第2話「とっちゃん襲来」

 二人の生活がスタートしてひと月ほどが経過した。


 多少戸惑う事もあるけれど、何とかそれ程問題なく過ごせている。まあ、恭子の遠慮癖は余り変わらないし、仕事で遅くなるから先に食べていいと言っているのに俺が帰るまで待っているので、もう少し我侭なところを見せてもいいんじゃないかと思う。


 今日も二人の晩飯は9時を過ぎてからだ。ちなみに恭子の料理は凄い、マジで旨い、さすがは師匠の奥さん仕込みといったところだ。

 

 本日のメインは牛肉とアスパラのバター炒め、実に楽しみだ。恭子は準備できましたと最後にトマトスープを運んでくるときに何か言いたそうな顔をしていたのでどうしたのかと聞いてみた。

 

「その、良かったらでいいんですけど。その、学校の友達が明日、遊びに来たいって言ってまして」


 え。彼氏とかじゃないよね?違うよね?


「あの、とっちゃん……都華子とかこちゃんっていう子なんですけど、あの、駄目なら大丈夫ですから」

 

 彼氏じゃなかった!女の子でした。そりゃそうだ。


 っていうか、恭子、口癖のように“大丈夫”って言うけどなにが大丈夫なのかイマイチわからない。

 

「オウ、どんどんつれて来い。そっか、もうそんな友達が出来たのか、よかったな」

 

「はい、とってもいい子なんです。じゃあすいません、お言葉に甘えて明日家に連れてきますね」

 

 俺は何としてでもその子に会わなくてはいけない。どんな友達かはわからないけど。きっとこれからこういう繋がりは必要になるはずだ。




 翌日、会社の昼休み。


 俺は早く上がる為に休憩なしで作業を行っていた。

 

「ナベさん、エライ気合じゃないですか」

 

 こいつは部下の一人である木下きのした 直樹 なおきだ。

 

「今日、早上がりしたいからな」

 

 恭子が友達連れてくるからと直樹に理由を説明する。


「あー、例の同棲中の女子高生」

 

「同棲言うな」

 

「まぁまぁ、JK二人と一緒なんて羨ましいこってすね」

 

「お前なぁ……」

 

 直樹は「わかってますよ、ナベさんの考えそうなことぐらい」と言って飯を食べに行った。

 

 多分、わかっていない。

 



 その後、データチェックの部署から緊急連絡が入ったのは、夕方4時を過ぎたあたり、作業もあと少しで終わりそうな時だった。今週作成したデータ今日中に全て手直し。


 特別残業、特残の要請だった。


 通常残業はどんなに遅くても夜の8時くらいまでであり、特残は下手したら日付が変わるまで残らなくてはいけない。本当にツイてない。

 

「これウチの責任じゃないでしょ。やんなくていいじゃないですか」

 

 確かに直樹の言う通り仕様書のミスでありこの職場の責任ではない。

 

「といっても、手直しが出来る職場はウチしかないだろ」

 

「ですね、じゃあ、ナベさん抜ける分久々に本気を出しますよ」

 

「いやいや、こんな状況じゃ今日は帰らんよ」

 

 仕様が無い。まだ見ぬとっちゃんとやらにはまた来てもらえばいい。

 

「この膨大な作業量だと一人位いてもいなくてもあんま関係ないですよ。帰ってよし」


 直樹が根回ししたのだろうか?それとも俺が昼休みに仕事をするという、今日ははよ帰りたいアピールを察してくれたからなのか?他の連中からも「そうだ、帰れ」と次々に飛んできて、挙句の果てには帰れコールにまで発展した。気持ちは嬉しいが、部下たちからの扱いが酷く思えるのは気のせいではなさそうだ。

 


 

 とりあえず、進捗の連絡だけは頼むと直樹お願いし、予定通り早上がりすることにした。

 

 帰宅途中愛車のゲンちゃんをぶっ飛ばしていたせいか白バイが横付けしてきやがったが、中学の同級生だったので、飲みかけの缶コーヒーをくれてやると、そのまま去っていった。奴に今の嫁さんを紹介してやったのはこの俺だ。

 

 マンションへ帰着できたのは18時を過ぎた頃、さすがにとっちゃんとやらもまだ帰ってないだろうと周囲を見回したら、案の定恭子の自転車の隣に見慣れない自転車が止まっていた。


「ただいまー」

 

「あ、おじさん。今日は早いですね、おかえりなさい」

 

 ぱたぱたと駆け寄ってきた恭子が出迎えてくれた。そして続いて本日の主役であろう、恭子より少し背の低い女の子が姿を見せた。すると恭子は彼女の方に手の平を向ける。

 

「あの、この子が昨日言ってた、友達の――」

 

「始めまして!私、キョウの親友で相葉あいば 都華子 とかこって言います。よろしくです。とっちゃんって呼んでくださいね」

 

