1-4 大七日駅前
ふと、志藤塁は立ち止まって辺りを見回した。通い慣れた
何事にも勇気と決断が要る。二十年前の国民に訊ねられるのなら、口を揃えて言うことだろう。「あんなドがつくほどの田舎に球団を創設するなんて無謀だ」と。しかし、そんな批判を小言と言わんばかりに〈大七日ビッグディッパーズ〉の選手らは奮起し、創設五年目にして初優勝を飾ったのだ。当時少年だった塁にとって、その出来事は人生の行き先を決める決定打となった。
鳴りやまない歓声の中、優勝パレードで市民に手を振る選手たちの勇姿といったら! いつか自分も手を振る側の人間になりたいと脳裏に描いたのは、塁少年だけではないはずだ。きっと多くの野球少年が同じことを思っただろう。
パレードの時は次の横断歩道を渡ったところで、親父に肩車してもらったっけ。塁がそう物思いに耽っていると、その場所には老婆とその孫らしき七歳くらいの女の子が佇んでいた。女の子はタブレット端末を持ち、思案顔を浮かべている。
「
「待っておばあちゃん。えーと、たぶん、こっちなんだけど……」
柚子香と呼ばれる子が指差した方向には、味わい深く色褪せた古びたアーケードがあった。
「そっちは駅前の商店街だよ。商店街に病院があるのかい?」
「だって、ナビにはそう書いてあるし……」
「タクシーに乗ったほうが早いんでないかい?」
「ダメッ! お金かかるでしょ!? 節約しないとダメなの!」
何とも経済観念のしっかりしているお子さんだ。きっと親御さんの教育が行き届いているのだろうと、塁は感心しきっていた。おばあさんのほうも良い塩梅の立ち位置で、孫の成長を優しく見守っているように見える。世話を焼きすぎると却って機嫌を損ねるというのが、この年頃の性というものだ。
そんな微笑ましい光景を眺めつつ、塁は青信号になった横断歩道を渡る。あくせくと端末を睨む女の子に、おばあさんがさりげなく救いの手を差し伸べた。
「柚子香や、人に聞くならお金はかからないよ。おばあちゃんが聞いてくるかい?」
「ダメーッ! 柚子香が行くの!」
途端に辺りをきょろきょろと見回す女の子と、塁は視線をばったりと合わせてしまった。いやでも、道を尋ねる人間として自分はいささかハードルが高くないだろうか。女児からしたら得体の知れない大男に映っているかもしれないのに。そんな考えを巡らせながら、塁はできるだけノーマルな表情で彼女たちの方へと歩んでいく。そして通り過ぎようとしたその時だった。
「あ、あの」
「へ、俺?」
***
大七日の朝の商店街は、地域の気風をそのまま表しているかのように長閑だった。ところが、球場に足を運ぶ人々がこの通りを抜けると近道になるのを知っているものだから、試合がある日は多いに賑わいをみせる。商店街は活気づいてなんぼのところがあるし、何より売り上げに貢献しているのが彼らなので文句を言うつもりはないが、塁は元の長閑な商店街をとても気に入っていた。
応援旗やポスターなどで地元球団一色に染まり、胃袋を刺激する香しい醤油の匂いを漂わせる通路を、塁は先ほどの二人を連れて歩いていた。
「そっかー、お姉ちゃんになるのか。よかったな」
「うん!」
「お姉ちゃんになるから、おばあちゃんを連れてお母さんの病院に行きたかったんだよな。う~ん、えらい! いいお姉ちゃんになるぞ」
塁がそう言うと、女の子は口をもごもごさせてにっこりと笑った。話を聞くと、どうやら臨月を迎えた母親のお見舞いに行くのだそうだ。母親がいる産婦人科病院は塁も知っている場所だったため、こうして塁は二人の横に並んで案内をしていた。ちなみに、病院へと向かう道はこの商店街を抜けるルートが最短であり、女の子の所持していた端末のナビは決して嘘をついていなかった。
孫の手をしっかりと繋ぐおばあさんが、塁を見て頭を下げる。
「すみませんねぇ。道案内までしてもらって」
「気にしないでください。途中までの道のりがたまたま同じだっただけですから。あ、ここがさっき言った大きい通りです。で、俺の行き先はあそこ!」
アーケードの出口を抜けて左折し、塁は声を上ずらせながら遠方を指差した。街路樹の緑のずっと向こうにそびえ立つ円形の巨大な建物こそ、彼の目的地であった。
「大七日スタジアム、かい?」
「はいっ!」
小気味よく返事した塁の目は、陽に照らされたせいか爛々と輝いていた。
「おにいちゃん、やきゅう選手なの?」
「なりに行くんだよ、これからな」
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