1-8 黒い生物(2)
体験した事のない爆発から数十秒後、志藤塁はようやく身を庇う態勢を解いた。地震かと錯覚するほどの突き上げるような衝撃。直後には燃えた金属片が次々と道路に飛来するものだから、塁は身動きが取れずにいたのだ。
轟々と燃え盛る炎。火は至る所に燃え移っており、爆発地点の傍にあったビルは二階部分から下は黒ずんで激しく損壊、また街路樹や花壇は見る影もなくなっている。炎上したタンクローリーは遠く離れているというのに、もの凄い熱波だ。非常時のサイレンが不協和音を奏でている。
一刻も早くこの場を離れなければ。逆さまの状態で歩道まで吹き飛ばされた軽自動車を横目に、塁は何とか立ち上がった。交差点にいたあの化け物はもういない。これらの事は全部あいつの仕業なのか。なぜあいつは爆発の寸前、こちらを見つめていたのか。押し寄せる疑問を全く消化できない中、混乱する塁の頭を瞬時にクリアにさせたのものは、聞き覚えのある少女の声――悲愴な叫びだった。
「おばあちゃん! ねぇ起きてよ、おばあちゃん!」
先ほど話していた柚子香の声だった。傍らには液晶が割れてしまったタブレット端末と、地面に倒れた老婆の姿がある。塁は急いで彼女らの方へ向かった。
「柚子香ちゃん!」
「おにいちゃん! おばあちゃんが!」
目に涙を浮かべた柚子香が、必死の形相で塁に訴えかける。おばあさんは低い呻き声を漏らし、呼吸をするのが苦しいようだった。目立った外傷は見られなかったが、却ってそれが不安を募らせる。
「ここは危険だ。そこの路地裏におばあちゃんを運ぼう。柚子香ちゃん、手伝えるね?」
「うん!」
健気にも少女は涙をこらえ、自分を守ってくれた祖母の手を握った。塁はすぐ傍の狭い路地裏まで柚子香の祖母を運んで横に寝かせ、自分のエナメルバッグを枕がわりにして彼女の頭をゆっくりと下ろした。あんな大規模な爆発があれば、じきに消防車や救急隊員などが駆けつけてくるはずだ。それまでは安静にしておく他ない。
「大丈夫、必ず助かるよ。すぐに助けが来るから」
「……うん」
祖母の身を案じる少女の背中に、塁はそう励ました。彼女らは何も悪くない。ただ不幸にも災難に巻き込まれてしまった。その不幸の元凶を塁は探る。あの鴉のような化け物が、こんな悲劇を起こしたというのだろうか。地球外生命体ヨルゴス。謎多き彼らに対して、塁は初めて憎悪という感情を抱いた。
その時だった。塁の思考回路に最悪のケースが浮かんだのだ。もしも消防隊員たちが、今の惨状をすべて把握していないとしたら……。緊急車両でこちらに駆けつけようものなら、おしまいだ。どう説明すればいいのかわからないが、あの化け物は物体を宙に浮かせる能力を持っている。タンクローリーだって意のままに操っていたのだ。消防車など簡単に蹴散らされてしまう。被害が大きくなる前に、早くその事を伝えなければ……。
いよいよ消防車のサイレンが耳に届いたところで、、塁はその場を立ち上がった。しかし、途端にサイレンの音は止み、何某を燃え上がらせる炎の音だけが聞こえるようになる。一瞬の沈黙。そして爆発の中心に駆け寄る大勢の足音。助けが来たのかと塁は路地裏から顔を出したが、程なくして淡い期待は水泡に帰した。
苦しそうな怪我人を無視して、こちらへ走ってくるのは口元をスカーフで覆った三十人ほどの集団の外国人だろうか。少なくとも塁の目にはそのように映った。同じ銃器、同じ軍靴――そう、軍だ。まるでどこかの国の一個小隊がやってきてくれたようにも塁は錯覚した。しかしながら、彼らの無駄のない動きはさながら血の通っていない機械のようで、塁の想像する頼もしい存在とはかけ離れたものだった。
謎の集団は横倒しになった車や瓦礫に張りつき、一斉に銃を構える。照準の先にある対象物は、燃え盛るタンクローリーの手前に佇む地球外生命体。早口で交わされる二言三言のやりとりは、やはり塁にとって聞き慣れない言語だった。そして、彼らは何の躊躇もなく機関銃のトリガーを引いた。
静寂を切り裂く連続した銃声が平和な街に響き渡る。銃声による不協和音は、志藤塁を含む民間人の心を大いに揺さぶった。愚かにも彼らはそこでようやく理解に至ったのだ。嘆くことすら許されない無慈悲な暴行が起きている現実を。足を怪我した者も頭から血を流す者も、無我夢中でその場所から逃げ惑う。損壊した建物、あちこちで燃え上がる炎、立ち昇る黒煙、倒木や瓦礫が散らばる道路、そして広がる叫喚と脅威を背に走り逃げる人々。大七日スタジアムへと繋がる通りは壊滅状態にあった。
志藤塁はその場に立ち尽くしていた。いや、いたいけな少女とその祖母を見捨てて、自分だけ逃げることはできなかったのだ。その間にも謎の集団による一斉射撃は続いていた。銃弾は、全弾命中と言ってもいいほどヨルゴスの体に驟雨の如く注がれる。ヨルゴスは黒い翼で頭部は守っているものの、それ以外全ての箇所を滅多撃ちにされているわけだから、無事であっていられるはずがない。銃声が止み、何事もなく三本足で泰然と屹立する鴉の化け物を目の当たりにして、塁は困惑と畏怖の念を抱いた。
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