総力戦

第2話「吉沢姫紀」


 それは余りにも唐突だった。


 「……ど、どういうこと!何でそんな急に……」


 「わ、私も今しがた恭子さま付きのSPから情報を得たばかりでして詳しいことは何も……」


 血相を変えて姫紀の執務室に飛び込んで来た秘書の樋本だったが、その報を受けた姫紀自身の顔色は更に深刻。


「馬鹿な……バカな、そんなばかな……渡辺さんが逮捕されるなんてっ。それもあの子の誘拐と監禁だなんて、そんな馬鹿な話があってたまるもんですか!」


 姫紀は自分の顔を覆っていた両方の手の平を握りしめて机上の書類が飛び散るほどの力で強く机を叩いた。


「旧体制派の者が植松と接触していた情報は既に上がっておりました。恐らく奴を操り被害届を出させたものと推測しますが」


「植松からはあの子の、恭ちゃんの自由を保障する覚書を書かせているわ!そのために奴の言い値をそのまま支払ったのですから!」


「事業の悪化がそれを上回ったのでしょう。窮地に陥った彼奴ならば形振り構わず渡辺氏ごと恭子さまを売り払ったとしても不思議ではありません。それらも推測でしかありませんが、唯一確実なのはこれが旧体制派が恭子さまを手に入れるために渡辺氏から切り離す目論見だということです」


「そして、反体制派の人間は警察関係者にも存在しているということです」


「そうよ、そう。そんなことはわかっている……わかっているのよ」


 姫紀は今だからこそ冷静にならねばと深く息をつく。


「渡辺さんは連行されたとして、恭ちゃんは一体どこにいるの?」


「5分前のSPからの情報ですと、女性警官一人と共にまだマンションの中にいるそうです」


 パニックになりながらも純一を助けるべく足掻き藻掻いて女性警官と押し合いになっている恭子の姿が姫紀には手に取るようにわかった。


 ただ、それを想像するだけで自分の心が壊れてしまいそうになるくらい不安と恐怖が押し寄せてくるのも同時に実感する。


「今すぐSPを突入させなさい!少なくとも相手が”本当に”警察なのか証明させる間だけでも時間稼ぎになるわ」


「それが、この報をあとすぐに任にあたっていたSPは旧体制派の者に全員取り押さえられまして、今は連絡も取れない状態です」


 なんてこった。


 言葉を発せずとも姫紀の表情からはそれを伺える。


 姫紀の顔色が恐怖と不安が絶望に変わるその刹那―――


 ピロリン


 『姫紀おねえちゃん!おじさんがけいさつの人につれていかれて』


 「恭ちゃん!!」


 画面に恭子からのメッセージが姫紀の目に映ると、彼女は飛びつくようにして叫びながら机の上にあったスマホを両手で掴んだ。


 『恭ちゃん!話は聞いているわ、まずは落ち着いて。恭ちゃんは今どこにいるの?』


 落ち着いてと自分に言い聞かせるように姫紀は返信のメッセージを打つ。


『いまマンションのトイレに逃げ込んでいます。私はいちじてきにしせつにほごされるために女の人に連れていかれようとしています』


 恭子からの返信スピードと多くの漢字変換されていない個所を見るとその慌てようがわかる。


 姫紀はトイレに立て籠もって一人震える思いでいる恭子の姿を思い浮かべながら、彼女と純一をいち早く助ける方法を必死に計算していた。


 その間、僅か一分。


『恭ちゃん、よく聞いて』


『渡辺さんを警察から助ける方法がひとつだけあるわ』


『本当ですか!?私なんだってします!おじさんをたすけるためならなんだってします!おしえてください!』


『そのためには恭ちゃんが自由の身であることが絶対なの。貴女は警察にとって単に保護対象なのだから必要以上の拘束はされないはずよ。どんな方法を使ってもいいから今から私のいる吉沢の屋敷に来なさい』


『そしたら渡辺さんを助けられる方法を教えてあげる』


 姫紀がこのような少し突き放す文章を打ったのは彼女が恭子の『純一を助けたいと思う気持ちと行動力』を信じてのことだった。


『行きます!絶対に行きます!』


 その後の通信はピタリと止まる。応援の言葉も慰めの言葉も今は余計なことだとお互いに理解していた。



「姫紀さま、一体どんな方法が……」


 弁護士に依頼して早期の保釈を計算していた樋本は恭子を使って純一を助ける方法なんて思いも寄らずそう呟くと、姫紀はゆっくりとデスクの2番目の引き出しを開けて一枚の紙を取り出す。


「それは?婚姻届けですか……まさか!?」

 

 片方だけ純一の名前だけが記された婚姻届けの用紙を見て樋本が閃く。


「この町は警察もなにもかもが吉沢とズブズブだわ。血の繋がりを持たない渡辺さんと恭ちゃんの関係なんてどうとでも改ざんされる」


「でも、一度でも本当の”家族”になってしまえばそれを覆すことは何人たりともできないわ!まだ女子は16で結婚できる、法改正がされる前だからこそ叶う奇跡の一手なのよ」


「しかし、彼女は法的に認められるとしても未成年は保護者の同意が必要なはずですが……」


「それは偽造するしかないわ。でも少なくとも偽造かどうか判明するまでは家族になれるはずだわ。樋本、今すぐ結婚同意書の書式と用紙を調べなさい!」


 樋本は姫紀に指示される前に既にタブレットを開き検索を始めていた素早いスクロールの指が徐々にゆっくりなっていき、それと共に彼の目が大きく見開かれる。


「あ、あの……その、同意書は書式も用紙も文面も決まった形式はなく、同意ととれる内容であればなんでも良いそうです。チラシの裏紙でもOKだそうで……」


 樋本も未成年で結婚するといった経験はなく、それらの人と関わることもなかったので同意書に何も形式がないといったある意味いい加減な事実に驚きを隠せないかった。


 そして、それは姫紀とて例外ではなく―――


「え?それって……」


 彼女は婚姻届けが入っていた引き出しに手を入れもう一枚の紙を取り出す。


『私は神海恭子の後見人として彼女の意志と行動を尊重し一切の口を挟まず、無条件でそれを認めることとする。植松好子』


 それは姫紀が植松に融資する代わりとして書かせた、今後の恭子の人生に邪魔立てさせない覚書だった。


「よく見て樋本、この文面が”結婚の同意”ともとれる内容じゃない!?」


「は、はい!結婚の同意と解釈できます!」


 自信を持って恭子に純一が絶対助かる方法と言っていたものの、偽造ありきで上手くいくかどうかギリギリの状態だった姫紀に大きな希望が芽生えた。


「この婚姻届けは渡辺さんの直筆の物、同意書も植松の直筆、後は恭ちゃんが自分の名前を書けば……なんの問題もない婚姻届けになるわ!」


「では……」


「ええ、絶対に渡辺さんを助けて見せる。恭ちゃんがここに来るのを信じる。渡辺さんと恭ちゃんを救う手を全て打つ!―――そして吉沢を跡形もなくぶち壊す」


「例の計画を実行するのですね」


 樋本の言葉に姫紀はコクリと頷いた。


「民放は吉沢の介入があるので期待できない。だから存在する全てのネット局に発信しなさい。吉沢のトップである私が直々に緊急記者会見を行うと!」


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