1-10 がっせぇな

 同じ頃、六波羅隊員を乗せたジェット機は長野県南部を北上し、現場到着まで後数分に迫っていた。都内の司令室で業務を行う隊員たちにも多少の強張りは見られたが、各々の仕事を同時進行でこなしていく姿は有能な集まりそのものだった。

 他組織との素早い連携は年輩で顔の広い近藤が受け持ち、会話でのやり取りが必要な場合は、凛とした口調に定評のある小向が務める。小向は一般的なオペレータを担当しているが、複数の人手が必要な時は蓮見も臨時でオペレータを務める場合がある。情報収集能力に長けている蓮見は、独自に開発したデータベースを基に、かゆいところに手が届く報告を随時提供する。

 阿畑あばた麦島むぎしまの両名は黙々と仕事をこなしていくタイプで、会話に参加する機会は少ないが、ヨルゴスに関する様々な研究を続けている。ゼトライヱの標準装備を発案、そのうえ安価で実現できたのは彼らの功績に他ならない。

 Zレガシーから六波羅隊員の状態を逐一報告するのは三登里の役目だ。彼女だけ唯一見た目通りあたふたと慌てているが、役割としては特に重要な一端を担っていた。六波羅ユリウスという気難しい適合者のメンタルケアは、同じ孤児院育ちの三登里だけが果たせる仕事だった。


 そんな彼らが揃って並々ならぬ表情でタスクをこなしているのだから、今現在が如何に由々しき事態であるかは一目瞭然だった。張り詰めた雰囲気に、三登里は思わず固唾を呑みこむ。

 何事も訓練通りとはいかなかった。電波障害の影響は予想以上に大きく、現場の詳しい情報が一足遅れてやって来る。小向は寄せられた多数のデータをふるいにかけて、共通項と思われるものを選び抜き、それを司令に報告する。


「司令! 謎の集団がβベータⅤ型ごがたと銃撃戦を繰り広げている模様!」

「チッ。次から次へと忌々しい余所者共め」


 実際に答えたのは近藤隊員だった。治安の良い日本の町なかで銃撃戦など、秩序もへったくれもない行動をする連中が世界には存在する。かつての〈ヨルゴスの来寇〉の際にも現れた、遺跡荒らしなどで知られる名もなき窃盗団だ。民間人に危害を一切加えない事である種のカリスマ性を保ち、彼らを支持する人らもいるようだが、所詮は盗人に他ならない。あわよくば彼らは、ゼトライヱの力とそれに関わる技術さえ掠め取ろうとしているのだから。


「例の窃盗団でしょうか。それに、ヨルゴス出現の情報はどうやって?」

「わからん」蓮見の疑問を大和司令は一蹴する。「調査は後だ。今は各自、やるべき事に集中しろ」


 大和の芯ある言葉に、各員がそれぞれ気を取り直す。三登里はモニターの数値を再度確認する。Zレガシーから送られるユリウスの生体情報は、今のところ何の異常も見られない。強いて言うなら心拍数が八十五と少々多めだが、それくらいなら報告する必要はないと事前に大和から指示を受けている。

 しかし、その心拍数が一気に一一〇あたりまで跳ね上がり、三登里はこれを伝えようとしたが、先に口を開いたのはオペレータの小向だった。


「まずいです。たった今入ってきた情報によると、集団の使用していた戦闘ヘリと思わしきものが、β―Ⅴ型によって大七日市の球場に墜落した模様」

『こちらユリウス。肉眼で確認した。急いで現場へ向かう!』


 とうとう戦いが始まる。幼馴染の生還を祈る三登里をよそに、大和は号令をかける。


「α―Ⅱ型投下。続いてZグライダー展開」


 Zグライダーは、ゼトライヱが上空から投下された際に滑空できる翼のような代物である。精密な操縦を代償に、その速度は毎時二〇〇kmを優に超える数値を出している。こちらの方はむやみに試運転ができなかったため、VR技術を用いて幾多の訓練が行われた。

