1-6 αーⅡ型、出動

 一〇時一九分、特務機関〈ゼナダカイアム〉の司令室に報せを告げる電子音が鳴り響く。対応した小向隊員のマウスを動かす手がぴたりと止まる。が、すぐに声を上げた。普段と同じ清涼な声音であるものの、どこか強張りも感じられた。


「長野県大七日市で、中規模の電波障害が発生した模様」

「原因は?」大和司令は動じずに小向の言葉を促す。

「今のところ不明ですが、ある建造物の一室が爆発した直後、電波障害が起きたそうです」

「同じタイミングで、空を飛ぶ奇妙な生物の目撃情報が多数寄せられています」小向に続き、蓮見隊員も眼鏡の位置を直しながら報告する。「しかし、インターネットの回線が繋がらずSNSに動画や写真などを投稿できないと」

「情報化社会の弊害ですな。じゃがこの感じ、あの時に酷似しておる……」そう声を漏らす近藤二尉に、隊員たちの誰しもが緊張感を走らせる。ヨルゴスの出現時には、必ずと断言してもいいレベルで電波障害が発生することが認められている。伝達が滞り、不明瞭な情報が飛び交って混乱に陥った前例があった。それが〈ヨルゴスの来寇〉の始まりだ。近藤は大和の方を振り返り、指示を煽いだ。「司令、いかがしましょう?」


 別の原因や誤報、たちの悪いいたずらと、もしくは本当に事実である可能性が浮上する。初動は慎重になる必要がある。というのは、ヨルゴスの行方が途絶えた以降、特務機関はそういった問題に悩まさ続けてきたからだ。だが、彼らの再来の兆候があらわれたその日の一報とあれば、大和司令に決断の迷いはなかった。


「気象庁と防衛省に連絡を。〈アマノハバヤ〉の発射承認許可を申請」

「了解です」


 散布型ヨルゴス感知榴弾。別名アマノハバヤは、全国各地の気象観測所に常備されている。上空に打ち出すとゼトライヱの力の粒子が拡散し、ヨルゴスの反応があれば即座に作用する代物だ。このように、ヨルゴスはひとつの災害として国に認められたのだが、アマノハバヤの配備と同時にヨルゴスが現れなくなったというのは何とも皮肉なものだ。おかげで大和たちの組織としての肩身は狭くなる一方だった。


「発射承認完了。すぐにでも打ち出せます」

「アマノハバヤ発射。及び識別信号の確認急げ」

「はい」


 承認手続も発射も実にスマートに行なわれ、画面には長野県を中心とした中部地方の地図が表示される。結果が出るまで一分少々を要したが、その間誰も口を開くことはなかった。


「大七日市の識別信号……出ました」そう言った小向はハッと息を呑んだ。「こ、これは……!? 識別信号『赤』! ヨルゴスと断定!」

「何じゃと!?」


 近藤二尉の言葉を皮切りに、司令室は一時騒然となった。訓練でしか経験した事のない識別信号の色、そして訓練の際に聞いた警報が鳴る。慌ただしい声が行き交う中、司令を務める大和は人一倍冷静だった。彼女はすぐにある人物に無線を繋いだ。


「聞こえたな、ユリウス」

『ええ。でも、まさかこんなに早く来るとはね』


 無線越しのユリウスが至って普段通りであることに大和は安堵する。しかし、同時に親心のようなものが彼女の言葉を詰まらせる。ユリウスは彼女が手塩にかけて育ててきたゼトライヱの適合者だ、彼の全てを知り尽くしていると言っても過言ではなかった。

 生きて帰ってこいなんて柄じゃないし、重荷になるような発言は避けたい。言動に反して繊細な大和は、できるだけ自分らしい言葉を選んでそれをユリウスに伝えた。


「生温いことは言わん、ぶちのめしてこい。民間人は傷つけるなよ」

『上等だ!』


 ユリウスは威勢よく啖呵を切った。だが、彼に複雑な想いを寄せる者は大和だけではなかった。彼と幼馴染の間柄である三登里隊員は、本心とは裏腹に自らに課せられた仕事を務めるべく、他人行儀な口調で指示を告げる。


「六波羅隊員、ただちにZレガシーを装着、及び来臨形態へ移行せよ」

『ぐ……ぎ……!』


 活気に溢れていた幼馴染の、突如痛みに悶える声が三登里の顔を曇らせる。あの強がりですら声を漏らすのだから、その痛みは甚だしいものなのだろうと三登里は思う。しかし、それに応じてゼトライヱの力が増すというわけではなかった。ユリウスが未熟だから痛みが生じる。非情な現実を噛みしめながら、三登里はモニターに映る数値を読み上げた。


「適合値五十七。推奨値に達していません」

「どうしたユリウス。まさかお前、日和ヒヨってるのか?」


 煽るような上司の言い草に、三登里はあからさまに嫌な顔をした。だが、適合者の扱い方を心得ているのは大和司令の方だった。負けず嫌いで利かん坊。ユリウスがそのようなタイプだからこその発破のかけ方だったのだ。

 そして、大和の思惑通りユリウスは怒気の入った声で呼応する。


『な、めんなぁ……!』

「適合値上昇。五十八、五十九……六〇。推奨値に到達」

『来臨……ゼトライヱ!』


 ユリウスがそう叫ぶと、Zレガシーを装着した右腕から肉体に変化が始まる。来臨形態と呼ばれる対ヨルゴスとの戦闘に特化した形態だ。人ならざる者、人を超えし者、人を救う者。畏敬の念を込めて来臨という聞き慣れない言葉を採用したそうだが、誰が最初にそう発したかは定かではない。


αアルファⅡ型にがた、来臨形態へ移行。生体情報、P.Z反応ともに異常なし」

「よし、至急〈ルーク〉への取付作業を開始。完了次第、発進させる」


 RQ-603ルークとは、近年米軍が開発した無人航空機だ。無人航空機に人間を取付けて有人機にするなどセンスの欠片もないが、これが現状で最も適した運用方法だった。国際民間航空条約や航空法などの規則の穴を掻い潜って編み出された、言わば裏技のようなやり方なので、民間の反感を買って様々な抗議活動が行われたというのは記憶に新しい。

 しかし、その最新鋭の機体の機密を日本政府に全て公開するこという破格の条件と、機体そのものに武器を搭載しないという公約の元、運用が許可されたという経緯があった。ヨルゴスに家族を奪われた人々の団体が支持したことが、大きな後押しとなったかたちだ。一部の熱狂的なミリタリーマニアは歓喜したそうだが、彼らの影響力は皆無に等しい。

 作業は差し支えなく進行し、ゼトライヱとなったユリウスは機体の下腹部に、翼のような物体を背中に装備した状態で取付けられた。


「α―Ⅱ型固定完了。進路クリア。システムオールグリーン」

「ゼトライヱα―Ⅱ型、出動! ルーク、発進!」


 最後の号令は総司令の輪山の役目だった。常に仁王立ちの輪山は無口で謎多き男であるが、隊員たちは彼に全幅の信頼を寄せていた。組織の核を担うのは彼以外にありえない。そう思わせる度量と迫力を持ち合わせていたのだ。

 爆発的な排気音と、タービンブレードが膨張ガスを切り裂く狂的な回転音が滑走路に轟く。瞬時に加速するルークは充分な推進力を得て、機体の仰角を上げて空へと昇っていく。眩い陽光で照らされた銀翼と、疎らに広がる雲と、普段通りに振る舞う青空。その景観の受け取り方は多様であった。希望、高揚、憂い、不安、雑念、帰依。

 ひとつだけ確かなのは、それがとても儚く見えてしまったということだ。

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