1-13 出逢い、そして悪寒

 根元から盛大に爆風を吐き出したビルが、僅かに崩れ斜めに傾く。辺りに大量の砂煙が立ち込めていくのを、ヤタガラスは黒翼をはためかせながら眺めている。その様子を無情にも、上空遠方よりドローンが映し出していた。

 ヤタガラスを屋上から投げ下ろした六波羅隊員の安否は、現在のところ不明。だが、Zレガシーから送られる彼の生体情報は途絶えていない。三登里はショックで顔を青ざめながらも、煙の向こう側を食い入るように見つめた。

 それから数瞬と経たずに、ビルの一階に変化が見られた。爆風の残溜が出入り口から漏れだすと、その中から緋色の戦士が姿を現したのだ。だが、その姿を無事と表現するには無理があった。顔を上げることすら叶わない、生きているだけ、立っているだけの敗北者。隊員たちがそれぞれ悲痛な表情を浮かべる間、無慈悲な風は吹いたのだ。

 突然、戦士の身体が宙を浮いたと思った途端、戦士は反対側の建物の壁に叩きつけられた。クレーターのような亀裂が壁に走る。緋色の戦士はなす術もなく地面に倒れた。そして、戦士の身体に淡い光が放たれると、乾いた音とともに腕に装着していた物体が剥がれ落ち、元の六波羅隊員の姿が倒れたままの格好で現れた。物体も色を失い、元の暗いグレーに戻る。


「α―Ⅱ型の来臨形態……解除されました」


 三登里は声を絞り出すようにしてそう言った。そう伝えるのがやっとだった。モニターに映る数値の全てが、赤信号ではなくゼロを指している。来臨形態が解かれた状態では、ヨルゴスに対抗することはできない。


「……ここまでだな。六波羅隊員、及びZレガシーの回収を急がせろ。有事の際は後者を最優先。総司令、よろしいですね?」


 落胆する三登里をよそに、大和司令は淡々と告げる。三登里にはそのように聞こえたが、実際は違った。大和司令もまた、若き戦士の敗北に心を痛め、それでもなお士気を乱さぬように平静を装っていた。


「待ってください! ユリウスの――六波羅隊員の救助が先では!?」


 素早い反応を見せたのは三登里だった。顔色ひとつ変えぬ大和司令のことを、三登里は親の敵の如く睨んだ。


「有事の際は、と言っている。こちらの切り札を盗られるわけにはいかない」

「ですが……!」

「優先度は決まっている。その事については彼も重々承知しているはずだ。これ以上の反論は命令違反とみなし、厳罰を科すことになる。私とて、有能な隊員を二人と失いたくはない」

「ッ……!」

「ま、待ってください! この反応は……」重苦しい空気を払ったのは蓮見隊員だった。ずれた眼鏡をかけ直して蓮見は伝達する。「ZレガシーがP.Z反応を感知! 先ほどの反応と同一のものです!」


 蓮見の言葉に隊員たちは――輪山総司令ですら――驚きの色を見せた。同時にその出来事は、六波羅隊員の命も救う手立てと成り得るのだから。地球上のどこかに存在するとされながら、今まで現出の兆しすら残さなかった希少なZレガシーの適合者。ヨルゴスの頻発する日本、その場所での出現は最早運命と言わざるを得ないのか。


「カメラの視点を切り替えろ!」

「は、はい!」


 大和司令の指示に蓮見は応える。意識を失った六波羅隊員を、反対側の歩道から心配そうに見つめる青年の姿があった。軽装で短髪の、どこにでもいるような普通の若者だった。


「あの男が……」

「もう一人のゼトライヱ……」


 近藤隊員と小向隊員がそれぞれ呟く。P.Z反応は紛れもなくあの青年から感知している。彼が六波羅隊員に近づく度に反応が強まるのだから、もう疑いの余地はない。黒翼をはためかせるヤタガラスもまた、その様子を静観していた。


                  ***


 ゼトライヱとヨルゴスの闘いを目の当たりにした志藤塁は、少々ずれた観点からその光景を評価していた。掛け声と共に変形する戦士の武器、初顔合わせとは思えぬ両者の格闘、漆黒のヨルゴスの飛翔と緋色の戦士の跳躍力。人智を超えた両者の身体能力に心を奪われていたのだ。危うくヨルゴスの犯した悪行さえ、一瞬忘れてしまいそうになるほどだった。

