第18話「墓前の決意、恭子の覚悟」


 少しだけ事務的な言い方になってしまったのかも知れないが、恭子が本当に婚姻届けを提出したかどうかを俺はきちんと確認したかった。そして恭子は『はい』と頷いた。


 もちろん、だ。絶対にこれでなあなあにしてはいけない、男としての矜持と恭子は当然、師匠たちへのケジメもある。


 心の中で決意表明をした俺は少しだけ気持ちに余裕ができて視界が広くなった。


 それにより気がついたのが、警察職員の半分が慌ただしく動き、観衆や残りの警官たちが皆……スマホを見ている異様な光景だった。


 何故、こんなに大勢の人がスマホを……あっ!!


「恭子!!確か、姫ちゃんが記者会見って!俺はスマホをマンションに置いたまま此処に連れて来られたから持っていないんだ!恭子は持っていないか?」


 俺の言葉に恭子の潤んだ目が真剣なそれに変わる。


「はいっ!おじさん!姫紀お姉ちゃんはおじさんを救うために、私を守るために戦ってくれているんです!一緒に見てくださいっ!」



 俺と恭子は皆と同様に立ったままお互いの手でスマホの両端を支え固唾を飲んで姫ちゃんの記者会見を見守る。


 そしてその内容は想像以上、いや到底想像できなかった物だった。


 姫ちゃんが自分の全と引き換えに今までの吉沢の闇を暴き、恭子の脅威となりうる根源を周囲諸共吹き飛ばそうとしていた。言葉にすれば簡単なことに聞こえるかもしれないが、且つての歴史から見ても例のないことだ、日本のトップとも言える関連グループも含む大企業を破壊し、自分がトップとしてその全てを差し出す。


 目頭が熱いってレベルじゃない。肩の震えと心の動機が止まらない。大人の俺でさえいつ精神的に参っても仕方が無い状況なのだから、この渦中の真ん中にいる恭子はどうなんだ?心配になって顔はスマホに向けたまま視線を恭子へと流す。


 ……俺の心配とは裏腹に、恭子は凛とした姿勢で瞬きもせずその会見をジッと見つめていた。


 その風景は俺なんかとは全然違う覚悟の表れのように思え、それが今まで俺が抱いていた恭子への印象を一転させた。


『覚悟を固めたものにしか、大切な人は守れない』


 師匠の言葉が頭によぎる。


 俺の目に映った彼女は、両親を失って誰かの保護を必要としている可哀相でか弱い女の子ではなく、大切なものを守りぬくために全てを受け入れて決して怯まず向き合う強さを持った女性だった。



 そして、吉沢の事実上のトップである幹部の妨害を受けながらも一進一退を繰り返していた姫ちゃんの吉沢の破壊を決定的にしたのが、最後に現れたヒトミちゃんだった。


 彼女の放った言葉は信じられないほど重く、悍ましかった。女子高生の女の子が制服を脱ぎ、露わになった巨乳を細い腕で隠しながら放った言葉。


 俺はそんな衝撃的な内容に目も耳も逸らして塞いでしまいたかったが、彼女や姫ちゃんが恭子を、俺たちを守るためだけに必死で戦っているんだと思うと自分の弱さが愚かになものに感じて仕方が無かった。



 この時だったのかもしれない。


 今まで師匠に散々馬鹿にされてきた自分の覚悟の無さを実感し、その反面初めてほんの少しだけ『他者の犠牲と引き換えに自分たちが助かる』ことを受け入れる覚悟ができた瞬間。



 とうとう数時間に及ぶ会見が終了した。そして誰の目にも吉沢の崩壊が見え、崩れ行く音が聞こえたことだろう。


「姫ちゃんとヒトミちゃんが恭子を、俺たちを守ってくれたんだな」


「はい」


 後になって思えば、この時の恭子の短い返答の言葉とその目の強さは決してハッピーエンドを感じるものではなく、逆に自らバッドエンドの道を選んだ強さのようなものだったのかも知れない。