 おお!元気だ。すこぶる元気な女の子だ。これは俺も元気に答えねば。

 

「こちらこそよろしく。とっつぁん。渡辺純一です。お兄ちゃんって呼んでくださいね」

 

「オジサマ、とっちゃん!とっつぁんだと、なんかヨレヨレ背広着た警部っぽくてやだなぁ」

 

 この子は実にフランクだ。いいね。


 ってか、お兄ちゃんはスルーかよ!でもこんなやりとりに恭子がちょっと笑ったような気がしてそれがとても嬉しかった。

 

「ムリムリ、もう俺の中でとっつぁんイメージが完全定着しちゃったから」

 

 えー、と抗議の声をだす彼女の仕草に俺は微笑まずにはいられなかった。きっとこの子はいい子だ。

 

「あの、おじさん。こんなところに立ってるのもなんですから、中に入ってください」

 

 恭子に促されて、着替える為に部屋に向かう途中の俺にとっちゃんは声を掛ける。

 

「そーだ、オジサマ!今日期末テストの結果が返ってきたんだけど、キョウ、クラスで一番だったんだよ!学年でも3位、スゴイよねー」

 

 振り向いた俺は、「ちょ、ちょっと、とっちゃん」と照れるように静止する恭子を見る。


 恭子が頭が良い事は知っていたが、まさかあの高校でクラスでトップだなんてこいつは余程だな。

 

 学校のレベルでさえ俺の通った高校より2、3はランクが上なはず。

 

「……凄いな、恭子」

 

 たまたまです、と胸の前で手を振る恭子。

 

 俺にとっては今のこの状況は実に奇跡だと言えよう。


 遠慮がちな恭子へのご褒美。


 多少口実になってしまうがそれと称して、とっちゃんをひっくるめたコミュニケーションの場を構築するイベントを行えるかもしれない。


 このままだったら二人は恭子の部屋に戻ってしまい、恭子の友達であるとっちゃんと接する時間は限り無く少なくなってしまう。早上がりの立役者である直樹には今度何か奢ってやらねばなるまい。

 

「褒美じゃ!ご褒美をやる……そうだ、肉だな。肉を食いに行くぞ!とっつぁん、おめぇも食ってけ!」

 

 恭子がそんな、私、と遠慮しかけるもと、とてもいい顔をしているとっちゃんを見て何も言えなくなっていた。

 

「えへへ、オジサマ。ゴチになります」




 速攻で着替えを済ませ、準備を済ませた二人をゲンちゃんに乗せると車で15分位のところにある庶民的には高級といえるだろう焼肉店へ向った。


 大人だと一人でも万札が必要な結構な店だが、こんな機会は滅多にないだろうからケチらない。

 

「ねー、ねー、キョウ、何でこの車ゲンちゃんっていうの?」

 

 移動途中、疑問に思ったのか、とっちゃんが聞いていた。


 恭子は、んー、と考えている様子だが、知るはずも無いだろう。教えていないからな。

 

 ならば俺が語らねばなるまい。ゲンちゃんの名前の由来を。


 「まさか、グレード名のGENESIS(ジェネシス)のGENからとかじゃないよね?」

 

 何も言うまい。


 俺はずっと以前からこの車のスポーツタイプを買うと決めてたんだ。スポーツタイプのグレード名に思い入れがあったのさ。

 

 ちなみに車名はスタイリッシュワゴンの“ジュニア”、当初は名前にちなんで息子のゲンちゃんと呼んでいたのだが、部下の直樹がうわぁ、という顔をしていたので止めた。

 



 そんなこんなで焼肉店到着する。今日は平日なので普通に入れるが土日とかになると予約なしでは結構待たされる人気店だ。


「うっわー、オジサマ何、この店?店員さん超美人ばっか、まじありえん」

 

 とっちゃんの言う通り、絶対狙って雇っているとしか思えない店員のレベル。

 

 ちなみに男性のウェイターは一人もいない。

 

「よーし、二人とも遠慮なくジャンジャン頼んでくれ!」

 

「あ、すいません。先にお手洗いに」

 

 恭子はそう言うと、注文の前に席から離れた。


 チャンス到来。

 

「……あの、とっつぁん。恭子こと、本人から色々聞いてる?」

 

 俺の問いかけにとっちゃんは「はい」と答えた。

 

「本当は私のほうから色々しつこく聞いたんですけど、編入する前の事とかオジサマの事とかも知ってます」

 

 恭子が色々話しているということは相当この子の事を信頼しているのだろう。


 俺が話が真剣だということをとっちゃんが察してくれているのは彼女の敬語からわかる。

 

「恭子、あの子は以前は凄く元気な子だったんだ。あんなことがあったから、今はまだ塞ぎこんでる部分もあるけど……」

 

 俺は続けて言う。

 

「俺は昔のように元気になって欲しいんだ。だから、その、とっつぁんには色々、なんていうか、よろしくお願いしたいんだ」

 

