1-16 可能性を残して

 そうして志藤塁から発せられた言葉に、一同は唖然とした。


『はぁ!? このバカ! 緊急時に何すかした事を言って――』

『そうだ!』大和司令の言葉は遮られた。『それでよい! 志藤塁!』ここぞという時に繰り出される輪山総司令の咆哮。つまりはそういう場面なのだと了解した大和は、閉口せざるを得なかった。


『バットは球を打ち返すもの! ならば汝の打つべき球は何処にある!? 何処にもなければ、生み出すのだ! 無から有を成せ! ゼトライヱに不可能はない!』

「生み出す、無から有を……。へっ、そういう事か」


 なぜ彼らが意思の疎通をできたのかと論じるのは野暮な話だ。一方が伝わると思い、実際にもう一方に伝わったのだから、伝達方法として正しかった。もしかしたら、ゼトライヱの力が作用していたのかもしれないが、それはこの場面において重要な事項ではない。


「はぁぁぁ……!」


 バットを左手に持ち替え、常盤色の戦士は空いた右の手の平を天空に向ける。志藤塁は他人に拳を振るうような人物ではない。暴力とはかけ離れた人生を送ってきたのだから、神聖な道具で誰かを殴りつけるような考えは皆無に等しかった。


「あぁぁぁ……!」


 塁は丹田に力を込めて、身体の内に潜在するものを手の平に集中させる。彼をそうさせたのは闇深い憎悪ではない。かと言って温かい慈愛でもない。心の根底にある野球に対する真っ直ぐな情熱、それをせき止めてくれるなよ、という叱咤であった。


「あぁぁぁ……!」


 その時、ゼトライヱの手の平にひと粒の球体が現れた。常盤色の眩い光が、球体の表面から漏れだしている。

 Zレガシーから伝わる情報に我が目を疑いながらも、三登里は各員に伝える。


『α―Ⅲ型の手の上部に、P.Zの生成を確認!』

『媒体なしの生成じゃと!? ユリウスでさえまだ修得しておらんというのに』


 先の戦闘では、ユリウスは拳や直剣にP.Zを付与する技術で応戦していた。だが、現在志藤塁が行っているのはその応用で、本来なら適合者でも修得に長い年月をかける必要がある高等技術だった。年輩である近藤隊員が戸惑うのも無理はない。


『P.Z反応、さらに増大! 九十、九十一……! まだ上がります!』


 手に収まるサイズだった球体は肥大し、野球ボールほどの大きさになる。「あああぁぁぁ!」しかし、塁が強く思いを込めるのに比例して、球体は常盤の光を放ちながらさらに大きくなる。肩から上まで覆いそうなサイズに達したのとほぼ同時に、三登里が大和の方を振り返って告げる。


『九十九、一〇〇……一〇一! 司令、これ以上は!』

『今だ、ぶちかませぇ!』


 大和司令は逡巡することなくそう叫んだ。被害予想の甘さも否定できないが、判断の速さこそが最善手になると見込んだのだ。


「いくぞ! 俺の打球は――」


 真上に球体を放り投げた常盤色のゼトライヱは、上空にいるヤタガラスに狙いを定める。もしも躱されたりでもしたら、ピンチどころじゃ済まなくなる。この球体を素早い相手に当てるためには、二秒でバックスクリーンに到達するくらいの弾丸ライナーを打つしかない。塁は強靭になった体躯を信じた。この身体ならやれるはずだと右足を踏みこんだ。球体がスイングの軌道に乗るまでの一瞬を塁は噛み締める。この燃えるようなパトスこそが、ひたすらに自分を突き動かす力の源になるのだと。


「ラインドライブだあああああぁぁぁぁぁ!」


 痛烈な打球が風を切りヤタガラスに向かっていく。と言っても、常人には肉眼で捉えることのできない球足の速さだった。そしておそらく鴉の化け物も、その尋常ならぬ攻撃に危機感を覚えたのかもしれない。鋼鉄並みの強度を誇る翼で防御することも叶わず、それでもなお腕で頭部を庇う態勢を取っていたのだ。

 防御を解いたヤタガラスは、ふと顔を左に向けた。はためかせていた黒翼の片方が、見る影もなく抉れている。枯れ葉のように落ちる羽根さえ僅かで、あとは塵も残っていなかった。球体は遥か彼方の空を突き進んでいる。


「やべぇ! 外した!?」


 フォロースルーの格好のまま固まった志藤塁は、ひどく焦った声を放った。ゼナダカイアムの隊員たちは度肝を抜かれっぱなしで、冷静に状況報告する者はおらず大きなどよめきが起こるだけだった。ただ、誰もが嫌な予感を過らせたは言うまでもない。あの一撃でとどめを刺せなかった、切り札を使って勝てなかった。その後の展開の予測は容易いものだ。


『まずい! 逃げろぉ!』


 いち早く危険を察知した大和司令がそう叫ぶ。それまで受けに徹していたヤタガラスが、突如として常盤色のゼトライヱに向かって鋭利な滑空を始めていた。海水弾にも戦闘ヘリにも、緋色のゼトライヱにも屈しなかったヤタガラスが、戦意をむき出しにして襲いかからんとしている。それが動揺によるものなのか、生物としての生存本能なのかは判別のしようがない。


「ぐぅッ!?」凶爪が常盤色の戦士を襲う。二手と三脚から繰り出されるヨルゴスの猛攻。化け物は掴みかかったまま片翼で飛ぼうとするが、塁はそれを必死に堪える。浮かせようとする力と踏み留まろうとする力が相殺され、それでもゼトライヱの方が押されてアスファルトの地面をじりじりと後退していく。