 しかし、ビルでの戦いで雌雄の行方はほぼ決定的になった。再び姿を現した彼らの姿は対照的で、戦士に至っては既に人間の姿へと戻っている。彼の目の前には、色を失った戦士の右腕が落ちていた。切り落とされたというわけではなく、人の腕に装着する部品のようだ。整った顔立ちにブロンドの髪、自分よりも若くて、少女も救ってくれた心優しく勇気ある青年だ。さぞ女性に人気があることだろう。けれども、ぼろぼろの状態でうつ伏せに倒れる青年に、起き上がる気配は見られない。

 完全に事切れているのかと塁は息を呑んだが、四肢の先々がぴくりと微かに動くのを見て、一縷の安堵感を得た。


「生きてる……のか?」

『そこの方!』


 突然の呼びかけに塁は目を丸くする。声はどうやらあの腕から流れているようだ。塁はどうしていいかわからず、一歩それににじり寄るだけに留まった。


『聞こえますか? 聞こえるのなら応答してください!』

「俺の……ことか?」

『そう、貴方です! まずは落ち着いて私の話を――え? は、はい』


 切羽詰まった女性の物言いに塁は相応の危機感を感じ取った。だから、話し手が切り替わった後も、塁は冷静さを保ったままでいられたのだ。


『お前、名を何という』

「俺は塁。志藤塁だ」

『志藤塁、お前にヨルゴスと戦う意志はあるか?』

「ヨルゴスと戦う……俺が?」


 予想外の問いかけだった。超常現象を引き起こすヨルゴスと自分が戦う。迷いはあったが、塁は倒れた青年の方を見遣る。化け物の凶手にやられてしまったけれど、彼は少女を救ってくれた。強烈な思いというのは伝播するもの。その雄姿を目に焼きつけてしまっては、塁の中にあった雑念を吹き飛ばすには充分すぎるほどだった。


「この人は、俺の故郷を守ってくれた。感謝してもしきれないくらいだ。あの化け物と戦えるかはわからない。だけど立ち向かう理由ならある。それが恩返しってもんだろ?」

『いいだろう。ならばZレガシーを腕に装着しろ』

「Zレガシー……。これのことか」


 塁はすぐに理解し、グレーの腕を手に取った。腕の中は空洞で、右手に填めると強く締めつけられたが直に治まり、握っては開く動作を数回繰り返した。すると、戦士の腕は瞬く間に色を取り戻した。ぎらつく緋色ではなく、眩しいくらいの白金だった。


『適合値、は、八十二!? 来臨可能な数値です!』

『現時点の六波羅隊員よりも数値的には上回っておる。彼奴、いったい何者なんだ……?』


 向こう側のやりとりが丸聞こえで少々ばつが悪かったが、威厳ある男性の咆哮が塁の気持ちを後押しさせるものとなった。


『志藤塁! 己の中に眠る闘志を呼び覚ませ! そして叫ぶのだ! 来臨、ゼトライヱと!』

「わかった!」


 腹は決まった。塁は全神経を右腕に集中させ、英雄のイメージを頭に思い浮かべた。

 強く雄々しく、ヨルゴスを倒す宿命を背負った存在。あの緋色の戦士にも引けを取らない、希望を象ったような容貌魁偉の英雄を。


「来臨……ゼトライヱ!」


 右腕を中心に燃え滾る感覚が塁の全身を走る。同時に、自分以外の何者かが内部に入り込むような嫌な感覚も襲いかかる。普通じゃいられなくなる。プロ野球選手になる夢も当分はお預けか、それとも一生諦めなければならないかもしれない。

 その時は、親父ごめんな。

 志藤塁は全てを受け入れるつもりだった。しかし、強い存在になる感覚は徐々に薄れていき、右腕の輝きも光を失い、ゼトライヱの来臨が果たされることはなかった。


「な、何も起きないぞ」


 焦った風に塁は言ったが、内心では安堵していた。いくら化け物と戦える素質や理由を持とうとも、それらは彼の意志に背くものなのだから。半端な覚悟では何事も成し遂げられない。戦士の勇姿に幾分の憧れを抱いて、自分もなれると思ったのが愚かだった。戸惑いの表情の内側に、塁は己の自虐を閉じ込めていた。

 せめて倒れた青年だけでも安全な所へ運ぼう。無線から指示を仰ごうと口を開きかけた時、塁は不意に顔を上げた。得も言われぬ不安感がそうさせた。それは人が誰しも経験するもの、ごく自然な動作でありながら、塁の悪寒はどうにも止まなかった。

 空間を切り裂くような、高低音が混じり合う人工的な和音。彼方の上空から飛来する飛行機の機首がこちらを向いている。そう、滑走路ではない一般道に迫ってきているのだ。

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