1-12 コードM.D
ヤタガラスとの戦闘を繰り広げる六波羅ユリウス。隊員たちが見守る中で、彼は沸々と苛立ちを募らせていた。敵は本気を出していないどころか、自分を試すような立ち回りで戦っていると。白兵戦においては、三本足を利用した変則的な攻撃をしてこない。重力を操る力に至っては、地面に落ちた物をこちらに飛ばすくらいで適当にあしらっている。戦闘ヘリを堕とす程度の力を持ちながら、自分に対してはまるでその力をぶつけてこない。完全に格下と見下されている。
俺は今から虫けらのように殺されてしまうのか、何の抵抗もできずに。嫌なイメージが頭を過ったが、ユリウスは気丈に振る舞った。油断があれば隙が生まれる。そこにつけ込めば勝負はわからない。それに、まだ自分は切り札を残している。多少なりの器物損壊は免れないが。
すると、ヤタガラスはぱたりと攻撃を止め、大きな黒翼を羽ばたかせた。塵埃が舞う中、黒い化け物は二十階規模の建物の屋上まで飛び、その端で静かにユリウスを見下ろした。まるでついてこいと言わんばかりに。おあつらえ向きに、その建物は新装開店予定のデパートらしく、解体用の足場と灰色の防護パネルで覆われている。工事現場の人間も、おそらく避難していることだろう。
「屋上でやりあおうってのか。どうする、司令?」
『敵の動向を探りたいが、そうも言ってられん。ケリをつけてこい、六波羅ユリウス』
「そうこなくっちゃな!」
図らずも両者の意見は一致していた。ユリウスは地を蹴り上げ、ひとっ飛びで同じ場所まで跳躍した。ゼトライヱに来臨した彼の身体能力もまた、人間のそれを軽く超越していた。
思っていた通り、屋上には無駄な物が散らかっていない真っ新な状態だ。ユリウスはこの状況を千載一遇のチャンスと捉えた。敵に一泡吹かせる、いや、大和司令の言うようにケリをつける絶好の機会。ぼろぼろに壊れた地上を横目に、両者は屋上の中央へと足を運んだ。
熟達者同士の戦いは嵐の如し。司令官である大和優子は、以前ユリウスにそう説いていた。鳥が潜み、虫が鳴くのをやめ、無の静けさが訪れる。次第に吹き立つ風が勢力を強め、森が騒めきだした頃、唐突に轟く霹靂の唸り声。それが戦いの始まりだと。
無の静けさが訪れることはなかった。その前に、緋色の戦士が霹靂を轟かせたのだ。「はあッ!」降り下ろされた直剣は屋上の床に亀裂を走らせる。戦士を中心に、円い窪みができるほどの一撃。だが、ヤタガラスは素早く後ろに下がり、難なくそれを躱していた。ユリウスは強引なやり方で、第二ラウンドのゴングを鳴らしたのだった。
「大振りじゃ、まず当たらねぇよな。なら……」
元の形に戻った直棒をしまい、ユリウスは徒手空拳で戦う構えに入った。その拳には赤光が放たれている。翼を使う気がないのなら、相手はこちらの戦法に応じるはず。ユリウスの読みは当たっていた。ヤタガラスは拳こそ上げなかったが、どんな打撃にも対応できると言わんばかりに悠然と三本足で屹立している。
鴉の化け物に対し、緋色の戦士は威勢よく正拳を振るう。ゼトライヱの力が付与された拳は、虚しく空を切る。軽く受け止められたりでもしたら、それこそヤバかったなとユリウスは不敵に笑う。どうやら、力の差は絶望的でもないようだ。上手くやれば勝利をもぎ取ることもできる。
ユリウスがそんな皮算用をしていた最中、反撃は刹那に訪れた。それは今までの牽制とは明らかに異なる、命を取りに来る反撃だった。三脚のうち二本を使った真横からの鋭い挟撃。「ぐッ!?」ユリウスはかろうじて前腕部で防御したが、その腕には敵の爪がめり込んでいた。反撃はそれだけで終わらなかった。人間にはないもう一本の足が蠍の尾の如く振り上げられ、戦士の身体を狙っている。両腕を封じられているユリウスは、がら空きの胸元に風穴を空けられる恐怖を振り払った。
「なめんなぁ!」
頭部にP.Zを溜めた緋色の戦士は、何と頭突きで迎え撃ったのだ。渾身のヘッドバットは敵の突き蹴りを弾き返し、弱まった束縛を解くことに成功した。腕に残る痛みを忍んで、ユリウスはすぐさま間合いを詰める。三本足の間合いでやりあうのは無理がある。ユリウスがそう判断したのも無理はなかった。実際、今の攻防は彼の野性的閃きで何とかなったようなもので、単純な力と間合いの差は相手が上回っていたのだ。
しかし、初の実践を迎えた六波羅ユリウスの頭は、冴えに冴え渡っていた。肉体はヤタガラスと格闘の応酬を続けている間、彼は再び来るであろう三本足の変則攻撃を予測していた。拳足を交えて伝わってくるのは、そのパワーの差だった。敵は蹴りに相当の自信を持っている。ユリウスが目を凝らしてヤタガラスの身体を見ると、人とそれほど変わらない上半身に対して、下半身の筋肉はえげつない発達の仕方をしている。道理で負傷した腕が焼けるように痛いわけだ。
