第1話「幸福の再来と悪夢の始まり」


 一応九州から帰って来た土曜日は会社に顔を出していないけれど出勤扱いにしてくれる。翌日の日曜日と合わせたら実質連休みたいなものなので昨晩は実に優雅なものだった。


 会長から本社帰還指示の電話があったときに、吉沢旧体制派とのいざこざとかぶっちゃけ自分の仕事とは全く関係ないおっかないことを言われたので休み明けの出勤のことを考えるとそう呑気にも構えていられないのだが、昨日の夕飯後に恭子とお喋りしたり、出張中にメッセージアプリでやってたゲームの続きをしたりしているうちにそんな悲観的な気分はどこへやら。


 恭子も土日は休みなのでどっちが先に眠気に負けるか~みたいな勝負になってて、他人から見たらただのアホに違いない。


 でもいいのさ、本日は休みなのでいつまででも寝てて構わないのだ。


 構わないはずなのだが、夢なのか寝ているはずの自分に妙な視線を感じてハッと覚醒してしまう。


 朝、起きたら目の前に恭子の顏がドアップで映されていた。


「あー、起きちゃいましたね」


「あ?ああ、ん、おはよう?恭子」


 何かよくわからないけれど、自分の両手に顔を乗っけて俺を見ている恭子へ朝の挨拶をした。


「朝ごはんが下ごしらえが終わったので、おじさんが起きるまで寝顔を見に来たんですけど……残念です。すぐに起きてしまいました」


「うん、まあ、起きちゃったなあ」


「いいですよ。まだ寝てても」


「いや、寝れねえから」


「じゃあ、朝ご飯食べますか?」


「え、ああ、そうだな……うん、食べようかな」


 すると恭子は、ちょっと残念そうにする感じもするがどこか嬉しそうな感じでもあるような、そんな気まぐれの猫みたいにパタパタと俺の寝室から出て行く。


 なんだかなぁ……


 俺もそのムズ痒い気持ちを頭を掻いてごまかしながら恭子の後へ続いて寝室を後にした。


 

「ちょっと待て、恭子」


 洗面を終えてからリビングへ行くとそこには突っ込まずにいられない光景があった。


「はい、何ですか?おじさん」


「昨日の晩飯も凄い量だったよな?」


「そうですね。食べ過ぎたら駄目ですよ、おじさん。また会社の健康診断で引っかかったら大変ですので」


 料理をつくった恭子が駄目ですよって何かおかしくねえか。


「……それで朝もこれか」


 俺がそう指摘すると、恭子は自分が並べた皿を一通り眺めては下手くそなリアクションを取っていた。

 

「あっ、大変です。どう見ても二人分の朝ご飯の量じゃないですねっ!」


「驚きようがわざとらし過ぎるぞ、恭子」


「だって、だって仕方が無いじゃないですか、昨日までおじさんの居ない食卓でご飯を作って食べていたんですから……きっとその反動です」


 つまらなかったと言いたいのか、寂しかったと言いたいのか、頬を少しプクッと膨らませて抗議をする恭子。


「文句があるならおじさんは残していいです、私が全部食べますからっ」


「太るぞ、豚になっちゃうぞ、それこそまんま猪八戒だ」


「オイラの饅頭はどこにいったんでーい!ですねっ」


 猪八戒という名前にピンときた恭子は幼稚園の時のお遊戯会のように、ポーズも一緒に合わせてラストの台詞を披露してくれた。


 恥ずかし気もなくやっちゃうところが恭子らしいと言えば恭子らしいのだが、塞ぎ込んでいた時から復活するまでに至る恭子を最近まで見て来たので、懐かしさと新鮮味が変にミックスしたような複雑な想いに胸が打たれる。