とっちゃんは優しく笑って俺に言葉を返す。


「オジサマ、すごくイイ人ですよね。……私もキョウと出会ってからまだ短いですけど凄く大事な親友なんです。だから――」

  

 とっちゃんはそう言うと、店に備え付けてあるアンケートのうらに何か書き始め俺に手渡してきた。

 

「だから、オジサマもキョウのことで何かあったら私に相談してください」

 

 ちょっと目が潤んできた。この子は良い子なだけでなく、凄く頭の良い子なんだろう。この少ないやり取りだけで俺の伝えたいことを理解してくれている。

 

「ちょっと、オジサマ。ワンギリ、ワンギリ」

 

 え、あっ、と戸惑いながらもとスマホを取り出しアンケートのうらに書かれている番号を発信する。


「えへへ、オジサマの番号げっと。後でメッセージアプリにも登録しといてー」

 



 そんなやり取りの後、席に戻ってきた恭子を二人で見つめる。

 

「おまたせしました……?ふたりともどうかしたのですか?」

 

「キョウお帰りっ。いやー、アレだよね。とりあえず最初は牛タンだよねって話」

 

「牛タン……ですか?」

 

「そう、牛タン、牛タンタタンタン♪」

 

 あ、このノリは、アレだろう。俺はすかさず続ける。

 

「うん、牛タンタンタタンタン♪」

 

「「牛タンタンタタン、タンタンタタン♪」」

 

 よし、見事なハモリ。

 

 何ですかそれ、と恭子は苦笑しながら席に着く。

 

「あ、知らないの?キョウは笑いに疎いね」

 

「そうだぞ、勉強以外にも色々と知らないといけないぞ」

 

 とっちゃんが恭子に今度教えてあげるよ、みたいなやりとりをしている間に俺はちょうど近くにいた店員に声を掛け適当に注文を取った。

 

 タン塩に始まり、ローズ、カルビ、ハラミ、シーザーサラダ、ユッケにキムチの盛り合わせ、そして二人が注文を決めるまで待てなかった生中。


「オジサマ、早いよぅ。っていうか、車なのにお酒飲んじゃ駄目じゃん」

 

「この世の中には代行様という便利なものがあるんだよ。欲しいのがあれば追加すればいいから、飲みもんだけ先に決めちまえ」

 

 あ、なるほど、と納得してくれたとっちゃんは急いでジャスミンティーを一つ、いや二つ、と店員に頼んでいた。


 しばらくして、ある程度で揃いとっちゃんご所望の塩タンが焼きあがり豪快に頬張る彼女。


 どうだ、俺の一押しの店の味は。


「んー、マジありえん。超おいしいんだけど!」


「本当ですね。凄く美味しいです」


 期待通りの二人のリアクションにまるで自分の手柄かのように喜んでしまう。


 ほろ酔いなのもあってとても気分が良い。


「そういえば、おじさんととっちゃん凄く仲が良いですよね?なんか初めて会った感じじゃないんですけど」


「そりゃ、私とオジサマが会ったのは今日が初めてだけど、出会うべくして出会った運命の出会いだからだよ」


 とっちゃんは自分で注文したテールスープを飲みながら、ご満悦で訳のわからないことを言う。


 しかし、それに乗っかるのが俺だ。


「きっと、アレだな。前世とかでも来世を誓い合っていたに違いない」


「んー、オジサマ!前世の誓い通り私を嫁にしてくだはい」


 とりあえず、飲み込んでから喋れ。


「勿論だとも。そうだ恭子!とっつぁんのことはこれからお母さんと呼びなさい」


 とっつぁんなのにお母さんとはこれ如何に。


 飲んでる所為もあり、ノリに拍車が掛かっている。


「だ、駄目です!友達をお母さんだなんて、無理です!」


 二人の冗談に戸惑いをみせる恭子。あの日から過ごした中でこんな姿を見るのは初めてだ。


 確実に少しずつだけど元気を取り戻せている。


 そう思えると嬉しくてしょうがなかった。


「んもぅ、つれないなぁ、キョウたんはぁ、キョウたんたんたたんはぁ」


「つれないな、キョウたんたんたたんは」


「「キョウたんたんたたん、たんたんたたん♪」」


「……だ、だから、何ですかそれ」


 二人とも馬鹿だった。馬鹿が出来た。

 

 こんな具合にちょっとずつでいい。


 前に進んでいければ。


 時間は掛かるかもしれないけれど、いつかはきっと昔の彼女に戻ってくれるだろう。



 

 会計を済ませた俺はもう満腹ですとニコニコ顔のとっちゃんを夜も遅いからとゲンちゃんの後ろに自転車を乗せ代行運転で自宅まで送り届ける。


 そしてとっちゃんは別れ際にお礼の言葉の後「メッセージアプリ、忘れないでくださいね」と俺に耳打ちして家へと帰っていった。


 


 とっちゃんは最初から覚醒していた。

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