告を受けたりしている。雑務と呼ぶには不相応すぎる膨大な仕事量で、湧き水の如く溢れ出るタスクを効率的ににこなす人物らがそこに配置された。そのうちの二名が小向瀬奈と
最も面積が広い下段には、
主にヨルゴス関連の調査を行う下段フロアは、いつになく大盛況の様相を呈していた。まあ、〈ヨルゴスの再来〉当日とくれば、この繁忙を極めた状況は容易く理解できる。心なしか、普段はダウナーな雰囲気の麦島隊員が、小向にはすごくウキウキしているように見えた。
上段には輪山総司令と大和司令の席、そして隅っこの方に近藤隊員専用の席があるが、現在当フロアは数人の隊員たちを残しただけで、ほぼ空の状態だ。席をはずしている司令官の二人は小向にとって苦手な部類の人間だった。無言のプレッシャーをかけてくるあの感じ、仕事に集中せざるを得なくなる。そういう意味では有能なのかもしれないが。
司令部の長老とも言える近藤隊員は、他組織に顔が広く知られており、それを活かして強気な交渉をしている最中と思われる。近藤は巧みな交渉術と引き換えに、騒々しいがなり声であるため、司令室に隣接した遮音室で交渉中だ。近藤自らが他の隊員たちを慮り、総司令に無理を言って増室されたものだが、それでも稀にくぐもったがなり声が喧騒の奥から小向の耳にも届いてくる。
各隊員がそれぞれのタスクで忙しい中、自分だけが時間に取り残されているような焦燥感。小向はミント味のタブレットを一粒口の中に放り込む。気を取り直そうと試みる小向だったが、電池切れからの復帰は最短でも二十分はかかる。ただ、そうも言っていられないかもしれない。小向はせめて蓮見に注意されるまで束の間の休息に勤しむことにした。
「今日は徹夜ですかね」
「さあ。取りあえず残っている業務は、α―Ⅲ型の生体情報の収集、これまでの経歴の精査、そしてα―Ⅱ型の分も含めた戦闘データの解析……。それらをまとめた資料を、明日の会議までに作らなきゃいけない」指折り数える蓮見の隣で、小向はがくっと項垂れる。
「うげ、聞かなきゃよかった。徹夜はお肌の最大の敵なんですよ!」
「対策をしておけば、被害は最小限に抑えられます。今のうちに小休止を挟んでおいたら? ちょうど今はPCが頑張ってる最中ですし」
「絶賛急速充電中なのです。すぐ作業に戻りますけど」まだ注意されないのをいいことに、小向はサッと話題を切り替える。「でも、見た目も中身も割と普通の人間ですよね。えーと、志藤塁さん、でしたっけ」
横のモニターには、目を閉じた男の上半身が映っている。志藤塁。〈ヨルゴスの再来〉という災厄の日に突如その姿を現した、もう一人のゼトライヱ。経歴によると長らく野球をやっていたらしく、なかなか逞しい肉体をしている。
蓮見もモニターに映る男を見ながら口を開いた。
「また三登里ちゃんに怒られちゃいますよ。ユリウス君だってゼトライヱに来臨するけど、僕らと何ら変わりないじゃないですか」
「だけど、来臨形態の移行からP.Zの生成、放出、そして未遂に終わりましたけど吸収……ですよ? 何もかもが初めての状況で、ゼトライヱの潜在能力をあれほど引き出せるなんて、ねぇ? ちょっとユリウス君がかわいそう……」
その場にユリウスがいないからこその発言だった。懸命な努力を圧倒的な才能で踏みにじられる屈辱。英雄の後継者と昔から敬われきた若者が、ぽっと出の輩に力量を思い知らされるなど、彼にとってはヨルゴスに敗北を喫するよりも辛辣な出来事だろう。それまで誰も口にはしなかったものの、司令部の誰もが六波羅隊員に同様の心配をしていた。
蓮見はずれていない眼鏡をかけ直し、小向と話を続ける。
「Zレガシーにはまだ不明瞭な点が多い。僕らが適切な調整をしていれば、ユリウス君の持つポテンシャルをもっと引き出せたかもしれないんだ」
「はう、善処します」少しおどけた仕草をした後、小向はモニターを指差して語気を強める。「何にせよ、この人が特別な力を持ってるということは紛れもない事実」
「悪魔のような、ですけどね……」
対照的に、蓮見の声色は一段と低いものだった。
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