 それ故、凄まじい空気抵抗がかかる状況下でも、ユリウスは訓練通りだと冷静さを保っていられたのだ。

 ただし、現実と仮想空間は表裏一体。どれだけ近づいても、バーチャルでは表現しきれない細かな情報がズレを生じさせる。大和は黙って六波羅隊員を見守ろうとも考えたが、口を出さずにはいられなかった。


「ユリウス。くれぐれも着地に失敗するなよ」

『振る舞いは英雄らしく、だろ? 心配御無用! これより着地態勢に入る!』


 按配のよい平らで直線の一般道を着地点と定めると、緋色の戦士は滑空しながら徐々に高度を下げ、建造物の並ぶ通りに進入する。ユリウスは背部からZグライダーを切り離し、左膝を折り曲げ、右足での急停止を試みた。常人なら慣性の法則により吹き飛ぶところだが、身体にかかる負荷は軽減されている。要求されるのはタイミングだけだった。

 火花と塵埃を盛大に巻き上げ、最後は両手の摩擦も使って戦士は着地に成功した。着地から停止に至るまでの制動距離は、ビルの幅およそ二つ分までに収まった。

 ユリウスはすぐに立ち上がり、煙の上がる方向を振り返る。安全性を重視して幅の広い道路を選んで降り立ったのはいいが、現場までは少し走らなければならない。民間人や救助隊は、車道のど真ん中に現れた謎の緋色の生命体を見てどよめくが、彼らに構っている暇はなかった。立ち往生する消防車と、その奥のバリケードをひとっ飛びで飛び越え、ユリウスは驚くべき速さで走行する。

 現場に近づくにつれ損傷具合がひどくなっていく町並み。ヨルゴスに対する怖さがじわりとユリウスの心を蝕んでいく。しかし、どんな苦しい場面であれ、人はそれに立ち向かわねばならない時がある。正義なんて大層なものじゃない。それは男としての、雄としての意地だ。

 命の篝火を燃やす六波羅ユリウス。紅蓮の鎧を纏う彼の姿は確かに雄々しかった。


                   ***


 ドームの天井に作られた歪な形の穴から、燃え盛る炎が轟轟と舞い上がる。市の象徴の一つでもある大七日スタジアムの惨状。かなりの規模の被害ではあるが、何よりそれは志藤塁という一人の人間にとって、何物にも耐えがたい苦難の出来事だった。塁を構成するほぼ全てがあの球場を目指すために象られ、また、彼の夢を実現させるために不可欠な要素を全て含んでいるのがあの球場だった。それが今、魔の手によって風穴を空けられてしまった。とてつもない感情に見舞われた塁は、背後にいるヨルゴスのことなど気にも留めず、傷ついた夢の場所を呆然と眺めていた。

 一方で、兵士たちはヨルゴスとの歴然とした力の差に恐怖するばかりだった。人の理解を超越した力で以て、大火力を誇る兵器を圧倒されたという事実。機関銃や海水弾など、あの化け物にとって豆鉄砲にすぎなかった。弄ばれていたのだ。

 一兵がヨルゴスに背を向けて走り出してから、恐怖の伝播はそう時間はかからなかった。 前線にいた兵士たちは、こぞって不名誉な敗走を繰り広げる。任務を全うする奉仕的精神よりも、人そのものの生存本能が上回ったのである。

 だが、彼らの敗走は成らなかった。


 次の瞬間、兵士たちの体が浮き、車に撥ねられたようにそのまま横の建物に叩きつけられた。人間だけではない、道路に散乱するあらゆる物体が磁石のように、建物に吸い寄せられたのだ、あの化け物の力によって。グシャッという不快な音が、おぼろげだった塁の思考を目覚めさせた。

 ひしゃげた電柱が宙に浮き、屋上にいた兵士に襲いかかる。炎上する車が、空き店舗にピンポイントで突っ込んで爆発する。先頭をひた走る数人の前にトラックが降って、それが障害物になる。驚きながらも横倒しにされたトラックをよじ登ろうとするも、トラックはひとりでに起き上がり、惨いことに兵士たちはその下敷きとなった。

