第4話「恭子の心境、そして伏線」


 翌々日の休み明け、月曜の事。


 先々日の土曜日は仮病で会社を休み恭子の三者面談に行ったのだが、今朝になってマジで風邪をひくとは思わなかった。


 朝の挨拶で声のおかしさに気づいた恭子が体温計を持ってきてくれたので測ってみると……、あらあらまぁ、道理で頭がポヤポヤしてるわけだ。


「おじさん!39度もあるじゃないですか、私今日は、学校お休みします!」


 看病してくれるのか。


 涙がちょちょぎ出そうな位嬉しいが、恭子の中では俺が会社を休むのも確定しているのか?


 会社というのはそう簡単に休めるものではないんだけどなぁ。


 恭子は生徒手帳から学校の連絡先を探し出し、電話を掛けようとしている。


 しかし、そうはイカのなんとやらだ。


 仮に俺が会社を休むとしても、今まで高熱が出てもずっと一人でやってきたんだから付き添い看病など必要ない。


 こんなことで、恭子を休ませてなるものか。


「はい、はい、ええ。おじさんが高熱を出してしまいまして。……はい、すいません。それではよろしくお願いします。吉沢せん――」


 最後まで言いかけたところで俺は電話を奪い取る。


「せんせぇ!自分は大丈夫ですけぇ、恭子には出頭させますけぇ!」


『ええ?渡辺さん、何を?ご体調が宜しくなければご無理を……』


 俺は熱が出ると変にテンションが上がるらしい。


「いーえ、姫ちゃん先生!必ず出頭させますけぇ!是非とも恭子の内申書には花マルを!是非とも花マルを!」


 そう言ったところで「何変なこと言ってるんですか」と恭子に電話を奪い返された。


 しかし、その直前『姫ちゃんってなによ。本当に花マルつけてやろうかしら』との呟きが電話先からしっかり聞こえた。


 おお、先生の意外な反応。そしてとっちゃんのミッション完遂!実に満足である。


「すみません、先生。……はい、……はい。それでは失礼致します」


「……もう、おじさん。体が良くないんですから無理しないで下さい」


 ちょっとむくれている恭子。同居してから初めてみる表情に少し嬉しくなる。


「それで、先生は?」


「はい。好きにして良いと言って下さいましたので、今日はお休みしようかと」


 却下。


「恭子、駄目だ。学校へ行きなさい。……なに、大丈夫だよ。あんな冗談も言えるくらいだから平気、平気」


 正直言うと体は結構きつい。それでも心配掛けまいと陽気に話しかけるが、恭子は納得しかねている。


「でもですね。39度も熱があればきっと、後で苦しくなってくると思うんです」


「わかった、じゃあこうしよう、ちょっとでも辛くなったら必ず電話するからその時は帰ってきてくれ。欠席より早退の方がマシだしな」


 そう言うと恭子は少し考えた後「わかりました」と渋々了承してくれた。



「必ず暖かくして寝てくださいね。お粥を作っておきますから食べてください。それとちょっとでも辛くなったら絶対に電話してくださいね」


 その後、お粥の準備と自分の身支度を終えた恭子は「本当に大丈夫ですか?」と俺に何度も問診したのちにようやく学校へ言ってくれた。


 さあ、ここからが勝負。急いで恭子の作ってくれた特性卵粥を掻きこんで買い置きの風邪薬を飲み出社の準備をする。


 御免よ恭子、なかなか連続して仕事を休めないのさ。


 それに今の状態で出社すれば土曜日の病欠に真実味が増す。


 実に都合が良い。




 始業時刻には少し遅れてしまったが、何とか出社する。


「ありゃ、渡辺サン。マジで辛そうじゃないっスか?」


 俺に声を掛けてきたのは、部下の一人である夏海なつみ 菜月 なつき、アルバイトから正社員へのし上った成人を迎えたばかりのパワフル且つ、アクティブな女性社員。


 小柄な容姿ながら積極的な行動と「寝る時間なんて1日3時間くらいで平気」ですという、圧倒的な体力を併せ持った常にモチベーションの高い子だ。


「ああ、熱が下がらなくて。一昨日は迷惑かけたな。……それよりも、直樹はどうした?」


「直樹先輩なら渡辺サンが今日も休むと思って張り切って早朝会議の代理に行ってるっスよ」


 まったく、アイツは俺がいないときに限ってヤル気を出しやがる。


「それじゃあ、渡辺サン。大変かもしんないスけど、頑張ってくださいね」


 そう言い、自分の席に戻ろうとする夏海だが、俺は彼女を引きとめる。


「あっ、待ってくれ夏海。ちょっと頼みたい事があるんだが……今週の日曜日は暇か?」


 えっ、と振り向く彼女は少し考える仕草をする。


「うーん、特に用事は無いっスから、暇ですよ」


 以前から恭子の事で年も近く活発的な彼女に頼みたい事があったのを思い出して、「それじゃあ、悪いんだが」と、彼女にお願いをした。




 その後、戻ってきた直樹に休んでいた分の申し送りを聞いて仕事に取り掛かったのだが、昼になっても体のだるさがとれなかったので昼休みに近くの行き付けの診療所で点滴を打ってもらいようやく復調できた。


 それからの事、仕事中に何度かケータイに恭子から着信があった。


 しかし、どうも出社がばれそうで電話には出ることはなかった。


 寝ていると思ってくれるだろうと楽観視していたのだが、結局帰ったらバレるのだから気は少し重かった。




 そして、ウチの職場はまだ残務が残っていたのだが、19時を越えた辺りで周りの皆が気を使ってくれたこともあり俺は自宅へ返ることにした。


 マンションへ到着した時に入り口で恭子を見かけたので、ちょうど買い物の帰りかなと普通に声を掛けようとしたが……違った。


 待っていたのだ、俺を。


 きっと今までずっと待っていたのだ。


 その時の恭子の顔を俺は当分忘れる事は出来ないだろう。


 怒っている、違う。


 呆れている、違う。


 拗ねている、違う。


 なんとも表現しがたいその表情。


「おじさん、会社に行ってたんですか!あんなに熱があったのにどうしてですか!?」


そして、「何で電話に出てくれなかったんですか?」と捲くし立てられた。

 

 俺は自分の軽率さを改めて実感し、その後色々言われたのをあまり覚えてない。


 ただ謝る事しかできなかった。


 その中ではっきり覚えているのは「そんなに休むのが難しいなら、面談なんて来てくれなくても良かったのに」と言った彼女に何も言い返すことができなかったことだ。


 その後言い過ぎたと思ったのか、部屋に戻った後の打って変わった恭子の気遣いと優しさが俺には余計にキツかった。


 心が痛かった。


 俺は恭子の事をわかっていない。


 何もわかっていなかった。




 その夜、夏海にお願いした事を彼女に言わなければいけなかったが、何も言えぬままにベッドへ潜り込む。


 明日言おう。謝罪と、感謝の言葉と共に。


 そう決めて、俺は深い眠りに―――ピロリン♪




『オジサマ、風邪が治ったらとっちゃんから、割と本気マジめなお説教があります』




俺はスマホカバーをそっと閉じ、深い眠りについた。

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