では、どこを狙うべきか。早くしなければ息が上がってしまう。体力の消耗が著しいのをユリウスは自覚していた。そして敵の鋭い蹴りに対して、僅かに反応が遅れてしまったことが、幸運にも敵の追撃を誘い出すきっかけとなったのだ。
咄嗟に身を屈めたユリウスの頭上を、黒い一本足が風を切って通過する。「くッ!」ユリウスはその流れのまま、そびえ立つ二本の足をまとめて払うように蹴りを行う。隙を突いた足払いは成功したかのように見えたが、違う。ユリウスの反応が遅れたため、鈍い反撃となってしまった。だが、意外にもヤタガラスはこの蹴りを食らっていた。
これも違う。ヤタガラスは反撃に対する反撃を狙いに行ったのだ。足払いをいなすように二本の足を振り上げ、翼でバランスを取ったまま、空中で逆方向からの強襲。人体では実現不可能な一撃だ、ヤタガラスはさぞ力を込めたことだろう。緋色の戦士がこの瞬間を待っていたとも知らずに。
そう、丸太のように太い三本足が全て地上を離れる瞬間。無防備とまでは言えないが、ある程度相手の防御が疎かになる一瞬をユリウスは見逃さなかった。蹴りは威力の落ちる根元で受け――洒落にならないくらいの衝撃だが――その痛みと引換に、戦士はヤタガラスの懐に潜り込んだのだ。
敵は重力を扱うヨルゴス。その情報を耳にした時から、どうすれば奴を倒せるのだろうとユリウスは思考を凝らしていた。そんな力を発揮されたら、ゼトライヱと言えどひとたまりもない。唯一思い浮かんだ解決策は、敵を掴んで離さないこと。力を使えば自身も巻き込まれるような状況に持ち込んで、後はアドリブでぶちのめす。仔細が決まっていないようにも思えるが、無人の屋上に戦場を移してから、ユリウスは既に火種を撒いていた。
「ヨルゴスのてめぇに教えてやる」零距離で可能な格闘とは何か。人が編み出した技は打撃や斬撃だけではない。「これが柔道だ!」
敵の右腕を取ったユリウスはその体全体に赤光を放ちながら、床の窪んだ部分にヤタガラスを投げ下ろした。直剣の大振りで床が壊れやすいようにしていたのだ。化け物が下敷きになるかたちで両者が倒れ込むと、亀裂の入っていた床は轟音を上げて貫通する。二〇階、一九階、一八階……と、恐るべき速さで各階の床を突き抜け、ヤタガラスの五体が一階の床にめり込んだ末、ようやく落下は止まった。
砂塵が舞って床の破片がぱらぱらと落ちる中、緋色の戦士は立ち上がり、肩で息をしながら敵を見下ろした。今までに体験したことのない疲労感だ。敵と共に落下したユリウスも、もちろん無傷で済んでいなかった。全身打撲で身体に激痛が走る上、かなりの量のP.Zを使ってしまっている。少しでも気を緩めれば、即気絶してしまいそうだ。だが――
「ハァハァ……。こいつで終いだ……!」
敵の息の根を止める最大のチャンス。ゼトライヱとして最低限の示しをつけるため、ユリウスは深い息を吐いて体勢を整えた。
「コードM.D……!」
振り上げた戦士の右腕が赤く光り輝く。これがユリウスの現時点で最強の切り札。汎用性、利便性に大いに欠けるが、それを補って余りある破壊力を秘めたスキルコード。
マス・ドライバー。地上から宇宙へと物体を射出する架空の代物から、頭文字をとっていた。相手が神秘の力で挑んでくるのなら、空想科学的な威力を持つ攻撃が必要だろうという、ユリウスの情念が生んだ必殺技だ。
炎のように揺らいでいたP.Zが、洗練された幾何学模様を描く。禍々しい力は時として、それとは対照的な美しさを持ち合わせている。ただ、戦士の右腕に宿る赤光は、善悪や美醜の区別がつけようのない、壮絶な輝きを印象に残すばかりだった。
「跡形もなくなっちまえ!」
ユリウスが雄叫びをあげてから拳を振り下ろすまでの僅かな瞬間、それは起こった。床にめり込んでぴくりとも動かなかった鴉の化け物が、弾け飛ぶように脱出し、窓を突き破って建物の外へ逃れたのだ。
力の放出を止めようとユリウスは試みるが、できなかった。疲労以外の何某が、身体の制止を阻んでいるとは彼も想定していなかっただろう。ヤタガラスは緋色の戦士にかかる重力を、気づかれぬよう徐々に徐々に強めていたのだ。P.Zの使用に伴う疲労感の陰に、自らの呪縛を潜ませていた。機敏な動きを見せていた緋色の戦士は、今や鈍重な拳を振るう愚者へと成り果ててしまった。
このまま床に拳を叩きつけては、ビルの生き埋めになってしまう。最後の力を振り絞り、パンチの軌道を変えるのがユリウスの精一杯だった。
何て無様な初陣だ。轟音とともに天井が崩れ落ちるビルの一階には、哀しき塵埃と戦士の自傷の念が渦巻いていた。
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