 このままでは自分たちもまずい。塁は我に返り、すぐさま柚子香たちのいる路地裏に戻ろうとした。しかし、当の柚子香はなぜか路地裏から出てきており、それどころか化け物と相対するように佇んでいた。

 そして、少女は握りしめていた石ころを化け物に投げつけた。表情はわからなかった。だが、塁は彼女の背中に、計り知れない哀しみと怒りを見たような気がした。石ころは化け物の体に当たり、カランと音を立てて地面に落ちる。少女の表情こそ目視できないものの、塁は嘴鋭いヨルゴスの表情ははっきりと見て取れた。

 何も、変わっていなかった。喜怒哀楽のどれにも当てはまらない、きわめて自然的な顔つきだった。魚を捌くときにも似た、対象に対して何の感情を持たないときのそれだった。だからこそ、彼の化け物が少女の方に手をかざし、その未熟な体を上空に浮かせたという結果を招いたのは、ある意味で然るべきだったのかもしれない。


「柚子香ちゃん!」

「お……おにい、ちゃ……」


 空中を昇っていく少女に向かって塁は叫んだが、手足は動かなかった。脅えて動かせなかったのだ。人間風情がその身ひとつであの子を助けようにも、下で受け止めることも、飛んでキャッチすることも、ましてや化け物に殴りかかることもできない。青ざめた顔でアスファルトを見下ろす少女の名前を、ただ叫ぶだけの哀れな存在。

 ビルの屋上付近の高さまで浮かされた柚子香の体が、ふっと浮遊感を失う。幼い悲鳴とともに地表に落下していく少女。もうすぐ姉になると喜んでいた少女。母親のことを大好きだと照れながら言った少女。祖母を先導する優しさを持つ少女。映像がスローになり、塁の思考は目まぐるしい勢いで駆け巡る。


「柚子香ちゃーーーん!」


 様々な道筋を経て、ついに塁の思考は絶望にたどり着いた。自分一人の力ではどうにもできない、あまりに強大な災厄に対する虚脱感。そして、行き着いた絶望の淵で志藤塁は願った。思考の終着点は、絶望ではなく懇願だった。

 そう、塁は頭の片隅である存在を思い浮かべたのだ。かつて地球外生命体ヨルゴスを退けたという、あの英雄の来臨を。


 刹那、落下する少女の体に浮遊感が蘇った。まるで無色透明のベールに包み込まれたように減速し、逆さまだった頭の位置がふわりと逆転する。不思議な感覚に柚子香は戸惑ったが、その瞳には光が宿っていた。

 そして、炎上したタンクローリーの遥か後方から、かなりの速度でこちらへ向かってくる足音があった。塁はなぜか、接近する存在に得も言われぬ頼もしさを感じた。闇あるところに光あり。ヨルゴスあるところに彼らがある。その大いなる存在は、浮遊する少女をしかと抱きしめ、アスファルトに火花を散らして着地する。


「……がっせぇな」


 緋色の鎧を纏った戦士は、顔を上げてヨルゴスを見据える。至る所で炎が上がっているが、そのどれよりも熱く激しいものを戦士は滾らせていた。

 堅牢な西洋の甲冑を彷彿させる重厚さと、血の通った人間のしなやかさを併せ持つ存在。神という概念は人が創ったものだが、たとえ偶像であってもその圧倒的な崇高さ、天上人を思わせるような雰囲気は科学では作れまい。戦士の体から発せられる赤い粒子が、永劫に燃ゆる篝火の如くたなびいている。その血気溢れる御姿でさえ、ある種の神々しさを孕んでいた。


「非力な人間いたぶるのが、そんなに楽しいかよ!」


 塁の前に現れ、そう吠えたのはヨルゴスと対を成す者、人類の希望。

 それはゼトライヱ。緋色のゼトライヱだったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る