 塁はヤタガラスの両腕を自分の両腕で封じ込めていたが、鋭利な爪が彼の肩に食い込んでおり、そこから赤い液体が滴り落ちる。「ぐ……がはッ?」腕が使えないからといって鴉の化け物の攻撃は絶えなかった。むしろ、隆々たる三本足の暴力こそがヤタガラスの真骨頂なのだ。「が……あぁッ!」急所からそうでない箇所に至るまで、撃ち漏らすことなくゼトライヱの体を削っていくヤタガラス。弾丸を発射するような音が無数に響き渡る。「ぐあ゛ぁ!」首筋に嘴が突き刺さっても、塁はそれを振り払おうとしなかった。


『何をしている、志藤塁!? 急いでそこから離脱するんだ!』

「まだ……! まだだ……ッ!」


 ヤタガラスの攻撃を食らい続けながら、塁はその時を待った。彼は何も考えずに化け物の両腕を封じ込めたわけではなかったのだ。みしみしと嫌な音を鳴らす身体が痛みの限界を迎えようとする中、勝利を手繰り寄せるための可能性を他の誰よりも見出していた。「ゼトライヱに不可能はないのなら……」全身全霊をかけて、塁は自身の力に訴えかける。「戻ってこい! 俺のボール!」

 すると、遥か遠方の上空に到達していた打球の軌道に変化が起こった。ヘアピンカーブを減速することなく駆け出すかの如く、凄まじい威力を持ったエネルギーの塊が塁たちの方に向かってきたのだ。打ち出した時と同じ狂った速さで、鴉の化け物の背中に直撃しようとしている。


『よせ! 自爆する気か!?』

「うおおおぉぉぉ!」


 唸るような雄叫びで塁は答えた。もちろん、そうするつもりは毛頭なかった。近くで倒れる青年や老婆とその孫、そして馴染み深い故郷の町並みと、守るべきものがたくさんある中で、自分もろとも爆砕するという考えは愚かの極みだ。文字通り神懸った塁の発想は、大和たちの予測を凌駕していた。

 眩い光、少し遅れて衝撃音が大地を揺るがす。屈強なヤタガラスの三本足は無惨に吹き飛び、上半身は中身のない着ぐるみのように地面に落ちた。それでもなお、ゼトライヱを襲いかかるものがあった。球体は勢いを削がれることなく、雷鳴のような音を上げながら塁の両手で暴れまわっている。アスファルトに走る亀裂の深さが、その凶悪的威力を物語っている。


「ぐ……おぉ!」


 苦悶の声を漏らしながら、塁は両手で挟んで球体を押し潰そうとする。自分では到底持ち上げられないバーベルを、寿命を削って持ち上げているような感覚だ。身体の筋という筋が極限にまで引っ張られている。呼吸を乱すだけですぐに破裂してしまいそうな力の均衡。それでも、塁の集中力は途切れなかった。

 徐々に、徐々にだが球体は縮こまっている。放たれた常盤色の光がZレガシーから吸い寄せられていく。その驚くべき光景を前に、大和たちは瞬きすら忘れて見入っていた。


『まさかあいつ、自ら放ったP.Zを取り込もうとしているのか!?』

『ば、化け物……』


 そう呟いた三登里を咎める者はいなかった。英雄は一日にしてならず。三登里は彼女の幼馴染でゼトライヱの適合者でもある、ユリウスのたゆまない努力を見てきたから知っていた。ゼトライヱの純然たる力、P.Zを溜めるのにどれだけの修練と研鑽が必要なのかを。人生の大半を占める思春期を注ぎ込み、血汗を滲ませて得られた緋色の戦士の力。放出することで初めて破壊力を生み出す不可逆的エネルギー。

 それを今、常盤色のゼトライヱは己の身体に吸収しようとしている。何が志藤塁をそこまで突き動かすのだろうか。それは実に単純な答えだった。彼はただ、シンプルにある言葉を信じただけであった。ゼトライヱに不可能はない。それだけで、魔法や科学を超越した現象を引き起こしていたのだ。


「うあああぁぁぁ!」


 塁がそう吠えると同時に、何かが強く弾け飛ぶ音がした。四方八方に常盤色の光が飛散し、その勢いでゼトライヱは大の字になって倒れてしまった。Zレガシーが取れて、英雄はひとりの青年の姿に戻っていく。その顔は穏やかだった。

 吸収しきれず宙を舞った球体の破片が最後の煌きを残し、花火のように儚げに消えていく。力の全てを還元することはできなかったものの、志藤塁はありとあらゆる可能性を残して気を失った。


『べ、β―Ⅴ型の生命反応、消失。及びα―Ⅲ型の来臨形態、解除』

『回収作業急げ! 残党兵がいるかもしれん、奴らに指一本触れさせるな!』


 大和司令が指示を出すと、空中で待機していたドローンが五つの黒い防護膜を射出する。志藤塁と傍にあるZレガシー、六波羅ユリウス、そして真っ二つに分断されたヤタガラスの上に、半球体の防護膜が展開される。彼らの身柄は何としてでも死守せねばならない。未だ胸の高鳴りが治まっていなかったが、大和司令は毅然と振る舞った。これは始まりにすぎない。〈ヨルゴスの再来〉の終焉が訪れる日まで彼らと戦い続けよう。大和優子は決意を新たにしたのだった。

 〈ヨルゴスの再来〉。それは、常盤色のゼトライヱが来臨を果たしたことでも知られる歴史的な一日となる。まるでパンドラの箱のようだと揶揄されるのは、それからずっと後のことだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る