1-3 不安
「とうとう来ちゃったね、ヨルゴス……」
休憩室の簡素な椅子に座った三登里は、そう声を落とした。温かい紅茶の缶のぬくもりさえ、彼女に安らぎを与えてくれなかった。せっかくの心休まるひとときが、今はなぜだか億劫に思える。
「そりゃ来るだろ。じゃなきゃ何のために、俺が大和司令の血の滲むような訓練を受けてきたと思ってんだ?」
綺麗な金髪を揺らしながら、ユリウスは三登里の対面の席に腰を下ろす。甘い清涼飲料水をクイッと喉を鳴らしながら飲む幼馴染は、特にいつもと変わらない風だった。整った横顔、光沢のある鮮やかな金髪をまじまじと見られるのは、昔から彼のことを知っている三登里ならではの特権だった。
「また甘いもの飲んでる」
「お前のレモンティーだって甘いだろうが」ムスッとした表情でユリウスは答えた。
「そういう事じゃなくって。朝一番に飲むものが子供っぽいって言ってるの」
「うっせーなぁ、何を飲んだって俺の自由だろ。朝っぱらからクソ苦いブラックコーヒー啜ってれば様になるってのか?」
「そうねぇ。いかにもサラリーマン、て感じじゃない?」
「『冴えない』って形容詞がつくけどな」
「あと、たいてい口が臭いのよね、コーヒー飲む人」
「結局否定してるじゃねぇか」
「ほんとだ。てへっ」
「かわいくねーぞ」
「もー」
学校生活における授業の合間の一〇分間というのは濃密で、ここは学校ではないものの、三登里はこの何気ない時間をとても大切にしていた。属する組織の特殊性ゆえに外出は禁止されており、そうする他なかったと言えば野暮になるかもしれないが。また、年を経るごとにつれて、幼少期からずっと傍にいた対面の幼馴染に対する感情はより深く、より複雑に三登里の中で育まれていった。
しかし、この時間を妨げるものがあるとすればと度々想像していた事態が、よもや現実になるだなんて……。三登里はひとつ重たい息を吐き、幼馴染の全体を不安そうに眺めた。
「……体、大丈夫なの?」
「何だよ、いきなり」
ユリウスは怪訝そうに三登里を見遣った。三登里は構わず続ける。
「いつも痛そうに叫んでるじゃない。それに来臨形態でも普通に怪我はするし」
「痛いのは最初だけだって。俺の適合値が低いから。怪我のほうは……大和司令に言ってくれ、言えるもんならな。それに――」ユリウスの声音が低くなる。「あの人には恩がある。それはお前だって同じだろ?」
確かに、孤児院にいた幼い三登里たちを見出したのは大和司令だった。けれども言い換えれば、得体の知れない生物とユリウスを戦わせるための戦闘術を仕込んだのも、また彼女の仕業と言える。三登里の心の秤は、今は負の方に傾いていた。
「……ユリウスがこんな目に遭うなら、絶対反対してた」
「だろうな」
そう言って苦笑したユリウスは席を立った。いつもよりも明らかに早い離席だった。三登里からすれば二言、三言の言葉を交わしただけのつもりなのに。事実、時計の針はまだ五分と経っていなかった。
「どこ行くの?」
「〈ルーク〉の傍で待機。お前もあんまりサボってると、司令にどやされるぞ」
幼馴染の背姿に三登里は多少の強張りを感じた。訓練を受けたとはいえ、ゼトライヱとしての実践経験はゼロ。戦うための来臨形態を維持するには、襲いかかる脅威と湧き起こる不安に打ち克つ精神力が求められる。
安っぽい激励などは逆効果かもしれないけれど、大切な人の寂しそうな背中に三登里は声をかけずにはいられなかった。
「ユリウス」振り向いた幼馴染と目が合って、伝えようとしたものが色々と吹き飛び、建前が全て削がれた本音だけが三登里の口から発せられる。「……死なないでよ」
「はぁ? ゼトライヱがそう簡単に死んでたまるかよ」
ユリウスは目を丸くしたが、すぐ一笑に付した。その笑顔が不意に儚く見えてしまって、呼び止めようと喉元まで声が出かけたが、三登里はそれを飲みこんだ。漠然と胸の中に渦巻くもの。虫の知らせだとかオンナの勘だとか、そういう不確かなもので動揺を誘うのは良くない。
けれども、休憩室に一人残された三登里は唐突な孤独感を覚える。それは飲み口の開いた缶のような空虚さであり、彼女は数刻の間それを噛み締めていた。
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