「恭子は勉強ばっかりだから、めっちゃ食べた分は運動すればいいんだよ」


 俺が何気なくそういったのだが、思いの外恭子の喰い付きが良かった。


「おじさんも一緒に運動しましょう!運動です、運動!毎朝ジョギングなんかもいいですよねっ!そうです、食べた分は運動すればいいんですよ、おじさんが!」


 完全にやっちまった。


 デスマーチの時やそれ以降も仕事が大変だったこともあってか、食べ過ぎを嫌う恭子も運動までやれとは言わなかったが、今回は完全に墓穴を掘ってしまった。


「ちょっ……ちょっと、まあ、俺の事はおいといてさ。恭子は部活とかやってないんだし、でもダンスめっちゃ上手なんだからさ、これを機会にプロのレッスンとか受けてみたらどうだ?」


 俺は会心の提案だと思ったんだが、恭子の反応は期待とは逆にちょっと『はあ?』みたいな呆れ顔を見せていた。


「私が学校の後にそんなことしていたら、おじさんのお世話は一体誰がするんですか?」


「おまっ、お世話て……俺は恭子がここに来るまで一人で生活してたんだぞ。介護を必要としているみたいに言うな」


「その割にはマメに掃除している形跡もありませんでしたし、食器も調理器具もあんまり使われていた感じがしませんでしたけどっ」


「別にゴミ屋敷だったわけじゃねえし、外食産業だって誰かが支えなきゃいけないわけだし、俺なんて独身男の代表選手として表彰されてもいいくらい見本だよ」


「威張って自慢するようなことじゃありませんからっ!おじさんには私がついてなきゃダメなんですっ」


 腰に手を当てて上半身を前のめりにする恭子は、如何にも今までは我慢して言わなかったけど今回ばかりは言わせてもらいますと言わんばかりに言葉が続く。


 あっ、これは終わらないヤツだ。


「そもそもおじさんは無駄な買い物ばかりしますし、金銭感覚はおかしいですし、思い付きだけで―――――」


 思い付きだけでの後には多分、半年くらい前に恭子の為を思ってネットでポチッた二十万の冷蔵庫のくだりが入るんだろうなと思っていたら、奇跡的に玄関のチャイムの音が俺を救ってくれた。


「おじさん、話は終わってませんからちょっと待っててくださいね」


 恭子は忘れずに俺へちゃんと釘をさしてから、恐らくはとっちゃんだと思われる救世主の元へと歩いて行った。


 ナイス、とっちゃん!



 しかし玄関先から聞こえてきた恭子の悲鳴を発端にして、幸福に包まれていた世界は一変してしまう。


 それはこの俺の人生の中で一番長い一日の始まりでもあり、悪夢の始まりでもあった。


「きゃあっ、だ、誰ですかっ!?」


「どうした恭子っ!!」


 叩きつけるように置いたカップから飲みかけのコーヒーが波打って零れる。


 俺が恭子のところへ駆けつけようと慌てて椅子から立ち上がると、リビングのドアから背広を着た複数の男が姿を見せた。


「渡辺純一だな?大人しくしろ警察だ。お前を未成年略取誘拐に容疑で逮捕する」


 直後に俺は両脇から刑事らしき男たちに抑えられ、手錠を掛けられる。


「おじさんっ、おじさんっ、おじさんっ!おじさんに乱暴をしないでっ!おじさんを離してくださいっ!」


 恭子が切迫した声で必死に抵抗してくれるも、あっと言う間にその中の一人の女性が背中から恭子を押さえつけてしまう。


「貴女も静かにしなさい。後で施設で保護してもらうため連れていくから」


 略取誘拐?なんだよそれ。恭子を誘拐したって言いたいのか。一緒に暮らし始めたのは一年も前のことだし、それに昨日までは別々だったはずだ。


 そもそも形式上の保護者である植松の叔母にはキッチリ話はつけてあるし、姫ちゃんからも念押ししていると確かに言っていた。


「こんなの、何かの間違いだから……何も心配するな恭子」


 俺を離せと延々に叫び続ける恭子へ、俺はこんな言葉をかけてやるのがやっとだった。



 何かの間違いだ。間違いに決まっている。



「おじさんを離してッ!離してッ!お願い、離してッ!お願い、お願いです、私は誘拐なんてされていませんっ!お願いですから、おじさんを離してくださいっ!!」

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