第6話「夏海菜月」


 マンションの非常階段を駆け下りた恭子は先にエレベーターで外に出ていた女性警官を見つけ、息を殺しながら駐輪場の陰で身を潜めていた。


 そして暫くの間お互い動かずにいたが、警官が自分が乗って来たであろう車に向かい乗り込むのを見た恭子は不安に掻き立てられる。


(……逃げ出した私を探すために無線で応援を呼ぶのかも知れない)


 実のところ女性警官は女子高生に逃げられたという無様を上司や同僚に報告するだなんて彼女のプライドが許さず、すぐに見つけられるかもという可能性に賭けて車で追いかける心づもりだったため、結果的には恭子がそのまま車が出て行くのを見過ごせば問題なく屋敷に迎えるはずだった。


 しかし、応援を呼ばれるとどう足掻いても逃げられたいと思ったしまった恭子は、チャンスは彼女が車に乗り込もうとしているこの隙にしかないと、マンションの門の外を目掛けて自分の自転車を必死に漕ぐ。


(見つかりませんように……)


 皮肉にも警官の車の頭が門に向けて停車していたので自転車で前方を駆け抜ける恭子の姿が彼女の目に映らない訳もなかった。


「あ……見つけた!!」


 女性警官は慌ててキーを差し込み思い切りアクセルを踏む。


 車内で無線のやり取りをしていると思い込んでいた恭子は警官の車が発進したのを察知して最悪のタイミングで飛び出してしまったことを悟る。


「このままじゃ……捕まってしまうっ!!」


 その時だった。


「恭子ちゃん!はよ乗り!」


「なっちゃんさん!!」


 マンションを出てすぐの交差点の対向車線で車の中から叫ぶ夏海の大声に気づいた恭子はその場に自転車を乗り捨てて、こちらの車線から向かってくる警官の車を突っ切って夏海の車まで走った。


「ぎゃあッ!!危ないッ!!」


 あわや大惨事に事態だったが、女性警官が自分の前を急に横切る恭子に気づいて慌ててキキィーとタイヤを鳴らしフルブレーキをかけたおかげで交差する時に恭子の服の袖に霞めた程度に収まった。


「何なのよっ!何なのよっ、もうっ!!」


 しかし、これですぐに捕まえられると思った彼女はそのままハザードランプをつけ車を降りる。これが今度は先ほどの恭子の判断ミスとは逆に彼女の仇となった。


「急ぎやっ!!」


 運転席から蹴飛して助手席のドアを開け放っていた夏海の車に飛び込む恭子。


「なっちゃんさんっ!!おじさんがっ、おじさんがっっ!!」


「ああ、直樹さんから聞いてんでっ、ほんまけったくそ悪いことになったやんけ。でも、恭子ちゃんを吉沢のアネさんとこに連れて行けばなんとかなるかもしれんて言うてたから、大丈夫やきっと!」


「はいっ、お願いします!」


「飛ばすで!しっかりシートベルト締めときっ」


 自分がすぐに捕まえられるはずの女子高生が車に乗り込んで去って行く姿を見た女性警官は一瞬何が起きたのか理解できず呆然と立ち尽くす。


「何なのよ……本当っに一体なんだってのよっ!!」


 普通なら全てを諦めて上司なりに報告するところなのだが、彼女は去って行く車のナンバープレートが黄色なのを確認すると、追いつくチャンスは五分以上だと確信して慌てて自分の車に戻って行った。




「なっちゃんさん……また、またっ、おじさんが私のせいでっ……」


 少し車を走らせた車内でフルフルと震えている恭子の姿に気づく夏海。


「こんなことが何べんもあったらそら自分のせいかと思ってまうわなあ。ウチかてあんときはエライこと自分を責めたなあ―――いや、あれは正真正銘に自分の所為やったから違うか」


「”また”って、前の時のことは渡辺さんが過労で倒れたヤツやったっけ?恭子ちゃん逃げてしもて、あのちっこい友達に捕まってデコに一発かまされたんやろ?ウチもやったろか?ウチのデコは石よりも固いで?」


 恭子は懺悔のように無意識に喋っていたようで、夏海の言葉にハッと我に返って彼女の方を向く。


「ハハッ。やっとこっち見たな。恭子ちゃんと渡辺さんはお互いにとってただの同居人ちゃうやろ?家族みたいなもんやないか、いや家族や!ウチかて渡辺さんから紹介してもらって、恭子ちゃんのことを頼まれた時から―――頼まれたのなんか関係ないわ、ホンマにアンタのことを妹みたいに思てる」


「ウチも家族や!渡辺さんも家族やろ!家族に迷惑とか自分のせいでとか思うとったらホンマのホンマにあかんで!失礼とかそんなんやなくて家族に対する冒涜やで!」


「な……なっちゃんさんっ」


 夏海はハンドルを握る反対の手でゆっくりと恭子の頭を撫でた。


「わかってる、理屈やないんやろ。自分のことなんか比べもんにならんくらい渡辺さんのことが心配なんやろ?それを表現するすべを知らんだけなんやな」


「私っ、私っ、おじさんが今も手錠に繋がれて怖い目にあっていると思うと、恐ろしくて心がどうかなっちゃいそうなんですっ!!」


 それは植松の家で絶望を味わった恭子ならではの実感だったのかもしれない。


「だから助けに行くんやんか。助けに行くんやったらまずは気持ちで負けたらあかん!気持ちで負けとったら勝てるもんも勝てへん!気持ちで勝つにはな……自分のせいでとか思わずに、渡辺さんを助けて貸しのひとつでも作ってやるくらいの気持ちでいかんとっ!」


 恭子は今にも溢れ出ようとする涙をグッと堪えた。


「私……さっき私のことを妹みたいって言ってくれましたけど、ひとりっ子だった私にもお姉ちゃんがいたら絶対こんな人なんだろうなってずっと思ってたんです」


「ホンマかっ!?そら嬉しいわっ、せやけどその割にはアンタずっとよそよそしい呼び方を続けているやん」


「…………なっちゃん、私……絶対におじさんを私の元に取り返しますっ!!」


「よう言うた!その気負いやでっ!!」



 彼女たちの気分の高揚とは裏腹に夏海がふとバックミラーをみると恭子を追っていた警官の車が猛スピードで追ってくる姿が見える。


「やっぱ軽じゃあかんか……。一台目やからぶつけてもええように練習用と思うて買ったんやけど、直樹さんが言うようにスポーツカー買うたらよかったな」


 夏海はそう言いながら大通りから細い道へ進路を変えて停車する。


「恭子ちゃんや、ここからはもうそんなに遠くないはずや……お屋敷までは走って行き」


「はいっ!」


「絶対に後ろを振り返っちゃあかんで、お姉ちゃんとの約束やっ!!」


 恭子はコクリと頷くと助手席から外へ降りて、姫紀のいる屋敷の方へと全力で駆けていった。


「……ほんまに頑張りや!」


 彼女が走って行ったのをミラーで確認した夏海は細い道を塞ぐようにして車を横に向けたのちに凄い剣幕で車を降りた。


「こっからはウチのハッタリがどこまで通用するかやな」


 そして夏海が車で道を塞いでしまったため、同様に車を降りるしかなかった私服の女性警官と対峙し、口八丁で時間稼ぎを試みていた。



「この借金取りがっ!親の借金で女子高生を追いかけるなんてこのウチが警察に突き出したるさかいに覚悟しいやっ!!」

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