第7話「急転。俺は恭子の何を見ていたというのだろう」

 今は8月初旬、暑さも本格的に猛威を振るい始めている今日この頃。我が家はやんごとなき事態に陥っている。


「オジサマ、どしたー?難しい顔しちゃって」


 そりゃ、難しい顔にもなるさ。


「お箸も余り進んでないようですし、もしかして体調でも……」


 恭子よ、心配は嬉しいが体調は別に悪くない。


「そうですよ。余り眉間に皺を寄せると小皺が増えてしまいますよ、渡辺さん」


 何故か増えてる。今まで対面が埋まるだけだった食卓が四方向全て埋められていた。


 とっちゃんは兎も角としても、姫ちゃんまで何故ウチで飯を食ってんだ。


 とりあえず担任の教師につっこんでみた。


「いや、コンビニでお弁当を買おうとしていましたら、神海さんが是非にと」


 うん。それは昨日の話で、しっかり食って帰ったじゃん。


「意外と細かいですね。解りました!それでは御夕飯の対価としまして、これからは1膳に対し1揉みでいかがかしら?」


 えっ?揉んでいいのソレ?と、俺は1点を凝視する。


「肩を」


 姫ちゃんはそう言うと食卓をバンバン叩きながら「エロいわ、エロいわコイツ!」と、豪快に笑い出した。


 何故俺が飯まで食わせた上に肩まで揉まにゃいかん。どんだけ奉仕させるつもりなんだ。


 っつーか、完全に出来上がっている。そんな姫ちゃんの姿をみて俺は重大な事に気付く。


「あっ、俺の最後の柚子コマ!もう空っぽじゃねえか!」


 ああ、1瓶二千円近くするとっておきの俺の果実酒が。


 無念である。


「おじさん、すいません。私、すぐ買ってきますから!」


 そして何故か、恭子が謝る。


 恭子よ、不可能だ。柚子コマは遠くのコンビニしか売っていないし、それに―――


「無理よ、ムリ。高校生がお酒を買える筈無いじゃない。渡辺さん、諦めなさいな」


 そう言うと姫ちゃんはまた食卓を小突きながら笑い出す。


 なんだこのティーチャーは?


「ま、まぁ。柚子コマは別にいいとして。吉沢先生、若い女の子がいる所であまり下ネタというか、そういった冗談は……」


「何を言っているの渡辺さん。きょうびの若い子は進んでいるんです。恭子さんだって色々な男子と神聖なる教室や屋上、校舎裏、そして保健室、新たな刺激を求めて色んな事シちゃってるんですよ」


 だ、誰かこの先生を止めてくれ。そう思いつつも本当の事だったりしないよな?と不安になる。


「はい?私が何をですか?」


 恭子が少し首を傾げる。よかった理解していない様子だ。


「そりゃあ、貴方。何って、セッ―――イタイ、イタイわ、相葉さん」


 よかった。とっちゃんは救世主だ。


 とっちゃんはポカポカと先生を叩き「私だってまだキョウをイジれてないのに」と、ちょっとズレた事をブツブツ言い出した。


 確かに恭子はイジられ屋といしては最高の資質を持つも、天然の性格とふんわりとしたオーラが相まってなかなかイジれない。そんなイジリー共にとってはもどかしくも至高の存在といえよう。


