第3話「神海恭子」
恭子はトイレの中でマナーモードのスマホを握りしめ純一のことを思い浮かべながら焦る気持ちを必死に抑えていた。
「早くしなさい。いつまで待たせるつもり?私の業務は貴女のお守りじゃないのよ」
若干イライラしながらトイレのドア越しに言葉を放つこの女性警官は、先ほど純一を連行して既にマンションを後にした先輩警官らとは違い、本格的に捜査チームとしては参加しておらずただ恭子の保護役として呼ばれたに過ぎなかった。
誰にでもできる雑務という認識が彼女のプライドを傷つけているのだろう。更には略取誘拐及び監禁と聞いていたのが、いざマンションに突入してみたら恭子の純一への庇い様に、よくある『家出娘と社会人男性の不適切な関係』程度であって、法的には被害者であっても彼女自身には加害者の片割れにしか見えていない。
いや、むしろ手錠まで掛けられて連行された純一を『家出娘に同情して自分のマンションに居場所を与えてあげた世間知らずの優男』と認識して憐れんでしまったかもしれない。
比較的若い女性警官の非難の目は逆に恭子の方に向けられていた。
「どう見ても無理やりだったとは思えないわ。貴女がこのマンションにいることでここのサラリーマンがどうなるかなんて、全くわからなかったわけではないでしょう?もし貴女が望んでここにいたならば貴女は逮捕歴もない人に地位も名誉も失わせて一生消えない傷を負わせたことになるわね」
トイレのドア付近に置いてある花瓶を指でカツカツと鳴らしながら女性警官はドア越しの恭子にそう呟く。
「……私がおじさんを」
「そうよ。直接かSNSを通じてか、貴女から声を掛けたのか、向こうから声を掛けられたのかは私は知らないけれど、社会的には貴女は被害者であっちは加害者。これから貴女は一時的な保護を解除されたら元の生活に戻るだけだけど、あちらさんはどう足掻いてもこれから失うものを再び取り戻すことはできないわ」
恭子はトイレの中で淡々と述べられる女性警官の言葉によって絶望に染められていく。
「私が、私の所為でおじさんが……」
呻きに似た恭子の言葉を聞いた女性警官は『これは全く周りが見ていない本当に無知で馬鹿なJKだ』と呆れてしまう。
「どうせ些細な理由で家出をしたんでしょう。今更後悔してあのサラリーマンに悪いことをしたと思っても手遅れよ」
「私が、私の所為で……私がいなければ……」
恭子の心が灰色に沈みゆく中で一瞬だけ都華子の言葉が頭に過る。
『―――オジサマの行動を自分の所為だなんて、あんたが勝手に決めつけんな!』
純一が過労で倒れて恭子が逃げ出したあの日、親友から頭突きと共に放たれた言葉。
恭子が額に手を当てると今でも彼女から受けた衝撃が記憶によって呼び覚まされた。
そして駅から親友と共に自転車を二人乗りで必死に漕いで踊り狂う純一を止めるべく走ったこと。
「そうです……悩むのも後悔するのも絶望に浸るのも後でいくらでもできます。今はあの時のように私だけがおじさんを助けられるのだからっ!」
(行かないとっ、早く姫紀お姉ちゃんのところにっ!!)
トイレの中からカチャリと鍵が開く音が響く。
「ようやく?呆れるほど長いトイレだったわね―――きゃあッ!」
その時だった。もの凄い勢いでトイレのドアが開かれ、その反動によって女性警官が怯んだ隙に恭子は玄関の外へと全力で駆けて行った。
そしてマンションの通路に出た恭子は走りながらエレベーターのボタンを押すも下の階層から上がって来るランプを見ては待っては居られないと非常階段へとそのまま突っ切る。
結果的にそれが功を成したのかも知れない。
息を切らせながら遅れてやってきた女性警官がエレベーターのドアが閉まる切る瞬間を見てその中に乗っているものだと思い込んでボタンを押すが既にエレベーターは下へと降りていきもどかしくもそのボタンを連打していた。
「何よ!何なのよコレっ!無防備なJK一人保護できず逃げられてしまうなんて、野郎警官連中やお局に何言われるかわかったもんじゃないわよっ、バカッ!」
彼女の焦りとは裏腹に再び上がって来たエレベーターに乗ってマンションの外に出た時にはもう恭子の姿は何処にも見えなかった。
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