1-9 黒い生物(3)

 しかし、謎の集団はその結果を予測していたかのように、次の手を打った。兵士の一人が鋼鉄の筒でできた発射機を肩に乗せる。ロケットランチャーだ。塁が制止の声を上げる間もなく弾頭が撃ち出される。衝撃に備え塁は身を庇ったが、爆発は起きなかった。その代わりに大量の水分が飛散したような、ビシャッという音が塁の耳に届いた。ヨルゴスは先ほどと同様に翼で攻撃を防いでいたが、全く無傷というわけではなかった。

 否、むしろかなり効いているようだ。防いだ翼と庇いきれなかった部位からは白煙が立ち、じゅわじゅわと泡立っている。そういえばテレビで見たことがある。来たるべき災厄、ヨルゴスの再来に備え、国連傘下の軍事組織が彼らに対抗する兵器を開発していると。加えて、地球の生命の起源でもある海、海水が彼らの弱点であるという特集を、塁は目の前の光景を見て思い出していた。

 負傷した翼をやや広げて、鴉の化け物はその鋭い双眸で兵士たちを捉えた。それは、ただ道路の中心で佇む先ほどの姿とは違い、紛れもない敵意を孕むものだった。


「……なるほど。身体の脆弱性と引換に、不釣合いな牙を得たというわけか」


 異質で独特な響きを持つ声が、あの化け物の方から聞こえる。まるで自分の内なるところから放たれたような、気味の悪い初めての感覚に塁は少し後ずさった。


「あ、あいつ、言葉を話すのか……?」


 兵士たちは間髪入れずに量産化された海水弾(仮)を放つ。しかし、海水弾は炎上したタンクローリーに命中し、水分の蒸発音だけが虚しく響いた。ヨルゴスはその翼で上空へ羽ばたき、直撃を免れたのだ。塁は彼の方向を見上げる。初めて見せた化け物の大きな動き。それは〈ヨルゴスの再来〉を確定的にさせる狼煙でもあった。

 鴉の化け物が上空へ飛んだのを待っていたかのように、それまで鳴りを潜めていた別の兵士たちが戦闘に参加する。ビルの屋上、空き店舗だった四階の窓、急遽到着したトラックのコンテナ。様々な場所から銃声とロケットランチャーの発射音、そして着弾音が飛び交う。ほんの十数分前までの安穏に満ちた公道は、破壊しか生み出さぬ戦場と化してしまった。生まれ故郷を無残に壊されていく志藤塁は、己の無力さにただ立ち竦むのみだった。


 ただ、そこで起きているものを戦闘と呼ぶには足りないものがあった。一方的な破壊、暴力、蹂躙と表現した方が適切だろう。なぜなら、諸悪の化身のような風貌をしたヨルゴスが、避けるだけで何も反撃していないからである。戦闘が激化する一方で、ヨルゴスの方に戦いを興じるような素振りは見られなかった。まるで機を見計らっているようにも。

 瞬間、空中で制止していたヨルゴスに海水弾の一つが命中する。地上の兵士で注意を惹きつけ、屋上から死角を突いた連携だった。ヨルゴスはよろめきながらふらふらと落下し、かろうじて地上に着地した。ここが勝機と見たのか、兵士たちは動きを止めた鴉の化け物に向かって海水弾の一斉砲撃を行う。猛攻はそれだけでは終わらなかった。

 耳障りな風切り音が塁の視線を注目させる。大七日スタジアムの方向、その遥か上空に物々しい物体が浮かんでいた。戦闘ヘリだ。大型の機関砲だけでなく、ミサイルも積んでいるようにも見える。

 無線でのやりとりの後、前線の兵士一同が後方のトラックの陰に身を潜めた。近くにいた塁は直近に迫る未来を察知し、身の毛がよだつような戦慄を覚えた。効果的な先制攻撃で敵を弱らせてからの、大火力による殲滅。戦闘ヘリの照準はただ一つ、地球外生命体のみを捉えていた。


「やめろぉ! 町ごと焼き払うつもりかぁ!?」


 塁は無線機を持っていた兵士の襟元に掴みかかった。しかし、野球だけをやってきた民間人が武術を心得た者、ましてや複数人相手に勝てるはずもなく、早々に引きはがされて何発かもらった後に羽交い締めにされた。


「ぐっ……勝手な真似を! 俺の故郷を壊すんじゃねぇ! ぐあっ!」


 締めつけがいっそう強くなり、塁は短い悲鳴を上げた。塁にとっては、地球外生命体も謎の戦闘集団も、平穏な故郷を脅かす存在に変わりなかった。それだけに己の力の無さを悔やんだ。自分はただ、大切なものを守りたいだけなのに、と。

 ミサイルは発射された。弾速は凄まじく、もはや人が防ぎきれる術などない。爆発で地面が揺れる。バラバラと固いものが崩れ落ちる音がする。その時、塁の体を締めつけていた兵士の力が緩んだ。塁は何とか顔の位置を変えて、ミサイルが着弾したとみられるヨルゴスの方を向いた。

 当たっていなかった。直撃はおろか、掠りもしていない。ミサイルは化け物の後方のビルに逸れたらしく、そこから激しく炎があがっている。

 戦闘ヘリは小さな対象相手にミサイルをもう二発三発、さらには機関砲も撃ちこんで撃破を目論んだ。しかし、ミサイルは全てあさっての方向に逸れて爆発。機関砲は対象物の手前で不自然に曲がりくねり、ただの一発も被弾はならなかった。

 一方的な猛攻を仕掛けたのは人間側の方。地球外生命体の再来を予測し、彼らの弱点を研究し、撃退する武器を作り上げた。確かに効いてはいた。だが、兵士たちにとって最大の過ちは、地球レベルで物事を図っていたことだ。戦闘ヘリの武装は、人間であれば防ぎきれる術を持たないが、ヨルゴスは持っていた。実に単純な事だった。

 彼の化け物が虚空に手をかざす。途端に戦闘ヘリは制御不能に陥り、そのまま見えない力によって道に沿うように簡単に押し飛ばされる。軌道の先にあるのは流線形の円い建造物、大七日スタジアム。


「そんな、まさか!」


 回転翼から真っ逆さまに急降下した戦闘ヘリは、無残にも墜落。大七日スタジアムから悲鳴のような虚しい爆発音が響いた。

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