 まあ、こんな日常の事など正直どうでもよい。




 昨日自宅に一本の電話が掛かってきた。相手は今でも形式上では保護者になっている恭子の叔母。


 偶然に受話器を俺が取れた事がせめてもの救い。


 恭子に聞かれたくない話であったので、明日会社から折り返し電話すると言って一旦電話を切り、今日改めて職場で詳しい話を聞いた。


 内容はこうだ、師匠が無くなってから売りに出していた家に買い手がついたので、家から必要なものを運び出して欲しいとの事。




 飯を食い終わったとっちゃんと姫ちゃんがウチから帰った後、俺は意を決してその事を恭子に伝える。


「恭子、昨日叔母さんから電話があったんだが、師匠たちの……恭子の住んでいた家が売れたらしい」


「―――そうですか、もう売れたんですね」


 洗い物をしていた恭子は振り向いて、寂しそうな顔をみせる。


「最後に一目見ておくか?」


「いえ、見てしまうと多分、きっと―――」


 泣いてしまうから、か。


 俺はそんな恭子の顔をみて決断する。恭子の家の物は―――こいつの思い出の詰まった物は、全て俺が運び出す。


 そして、恭子が完全に元の自分を取り戻した時に返してやるんだ。


「恭子、誕生日でっかいケーキ買ってくるから2人で食おうな」


 俺がそう言うと、寂しそうな顔をしていた恭子が静かに瞳を閉じる。


「はい、楽しみにしています」


 微笑んだ。




 そして日曜日、恭子には仕事があると言って俺は家を出た。


 もちろん師匠宅にある物の運び込みだ。既に貸し倉庫の契約は済ませてあるので、レンタカー屋で4tトラックを借りてそこへ運び込む。


 人手としては直樹に「今度何か奢るから」と頼み込んだが、事情を話したら「ナベさんの頼みは恭子ちゃんの頼み、礼などいらんわ!」と、真顔で承諾してくれた。


 こいつは本気で恭子のことが好きなんじゃねえだろうな。


 高速をすっ飛ばす事2時間、師匠宅へと到着する。


 そして、一足先に来ていた恭子の叔母と対面。


「意外と早かったのね」


 この人は今もあの時の電話でも恭子のことは一切聞いてこない。


 普通ならどういう生活をしているか、少しは気になるはずなのに。


「いえ、直ぐに運び込みますので」


「ええ、そうしてもらいたいわ」


 この人は俺達が持ち帰るもの以外の物の処分でここへ来ている。


 何一つ残すものか。


「直樹、着いて早々悪いが頼むぞ」


「任せてください、若いですから」


 俺はおっさんってか。


 俺たちはサクサクとトラックへ運ぶ。大物は二人で、小物はダンボールにガンガン積め込み、3時間もしない内に大方綺麗に片付いた。




 紆余曲折あれど今までどうにか上手いことやれている実感があった俺だが、この日に急転直下の事実を知ることとなる。




 それは俺たちがトラックの荷台にシートを被せてそれをロープで縛っている最中の事だった。


 3人の女の子がこちらに向かってくる。


「あの、ひょっとして恭子の―――いえ、神海さんのご家族の方ですか?」


 そのうちの1人の女の子が俺に聞いてきた。


「ああ。恭子は今、俺と一緒に暮らしているが……ひょっとして君たちは?」


 すると、もう1人の女の子が前に出る。


「はい、私たちは恭子の友達なんです。ご両親が亡くなってから急に転校が決まって、電話も繋がらなくなって、連絡もとれなくて……」


 胸の前で両手を組み心底心配そうに尋ねてくるその仕草を見ると、その子達にとって恭子はとても大切な存在だったのだろう。


「ああ、大丈夫だ。確かにまだ辛い出来事から完全に立ち直った訳ではないが、最近は笑顔も良く見せるようになったし、すごく元気になったと思う」


 よかった。そう3人の女の子は言い、喜び合う。


「恭子は、まだ踊ってますよね?私たちダンスグループなんですけど、恭子は一番上手で本当に好きだったから。…あの、お帰りになられましたら、是非私たちがまたいつか一緒に踊れたらと恭子に伝えていただけませんか?」


 ?  


 ちょっと待て。俺は何故忘れていたんだ。


 そうだ。小さい頃から恭子のダンスがとても好きだった。


 師匠が親馬鹿のように俺に自慢していた。


 俺の家に来てから恭子はそんな様子を全く見せなかった。好んでやることと言っても、料理や家事くらいしか目立たない。


 何故?あんなに好きだったものをやめてしまったのだ。


 俺の心中に色々な疑念が湧いてくる中で、恐らく俺たちのやり取りを見ていたのか、恭子の叔母が会話に割り込んできた。


「あの子はまだそんな事をしてるのかい?アンタも大変だね。ウチに居ついていた頃も公園で一人で変な踊りをしていたから、私が引っ叩いてやったのに。近所の笑いものだよ」


 叔母の発言に女の子たちは「酷い」、「何故そんなことを」と、悲しそうに口々に言う。中には涙を流す子も居た。


「もう家の荷物は全て運び終えたので、大丈夫です。後は、その、恭子の事は俺に任せてください」


 俺がそう言うと叔母はフンと踵を返して「アンタが全部持っていったから私がここに来た意味がないよ」と、不貞腐れながら家に戻っていった。


 成程、そういう事か。恭子のあの極限状態の中で大好きだったダンスは彼女の唯一の心の支えだったのだろう。


 それを否定された、許されなかった。


 近所の迷惑だと打たれた事が恐らくトラウマになり、自分の中で仕舞い込んでしまったんだ。


 そして、また踊りを始めれば俺にも迷惑が掛かる。いや、追い出されると思っているのかもしれない。


 俺は何か出来るのか?


 違う、何かしなければいけない。


「すまない、君たち。俺は知らなかった。でも、きっと何とかするから少しの間待ってくれ」


 俺は彼女たちにそう言って、恭子の今の携帯番号を教える。


「半年―――、いやその半分でいい。その頃に恭子へ電話してやってくれ。きっとその時には恭子も喜べるようになっているから」


 彼女たちは浮かない顔のままだったが「絶対電話します」と言って帰っていった。


 大丈夫、きっとなんとかなる。


 俺がなんとかするから。




「本当に酷い叔母さんですね。ナベさん本当に恭子ちゃん大丈夫なんですか?叔母さんの話がマジだともう踊りなんて絶対やらないと思うんだけど」


 帰りの高速を走っている車内で直樹が聞いてきた。


 直樹はいつもはチャラいというか限りなく軽い雰囲気で今もはたから見ればそう見えるかもしれないが、内心は正直かなり怒っているだろう。


「一応、考えはある。そこで直樹に聞きたい事があるのだが」


 俺がそう言うと「直樹は何でも協力しますよ、言ってください」と、先を促した。


 そして俺は直樹に自分のしようとしている事を伝えた。


「はははっ、それはいいですね。ナベさんらしい!……うん、いいヤツがあります。後で、今日中にでもナベさんのパソコンに送っておきます。おれも偶然そっち関係に興味があったので知ってるんすよ」


「助かる」


「いえ、恭子ちゃんの事頑張ってください。……今のナベさんあの時のようですね。目というか、気合というか」


 あの時?


「以前、会社でウチのチームがトラブって解散の危機に陥ったときの事ですよ。ナベさんが動き回って飛び回って何とか解決したときの事です」


 4年も前の話じゃねえか。


「菜月がウチの社員になる為頑張りだしたのもそれが切っ掛けらしいですね」


 あいつ、そんな事一言も言ってねえ。


 かっこ悪くて素直に言えないんですよ、とまあ、そんなことを言っているうちに契約している貸し倉庫に到着して荷物を全て収納させた。


「それじゃあ、ウチは近くなんで歩いて帰ります。……ナベさん俺に出来る事があったらなんでも言って下さい」


「その時は、また頼む。今日は本当に助かった」


 俺はレンタカーを返し、自宅へと帰った。




 やってやろうじゃないか。

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