最終章

独身男の会社員(32歳)が女子高生と家族になるに至る長い経緯

プロローグ「居るべき場所に帰って来た俺と、恭子の最終形態」


「お昼を兼ねてですので、ちょっと多いかもですけど大丈夫ですよね?おじさん」


 ブランチって言うのだろうか、恭子は俺と共に空港からマンションへと帰って来たと思うとすぐに早めの昼食の準備に取り掛かっていた。


 ちなみに俺を車で迎えに来てここまで送ってくれた直樹はマンションの駐車場で俺たちを降ろすと、『土産もあるからちょっと寄ってけや』と言う俺に対し『休み明けに職場にでも持ってきてください。俺はそこまで空気が読めない野暮じゃないんで』と俺の機内疲れを気にしてくれたのか、そのまま颯爽と去っていった。


 駐車場に置いてあった愛車のゲンちゃんも定期的な恭子の洗車のおかげか塗装のパールホワイトがピカピカと日の光を反射しており、如何にも元気一杯という感じだ。


 そして同じくこれでもかというくらいに掃除されていた我が家に入ると、ようやく帰って来た実感が湧く。


 そんな感慨深さに浸りながらも、料理が出来上がるまでの手持ちぶたさに堪えられなくなった俺はキッチンにお邪魔してチラッと恭子の姿を拝見する。


 これはヤバい。


 既にちょっと多いとかいうレベルではない。皿に盛り付けられていく量を見るとちょっとしたパーティーの準備でもしているのかと勘違いしてしまいそうだ。


 流石に忠告しようかと恭子の背中に近づく俺だったが、ふいに悪戯心が芽生えてしまった。


 俺はそっと恭子の肩をポンポンと叩く。


「きゃっ……もうっ、何ですか?おじさん―――」


 ぷに。


 振り返ろうとした恭子の頬っぺたが俺の指先に埋まる。


「あんっ」


 恭子の桃色チックな声に俺はゾクゾクとした何かいけない快感を背中に感じてしまうが、その拍子にガシャンとまな板をバウンドしてステンレスの流し台へと包丁を落下させた恭子は上目で覗き込むように俺を睨んでいた。


 めっちゃ怒られた。


「すまん、本当にすまん。退散してリビングで大人しくしてるよ……」


 しかし、俺が謝ると『もうっ』と深いため息をついて呆れながら許してくれる恭子も負けてはいなかった。


 リビングの方へ振り返った直後、俺の背中に指先でツンとされるような感触。


 そして、再び恭子の方へ振り返ると―――


 ぶに。


 今度は俺の頬が恭子の指先に埋もれてしまった。肩ポンからの頬プニならまだしも、背中ツンからのソレは卑怯だと思う。


「今は包丁を持っていないから良いんです。お返しですっ」


 そして、とうの前から潤いなんて失ってしまっている俺の頬をブニブニと指で摘まみながら恭子は悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


 なるほど、包丁を持っていなければ良いんだな。


 更にお返しと、俺は恭子の脇腹を鷲掴みして揉みしだく。


「はぅん」


 おっとこれは駄目な声だ。イケないやつだ。俺は即座に手を離すも、頬を少し赤らめてまるでプンスカという擬音が聞こえてくるような表情をした恭子がズイズイと俺へ競り寄って、結果揉みクシャになってしまった。


 お互いハァハァと息を切らせる俺たちが休戦できたのは、何やら焦げた匂いに気がついた恭子がキッチンに気がついたからだ。


「あっ、フライパンっ」


 この消し炭と化したベーコンエッグは一体どちらの責任になるのだろう。


「おじさんのせいです、おじさんのせいです、おじさんのせいです。先に手を出したのはおじさんなんですからねっ」


 べえ、と小さな舌を出して免責をアピールする恭子。



 ……ああ、そうだった。


 師匠の家にいた恭子は、まさにこんな感じの女の子だった。


 先週、九州に来てくれた恭子は緊張してたのかこんな雰囲気を感じなかったが、今の恭子は全然違う。


 三ヶ月前と全然違って、柔らかくも鮮やかな師匠たちが生きていたあの頃に限りなく近い空気感がそこにあった。


 

 ツウと俺の頬へ流れていく一粒の涙。あの頃の恭子がようやく戻って来たんだと思うと嬉しい筈なのに不覚にも口端が下がってしまう。


「な、泣いたって私は謝りませんっ!……あれっ?えっ、えっと……ごめんなさいおじさん、さっきどこかを痛めたんですかっ?見せてくださいっ!」

 

 強気だった恭子も一瞬のうちに不安な顔を見せる。


「五月蠅いバーカ、バーカ。大人の俺が泣く筈ないだろう!ちょっと目に入った汗が染みただけだっ!恭子のバーカ」


 かつての恭子が俺の記憶の中でフラッシュバックする。悪ふざけた俺がこのように恭子をからかうと、何回も騙されてくれるコイツは終いにいつも決まってこう言うんだ。


「おじさんっ!嘘泣きなんて卑怯者のすることですっ!おじさんは卑怯っ子ですっ!」



 これじゃあ、あべこべになっちまうかも知れないけれど、

 

 ようやく居るべき場所へと帰って来た俺が、元気一杯に迎えてくれた恭子に向かって小さく呟いた。



「お帰り恭子」


 

 それは師匠たちが亡くなってから数えて、およそ一年半振りの再会だった。

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