1-11 もう一人

 六波羅ユリウスとともに無人航空機から投下された小型のドローンが、一連の光景を俯瞰カメラで捉えていた。ゼトライヱを支援する特務機関〈ゼナダカイアム〉の隊員らは、ほっと胸を撫で下ろした。輪山総司令だけが唯一、依然として状況を黙視していた。

 ゼトライヱα―Ⅱ型へと変貌を遂げたユリウスが、民間人の少女を間一髪で救出。この功績は世間の目にも届くはず。即興の救出劇だったが、ことのほか見栄えが良い。大和司令は静かに頷いた。


「怪我はないな?」


 ユリウスは少女を地面に下ろし、そう訊ねた。子どもの目は本能的であり、ただちに善悪の区別をつける。自分を助けた緋色の戦士は姿こそ禍々しいが、善。また、相対する静かな黒い化け物は、悪。


「どこかに隠れてな。あいつは俺が倒す」


 化け物――ヤタガラスと名称された生命体に向かって言い放つ戦士は頼もしく、柚子香はその言葉に従って祖母のいる路地裏に走って行った。ユリウスはヤタガラスと正対したまま、崩壊した公道を見渡す。非道い有り様だ。敵は以前よりも確実に、人類に対して攻撃的になり、またその力を強めている。降りかかる火の粉は払いのけ、元凶を仕留めなければならない。ゼトライヱとなった自らの手で。

 背中に装着してある直棒を引き抜き、ユリウスはスキルコードを唱えた。


「コードC.B!」


 すると、直棒が形を変え、見る見るうちに豪然とした直剣へと成った。地球外生命体を仇なすために作られた、ゼトライヱの力に人類の科学をプラスした近接武器である。ユリウスは改めて直剣を構え、刃先をヤタガラスに向けた。その未知なる両者の戦いの始まりを、志藤塁は口を閉ざして見守っていた。


                  ***


 モニターを見つめる三登里の内心は穏やかなものではなかった。来臨形態を維持するZレガシーから送られた、あらゆる情報を伝えるのが彼女の役目であり、今はその全てが正常域に落ち着いている。初めての実践、それも戦闘だというのに、手が震える三登里とは対照的にゼトライヱとなったユリウスの精神状態は、数値上では安定していた。

 そのユリウスが、手に持った直剣でヤタガラスに斬り掛かった。ギィン、ガキンという硬いものが衝突する音が幾度となく伝わる。即座にユリウスは興奮状態へとなったが、三登里は報告を思いとどまる。極度の域に達するまでは報告の必要はないと、事前に教わっていたからだ。サポートをする側である自分が冷静でなくてどうする。ふと目が合った小向隊員と共に頷き、三登里は気を確かに保った。


『てありゃあッ!』


 無線からはユリウスの気合い溢れる掛け声が響く。手数と気迫ではユリウスが優っている。しかし、有効打を与えているかと言えば、そのように感じる一打は見られない。防戦一方でありながら不気味なオーラを放つヤタガラスに、隊員たちは喉の奥に引っかかるものを取り除けずにいた。ヨルゴスの調査と解析を担当する麦島、阿畑隊員の両名は忙しなくキーボードを叩いている。

 大和司令は皆に気づかれない程度に唇を噛んでいた。彼女は自分の至らなさを悔やんでいた。ユリウスにゼトライヱとしての経験値を十分に積ませてやれなかったことを。

 光るものを持つ者と持たざる者がいる。ユリウスは前者だ。ただし、前者の中でもそれをうまく引き出したり、使いこなせる者とそうでない者に分類される。ユリウスは現段階では後者の位置だった。つまり、未熟なままの彼を戦場に送り出してしまったのだ。責任という言葉が大和司令に重くのしかかる。司令官という立場で彼女もまた、初陣の緊張に身体を強張らせていた。


『ちいッ! カラスみてぇな格好のくせに、硬すぎなんだよ!』


 敵の翼に狙いをつけ、まずは自由を奪う。当初のユリウスの目論みはそうであったが、この作戦がどうもうまくいきそうにない。翼を切り裂こうにも、鋼鉄のように頑強な敵の装甲に阻まれて刃の切っ先が入っていかない。相手は地球に生息するカラスとは似て非なる生物だと感じたユリウスは、頭をフル稼働させて戦術を組み変えた。といっても、効くかどうかはやってみなければわからない、行き当たりばったりの戦術。それでもユリウスは迷うことなく試みた。思い切りの良さが彼の強さの要因の一つだった。

 白兵戦で一定の間合いの中、攻防を繰り広げていたユリウスがもう一歩ヤタガラスに踏み込む。横からパンチが来るのを感じながら、ユリウスは敵の肩を掴み、そこが中心になるように回転する。大きな弧を描いた足が着地したとき、緋色の戦士はヤタガラスの背後を取っていた。前方転身、先人の編み出した体勢を変える曲芸的な技をここで出したのだ。


『でぇぇぇい!』


 今一度ユリウスは声を張り上げ、直剣を振り切った。ただ気合いを乗せただけではない、ゼトライヱの持つ力そのものを上乗せしたのだ。

 先ほどの剣戟の音とは異なる、木材を盛大に打ち砕いたような破裂音。同時に、ヤタガラスの屈強な身体が数メートル吹き飛ばされ、僅かによろめく。ユリウスが握る直剣には、淡い赤光を放つ何かが妖しく揺らいでいた。


「上手い! 斬撃は不利と見て、即座に打撃に切り替えおった!」


 年輩の近藤隊員がそう唸る。緋色の戦士は斬るのをやめて、剣の腹で殴りにかかったのだ。そのうえ、ゼトライヱの純然たる力〈P.Z〉を直剣に付与した応用技だ。直接的、効率的にダメージを与えられるとわかれば、ユリウスの覇気はよりいっそう強くなった。

 しかし、追撃をかけようとする彼の身体に相応の負荷がかかっていた。ゼトライヱの力は無限とされているが、人体には限界がある。四〇〇メートルを全力疾走する程度の疲労感をユリウスは感じていた。


「狭い場所に持ちこめ! 奴に重力を扱わせるな!」

『了解!』


 短い返答の直後、緋色の戦士は再び敵に向かっていった。先程とは打って変わって、牽制の多い白兵戦だ。ユリウスも単細胞じゃない、出来る限り体力を温存して、ここぞの場面でP.Zを放出する戦法を取っていた。今のところは抜かりない。大和司令は自らが敵と正対しているかのように、敵を倒すだけの思考回路を働かせていた。


「や、大和司令」

「何だ。今忙しい」


 それだけに、気弱な蓮見隊員の呼びかけは煩わしいものがあった。

 だが、大和司令は次の言葉を聞いて目を丸くし、釘づけだったモニターから目を離してしまう。


「現在交戦中のα―Ⅱ型の周辺に、別のP.Z反応あり!」

「何だって!?」

「データ照合中……該当なし。やはり全く新しい反応です」

「ま、まさか、もう一人のゼトライヱ……」


 小向隊員がぼそりと呟く。〈ヨルゴスの再来〉と共ににわかに動き出す運命の歯車。その胎動を感じずにはいられない隊員たちは、しばし言葉を失っていた。

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