「恭子、帰ろうか……我が家に」


「はい、おじさんは朝から何も食べてないですよね。作らせてください、ご飯」



 いや……マンションには車を取りに行くだけなんだ。まだ俺には決着をつけなければいけないことがある。俺たちを救ってくれた姫ちゃんのためにもヒトミちゃんのためにも、絶対になあなあにしてはいけないんだ。



 警察署で観衆に紛れ俺たちを見守ってくれていた安武に車でマンションまで送ってもらう。


 俺と安武は道中の車内で殆ど会話がなかった。唯一話したのは警察に来ていたヒトミちゃんを安武が姫ちゃんの会見場まで送って行ったこと。


 安武は人一倍思いやりに長けていて、感受性も強い。安武がヒトミちゃんとは餅つきで仲良くなっていたこともあり、目の当たりにした会見の内容が頭の中で今でも押し返す波のようにリフレインしているのだろう。


 だから会話が無かったというよりも、お互いにその時の事の感想が簡単に述べることの出来る性質のものではなく、口が開けなかったというのが正解に近いのだ。



「送って下さってありがとうございました、安武さん」


 マンションの駐車場に着いて車から降りて礼を述べる恭子に対し、俺と安武は無言で会釈して別れた。



「さあ、もうすぐですよ。私たちの家に帰りましょう、おじさん」


 恭子が俺の背中に手を当てて、精一杯の笑顔でそう言ってくれた。


「恭子、ちょっとここで待っていてくれないか。俺が部屋に戻って車の鍵を取って来るから。……恭子と一緒に行きたいところがあるんだ」


「今から行くところですか?……はい、わかりました」


 行先も聞かずに俺を信じて恭子が了承してくれる。


 俺は急いで部屋から車の鍵を取って来て、二人でゲンちゃんに乗り込んだ。



 いつもは安全運転の俺だが、今だけは違った。


 何としても暗くなる前に着きたい。


 

 俺が恭子に行先を告げず車に乗せたのはこれが初めてじゃない。植松が売り飛ばした恭子の育った家のものを恭子に見せるために倉庫へ行った時だ。


 今もその時にようになにも聞かずに俺を信じて助手席に座っていてくれるが、恭子はあの時と違い行く道の景色で行先を思い当たったのだろう。


「……お父さんとお母さんのお墓」


 何度か一緒に行ったから道も場所も覚えているんだな。


 俺は到着までの残り僅かな時間を運転する中で必死にプロポーズの言葉を考えていた。


 

 何を言えば恭子が喜んでくれるだろうか。


 何て言えば俺の気持ちが伝わるだろうか。



 そんなことで頭の中が一杯だった。



 結局これといった台詞が思いつかないまま、墓所の駐車場に着いた俺たちは車から降りる。


 もう少し俺の気持ちに余裕があれば、道中で供え物などを買ったりできたかもしれないが、もはやそれどころではなく、手ぶらで師匠夫婦の墓前に足を進める。



―――神海 悟

      咲子



 俺は師匠たちの前で恭子と向き合った。




「恭子、今から……師匠たちと一緒に聞いて欲しいことがあるんだ」


 良い言葉が浮かんでこなくてもいいんだ。とにかく今の俺の気持ちを恭子と師匠たちにぶつけよう。



「おじさん、私もおじさんに聞いて欲しいことがあります。先に言ってもいいですか?」


「えっ?あ、ああ……」



 俺が覚悟を決めるなかの急な恭子の遮りへ反射的に言葉が出てしまった。


 何を言われるのか解らないまま、恭子の言葉を待つ。



 そして、恭子の口から放たれる言葉のそれはまるで空から言葉が降り注いでくるようだった。





    私は今日、おじさんとの婚姻届けを出して―――


  とっちゃんのおじさんから婚姻証明書を頂きましたが―――


       ―――実際の結婚の事務処理は休み明けに行うそうなんです


   ―――その後におばさんからおじさんの言付けを貰いました


    だから、本日中であれば処理を中断することも可能だって―――



   ―――私が望むなら、結婚を無かったことにしてくれるって―――

 



 俺の目の前は真っ白になっていた。

 

 俺の頭の中は真っ白になっていた。




「おじさん、私を……おじさんと姫紀お姉ちゃんの子供にしてください」


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